ペダルを踏むのをやめても自転車は止まらない
自転車を走らせる。
ペダルを踏んで。
人はみんな自転車に乗っていて、
行き先はわからないけれど、
走り続けることが「社会人であることのの証明」だと言う。
もう、走れない。走りたくない。
そう思っても、みんな、ペダルを踏み続ける。
疲れ果てても、もう嫌だと涙を流しても、
人は生活のために、存在意義を確かめるために、
ひたすら、自転車を前に進めようとする。
走り続けられないことを認めたくない。そう思われたくない。
ふらふらとバランスを失い、自転車は蛇行し始める。
電柱にぶつかる者もいる。川に転落する者もいる。
リタイア。
ある者は、人や組織と衝突をして会社から去り、
ある者は、自らの命を絶つ。
会社を去ることもできず、死をも選択できない者は、
自転車を漕ぐことをやめようとする。
「これ以上、ペダルを踏むことはできません。」
そう言うと、ある者は忠告する。
「ここで止まってしまえば、次、漕ぎ出すとき、さらに力がいるから辛いよ。」
たしかに、自転車は漕ぎ始めに大きな力が必要だ。
「だから、ペダルを踏むことをやめるなんて言うな。」
そして、自転車を漕ぐことをやめようとしていた者は、
ペダルを踏み続けて真っ直ぐに自転車を走らせることができるようになるか、
バランスを失い、蛇行運転の末にリタイアをするか。
前者は克服で、後者は挫折。
「これ以上、自転車を漕ぐことはできません。」
そう言うと、ある者は事も無げに語る。
「じゃあ、漕がないでいいじゃないか。」
と。
「ある人から『ここで止まってしまえば、次に漕ぎ出すときに力がいるから止まらない方がいい』と言われました。」
「止まらないよ。」
ある者は語り続ける。
「たしかにペダルを踏まないと、自転車は止まってしまうね。」
「自転車を前に進めなければ、私が私であることの証明ができなくなってしまいます。」
「君は、自転車を『立ち漕ぎ』していたんだ。人よりも早く、追いつき追い越したかったのだろう?」
「ペダルを踏まなくても、自転車は止まりませんか?」
「もう充分にスピードは出ている。ペダルを踏まなくても、すぐに止まったりはしないよ。」
しかし、ある者はこうも言った。
「すぐに止まったりはしないけれど、慣性で走り続けるには限界がある。そのままだといつかは止まってしまう。そうなる前にペダルを踏み出さないと、辛い思いをするよ。」
私の自転車は、走り続けている。
ゆっくりと、穏やかに。
バランスを失って、電柱にぶつかったり、川に落っこちるのはゴメンだ。
今はペダルを漕がないで、ハンドルだけを操作しよう。
そして、力強く走ることができる力が戻ったら、ペダルを踏み出そう。
私の自転車は、まだ止まってはいないのだから。