調伏
決行場所は、病院の屋上。
楊が俺に早朝を指定した理由は、朝の七時辺りは夜勤と日勤の引継ぎ時間で職員が消えるという病院の隙間時間であるということだからだ。
呉羽は病室からエレベーターまで一人で歩かされ、最上階のエレベーター前から屋上までの階段も一人で登らされた。二日間も全身の火傷で苦しんで体力を失っている彼には、これは苦行以外の何ものでもない筈だ。
しかし、俺が気味の悪いと思う程に、彼は苦しみどころか顔に憧憬の表情まで浮かべて、ひたすら屋上への道を歩んでいたのである。
俺と楊は触れれば彼の中の悪霊が俺達に乗り移ると玄人に言われているからこそ、何も知らない入院患者や看護士と接触させないためにと呉羽の後ろをゆっくりと、牛追い棒を持った牛飼いのように警戒しながら進んでいた。
はぁはぁと荒く肩で息をして、手足も震えている疲労困憊の体ながら、呉羽はそれでも最後の屋上への最後の苦行へと一歩を踏み出した。
十数段程度の階段でしかなかったが。
屋上には玄人が彼を待っている。
黒ずんで膿んだ火傷だらけの全身を引き摺りながらも、彼がその足を止める事はない。
「あいつのクロへの傾倒ぶりは凄まじいな。」
楊はハっと鼻で笑い、歪んだ顔を見せた。
「ちびの呉羽への執着も凄いよ。執着っていうか覚悟かなぁ。僕が彼を守りますって、お前が帰ってくるまで病院に居座っちゃうしさ、凄い勢いでしょう。山口が呉羽とちびの姿に思う所があったようでね、あんなに纏わり付いていた奴が俺の家からも姿を消しちゃってさぁ。髙みたいにあいつも裏仕事をしているならさ、何時もの事でいいんだけどね。発展場に出入りしているって噂も聞いてさ、心配だよ。」
「まぁ、いいんじゃないか?あいつがクロに友情以上を求めてきたら、それをかさに着て対処できる。身奇麗な奴しか認めないってね。」
「ひでぇな。身奇麗な奴だったらどうするんだよ。」
「本当に惚れている奴が赤ん坊程度の奴に欲情するのか?お前はそんな気持ちを抱いているのか?とね、釘を刺す。」
「ひでぇな、お前。素直に渡さんと言えよ。」
ガコン。
屋上に呉羽が到達した音だ。
俺達はそれを合図に一気に階段を駆け上がった。
そして、俺達が屋上で目にした風景は、神々しい天女様であった。
既に日は高く上り、空は水色の晴天なり。
着替えた白いシャツ一枚姿で青い空を背に風に煽られながら、玄人は微笑みながら呉羽を受け入れようと腕を広げる。
ところが呉羽は足を止めて、獣の咆哮をあげて自らを抱きしめたのだ。
ここで俺の出番だ。
「呉羽が完全に悪霊を抑えた時に経をお願いします。」
これがおそらく玄人の語ったタイミングである。
俺は目の前の獣を美しい天女の前から追い払うべく、冷徹に経を読み上げたのである。