結婚前の契約と力関係の認識は大事です
5
「防戦一方じゃないですか」
『炎の大魔法』を乱発しながらレーチェが叫ぶ。
「そろそろ終わらせるよ」
数刻前。
「着いた」
財産完全分与同意書、同衾禁止誓約書、抱擁および接吻禁止誓約書、生命保険満額加入手続きなどなど、婚姻届だけではなく、言われるがまま多数の書類や誓約書にサインをしていたところだった。
「合流地点に近いわ、このあたりで戦いしましょう」
馬車から降り、乗り換え地点近辺というこの何もない場所で、レーチェと向かい合った。
「本気でお願いします」
「勝負は始まる前からついているのに、本当にやるのか?」
「一度、あの『大戦争』の英雄と戦ってみたかったの」
「情報収集済みか……」
「負けた方が晩飯奢るってことで」
俺は頷いた。
一瞬の間を置いて、小さな魔法使いは動き出した。
『炎の小魔法』を4連続で打ちこみながら、『炎の魔法陣』の詠唱。若いのに動きがスムーズで、実戦慣れしているな、と感じた。
「くらえっ」
火球が一斉に俺へと向かってくる。
手をかざして火球を全て吸収し、魔法陣の効果範囲から一歩出た。
間髪入れず、魔法陣の業火が背後の空間を焼き尽くす。
「中魔法程度の詠唱かと思ったのにこの威力か」
この若さで守り手になったことを裏付ける、精度と威力だった。
『炎の大魔法』や『焼却魔法』、『業火の大魔法陣』など、中~上級の炎魔法が間髪入れず打ち込まれる。
「避けやがって、小癪な蛆虫め」
若者が使っていい言葉じゃないぞ。しかも俺は一応は夫だ。
ちなみにこれは若手魔法使いあるあるで、古代魔導書研究を進めすぎると、昔の言い回しが出てしまうのだ。
「防戦一方じゃないですか」
『炎の大魔法』を乱発しながらレーチェが叫ぶ。
「そろそろ終わらせるよ」
確かに、レーチェ視点ではうまく攻撃をかわし続けているだけかもしれない。
が、時おり首をひねっているところを見ると、何となく違和感はあるのかもしれない。
「来い、『狐火』」
召喚魔法だ、と思っていたら、炎をまとった九尾の狐が現出した。
焼き尽くせ、という主人の命令に、鳴き声を上げ、俺に焦点を合わせて口を開いた。
レベル5の妖魔だ。相当の実力がないと従えることのできないはず。
視界が爆炎で包まれた、そして……
「やったか……!?」
「不正解だ」
俺は無傷のままレーチェの背後に立っていた。
服も1ミリも焦げておらず、もちろん、体毛半分が焼却されたということもない。
「嘘」
「若いのに相当な実力だ」
「防御魔法の痕跡もない、どうやって『狐火』の呼吸をいなしたの」
「俺の体質も知って勝負に挑んでいるかと思っていたよ」
レーチェは左手を額に当て、しばらく考え込んでいた。
「①攻撃をやたらとかわす、②攻撃を吸収する、の2段構えでしょうか?」
「いい洞察だ」
攻撃の回避というよりは、相手の魔法の事前察知能力。
詠唱段階で相手の魔力の動き方を推察し、攻撃の範囲や威力を導出する能力。
それが、『無垢の呪い』で得られた代償だ。
「そんなの、聞いたことがない、反則じゃない」
「言っただろ、この勝負は最初から決まっているって」
『魔力吸収』
レーチェの推理の2つ目については見事的中だ。
呪い関係なく、生まれつきの俺の体質だ。
攻撃魔法、防御魔法、強化魔法、回復魔法ですら、あらゆる魔法を吸収してしまう。
「狐火の攻撃なんて人ひとりが吸収できる量じゃないでしょ!」
「お陰様で久々にお腹いっぱいだ」
「言ってくれるわね」
瞬発的な『悪魔の炎槍』の詠唱。上級の中でも特に習得が難しい魔法だ。俺の喉笛に炎の槍先が届く直前に、槍自体が消えてしまった。
「俺が無意識の状態でも吸収される」
「チートよ、チート」
チート?
古代の言葉にしては聞き慣れない言葉だ。
「でも全ての攻撃を吸収できるなら、最初から避ける必要はないのでは?」
いい洞察だ。
俺は微笑んで彼女の問いを聞かなかったことにし、
「もちろん、吸収した魔力は放出することができる」
と言って俺はレーチェに向かって右手をかざす。
「嘘」
魔力を右手に集め、光の玉を放出した。
結果は見るまでもない。
「な、なんなの」
レーチェはその場にへたり込んでいた。
ぶかぶかの魔法使い帽子が近くに落ちている。
俺の攻撃はレーチェからちょうど右45度の方向に飛んで行った。
「女性が苦手でね、意識しすぎて攻撃が当たらないんだ」
降参だ、と俺は両手を挙げた。