prologue
先生は黒板に小さく「さ」を書いて、消した。
大きく書き直した「さえき まき」という白い文字。
「転校生を紹介します。佐伯真紀さんです」
夏休みを終えた気だるい九月の始まりに艶やかな黒い髪の女の子が現れた。クラスメイトはざわついた。かなりの美少女だったし、かなり目を引く見た目をしている。右腕に包帯を巻いていた。固定されているのが、僕にもわかった。
少しつり目だけれど、大きな瞳が僕らを一瞥して、美しい礼をした。
「佐伯真紀です。よろしくお願いします」
何も臆せずに挨拶をした。気の強さが伝わった。
小学一年生にしては、大人びている。
「夏休みに転んでしまったようでね。みんな、佐伯さんが困っていたら助けてあげるんだよ」
佐伯さんはまた小さく礼をした。肩までの髪が揺れる。
僕ら男子の大半はそのときから彼女に惹かれていたように思う。そして、同性の女子たちも目を丸くしていた。
「お人形さんみたい!」
石田さんの呟きに僕は声も出さずに頷いた。
怪我をしていても、綺麗なお人形だ。霞むことのない、美しい宝石みたいな人だった。
人間には差がある。埋められない溝ともいえる。
持つべきものと持たざるもの。
佐伯さんは何でも持っているように思えた。
事実、美しさと賢さを佐伯さんは持っている。
これが僕と佐伯さんとの出会いであるけれど、僕たちがまともな会話を交わすのはそれから一週間後のことである。