-5- 竜を待ちながら
竜の討伐隊が全滅してから五、六日の間、町は恐怖に包まれていた。巣を攻められて怒り狂った竜が町を襲うという噂が、まことしやかに流れていたからだ。兵は昼夜を問わず警戒に立ち、近隣からも応援や傭兵が集まった。逆に、家財をまとめて逃げ出す者もいた。
しかし竜は現れなかった。町の上空を飛ぶこともなかった。
一部では、竜を怒らせたのはエルであると話す者もいた。そういった意見には、エルを助けた若い兵士や、生き残った討伐隊の人間が反発した。彼らは皆、エルがなにもしていないのを知っていたし、エルの手当てで直接命を助けられた者もいたからだ。
その結果、町人は少しずつ、エルに対して同情的になっていった。
討伐行の惨憺たる結果に肩を落としていた領主は、敢えて世論に反抗することはなかった。彼はエルに対して謝罪こそしなかったが、そのまま町に滞在することを許した。
十日経ち、二十日経っても、竜は現れなかった。直接巣に行って、竜がこの地を去ったのかどうか確かめようという意見もあったが、では自分が行く、と言う者はいなかった。
それならば、とエルは名乗りを上げた。変に目立つのは嫌だったが、物事の終わりを確かめたい、という自身の気持ちもあった。
同行を申し出た若い兵士と山を登り、巣に辿り着き、そこで二晩を明かしたが、結局、竜が現れることはなかった。きっともうこの地を捨てて、待つことを諦めて、どこか遠くに行ってしまったのだろう。
二人は証として、巣から古びた兜と腕輪を持ち帰り、領主に献上した。
竜が巣を捨て、山を去ったようだと知らされた人々は、ここにきてようやく胸を撫でおろした。町は徐々に、いつも通りの暮らしに戻っていった。
そして竜が北の空に飛び去ってから、ひと月が経った。
エルは小さな家の窓辺で、竜の巣があった山を眺めていた。景色は相変わらず荒涼としていたが、領主は早くも交易路の再建を計画しているらしい。
「また山を見ているのかい、エル」
若い兵士が声をかけた。討伐隊が帰還してから数日後、彼はエルに求婚し、エルはそれを受け入れていた。
「ああ、ごめんなさい」
エルは急いで鎧戸を閉めた。夫が竜のことを思い出さないように、この窓は普段から閉めてあったのだ。
「いや、気にしなくていいよ。竜のことは恐ろしかったし、今でも夢に見ることはあるけれど」
彼はエルが閉めた窓を再び開けて、室内に乾いた風を取り込んだ。
「……あれは美しい生き物だった。殺そうとするのは間違いだったんだよ」
「またいつか戻ってくるかな?」
「怖いことを言うね」
彼は笑った。
「でもきっと次も、君を守るよ」
歯の浮くような言葉を笑ってごまかし、エルは窓から身を乗り出して、遠く北の空を眺めた。
この町に来たときは死んでもいいと思っていたが、今のエルは不相応なほどに幸せだった。
もうしばらくは生きていよう。もし長く生きていれば、また竜が現れるかもしれない。あるいは竜と同じように、心を動かすなにか素晴らしいものが。
エルはそれから永いこと、この家の窓辺で竜を待ち続けた。