その21 「なんか自分の記憶が信じられなくなってきたんだけど?」
「も・・・申し訳ありません」
「メエメエメメ・・・」
サミュエルの眼鏡に睨まれたガブリエルとラファエルは震えながら身を屈めた。
その様子は、どう見ても肉食獣にロックオンされた草食動物のようだった。
羊なだけに。
「よい・・・下がれ、今夜はもう休むがいい」
「は、失礼します」
もの凄い速さで逃げ出す草食動物達であった。
ひどい・・・生まれたての小鹿状態のオレはどうなるの?
「・・・ランドル殿、こちらの部屋を用意した。疲れていると思うが・・・魔王様の体力も限界に近いので、そなたときちんと話をしたい」
ふと、左腕にはめた腕時計を見ると、12時を少し回っていた。
高級ホテルの一室のような客室に通され、猫足の丸テーブルの席に案内された。
ガラス窓の向こう側に、赤い線で浮き上がったさんが山の輪郭が遠くの方に見えた。
サミュエルは向かい側の席ではなく、丸テーブルの隣の席に着いた。
「そなたは・・・元の世界に帰る事が一番の願いか?」
「当たり前だ」
「本当に?」
「はあ? なに言って・・・」
「どんな生活をしていた」
「え・・・、嫁と二人暮らしで、絵を描いてた・・・けど?」
「本当に?」
「しつこいな、嘘ついてどうするんだ」
「どんな家庭に生まれ育った?」
「どんなって、普通の・・・」
「普通の?」
とっさに両親の顔が浮かばなかった。
「あれ・・・」
「両親はどんな仕事をしていたんだ? 兄弟はいたのか? すぐに会える友人は傍に住んでいたのか? どこに住んで、どんな家に・・・」
「あ、ちょっ! ちょっと待って! 今、混乱してて・・・」
「両親の名前は言えるか?」
「・・・思い・・・出せない」
「そういう事だ」
「そういう事って?」
「そなたが両親の名前を言えないという事は、その両親にとってのそなたが既に存在しない事になっている」
「なに・・・言ってんだよ? ほら、異世界を渡ったせいでなんか・・・おかしくなってるとは思うけどさ!」
サミュエルは眉間にシワを寄せて頭を振る。
「そなたは・・・元の世界に戻る事は不可能なのだ」
オレは胃の中から熱くもどかしいものがこみ上げてくるような、むず痒さを感じた。
「妻の名は、花房ユナ・・・だから‟花ちゃん”呼びが直らない・・・母親は18歳の時にガンで死んじゃって、父親も行方知れず、頭が良いけど面倒くさがり屋で、銭湯が好きで、オタクで、集中すると周りが見えない、ド近眼で危なっかしくて、よく車に轢かれそうになったりする。好きな色は・・・青・・・でも、本人は白黒灰色の服が多くて・・・色物は大体オレが選んで買ってる」
どうして彼女の事は思い出せるのに、自分の名前が思い出せないんだ。
「そうか・・・その記憶・・・いずれはなくなってしまうぞ?」
「なんでだよっ!」
オレは両手で思い切りテーブルを叩いて立ち上がった。
その拍子に椅子が後ろに飛んで倒れた。
「世界を跨ぐというのは、それだけすごい事なのだ・・・世界はバランスを保とうと余計な物を削り取っていく、だが・・・そなたがこれ以上自分を失いたくないと言うならば、方法はある」
「このまま放っておくとどうなる?」
「違う人格にすり替わり、世界への影響力を完全になくす作用が起こる」
「作用? 人格がすり替わる?」
「そなたが、最初からこの世界の住人だと言う設定にすり替わるだけだ」
「設定がすり替わる? 例えばどんな?」
「現時点では異世界の記憶があるそなたは魔王城で客人扱いだが、記憶を無くせば魔界に迷い込んだ只の人間・・・いずれは奴隷・・・というのがこの世界に一番影響がないだろうな。まあ、存在を抹消されぬように気を付けてな? 舞台に設定のない役者はいらんからな」
「奴隷? 存在を抹消? いらない?」
オレは生きていて、これ以上の絶望的な状況は知らない・・・。
オレの存在全否定真っ向勝負かよ!!
「まあ、その姿形なら・・・それなりの魔族階級にどこかで飼って貰えると私は思うが?」
「“飼う”?」
「ああ、魔族の愛玩動物だな? ペットと言えば分かり易いか」
「ペッ・・・このままだと記憶の喪失は避けられない?」
「そうだ・・・肉体を世界と隔離するほどの魔力の壁を作れる術者であれば“自我”を保てる」
「オレ無理じゃん!!」
あれ・・・なんかサミュエルがさっきすごく大事な事を言ってたような・・・。
「ランドル、そなた・・・よく『人の話を聞かないヤツ』だと言われないか?」
「うん、言われる。主にヨメに」




