一国一畳の主
たまに帰省するからこそ感じられるのだが、実家というのはいいものだ。
普段は見られない両親の元気な顔が見られる。
可愛がっていた犬が自分の顔を見るや尻尾を振りながら寄って来るのが愛らしい。
少し見ないうちに妹が小生意気なレディになっていて面倒くさいが、それもまあ、いい。
とにかく、離れているからこそ戻ってきたという感傷があって、それが心地よいのだ。
だが、今回の帰省で、どうにも解せない事が一つあった。
変わらぬはずの和室作りの我が根城。
古びたテレビ一つに押入れ、そして何故か隅っこに転がる棒切れ一本。
ここに、何故か一畳だけ色の焼けた畳が張られていたのだ。
「そんなのあったっけ? あんたの部屋はあんたが出て行ったきりだから知らないわねぇ」
不思議に思い母に尋ねるも、首をかしげながら笑って流される。
「そんな事よりあんた、そろそろ結婚する相手は見つかったのかい?」
そして余計な方向に話が流れそうになるのを感じ、ひとまずは退散した。
また自室に戻るのだが、やはり気になって仕方ない。
これが陽のよく当たるような部屋なら仕方ないが、生憎と障子張りが陽よけになっていて、これを開けなければ部屋には陽が射さない作りになっている。
誰ぞが部屋に入り開けっ放しにして放置したにしても、やはり一箇所だけが焼けているのはおかしい。
一体俺の不在時に何が起きたのか。
延々考えていたが、俺の頭ではどうにもそれらしい理由が浮かばなかった。
結局そのまま夕食の時間になり、久方ぶりの家族の団欒。
風呂に入って湯船でゆったりとした時間を過ごした後、妹や親父とゲームをやったりして、今となっては貴重なひと時を過ごす。
もう、その頃には最初の疑問など頭の隅っこに追いやられていた。
楽しければ、割と何でも忘れられるものなのだ。
そして、夜も深くなりこれから寝ようという頃になって『それ』は起きた。
――強烈な金縛りだ。
こういうのは寝てからそうなるものだと思い込んでいたが、布団を敷いている最中に完全に体が動かなくなった。
何が起きたのか解らず固まったまま、動かない手足に力を入れ踏ん張る事五分少々。
時計の針が動くのがものすごく遅く感じたが、そこでようやく、何かが自分を見ていることに気づく。
「……うん?」
それは、畳の上だった。あの、焼けていた畳の上だ。
「じー……」
ちょっとアリスちっくな洋装の、色白の小さな女の子が座っていた。十歳くらいか。
金髪だ。金髪碧眼だ。しかも正座だ。ちょこんとしてて可愛い。エプロンドレス可愛い。
(……誰だ?)
すわ、幽霊の類か、などと思ったが、生憎とそんなに怖くない。ついでに足もある。
何より、金髪の女の子の幽霊が俺の部屋に現れる意味が解らない。
「じー……」
女の子は俺の事をじとーっと見つめている。
大変貴重な外国人風の女の子によるじと眼だ。
長い人生でもそうはお目にかかれないだろう。
「じー」
だから俺も見つめ返してやった。眼一杯見てやった。
「ひっ」
思い切り引かれた。ちょっとショックだった。
「な、なんで見てるのこの人……もしかして私が見えるの……?」
酷く不安げな顔をしていた。何もそんなに怯えなくても良いのに。
ただ、あんまり怯えられるのもそれはそれで気分が悪いので、とりあえずコミュニケーションをとってみることにした。
「あの」
「あの」
そして被った。
「……」
「……」
ものすごく居心地が悪かった。お互いそっぽを向く。視線を逸らす。なかった事にする。
いつの間に金縛りが解けたのか解らなかったが、とりあえず布団の上に座る事にした。
「あなた、誰?」
そして、間を置いて女の子が先に口を開く。鈴のような綺麗な声だった。
「俺はこの家のもんだよ。この部屋の主だぞ」
布団の上に胡坐をかきながら、俺は答える。
とりあえず、この何者か解らない女の子に俺という存在を正確に認識してもらわないといけないと思ったのだが。
「この部屋は私の部屋よ」
女の子は唇を尖らせ、不服そうに睨みつけてきた。
「私がずっといたんだもの。私の部屋」
ものすごい理論だった。ある意味外見相応というか。
「いつからいたんだよ?」
「三年前の夏から」
「俺は二十五年前からこの部屋にいたぞ」
「嘘、今までいなかったもの」
「丁度三年前の春に家を出たんだよ。一人暮らししてるんだ。今は帰省で帰ったところなんだ」
どうにもかみ合わないと思っていたが、どうやら俺が居ない間にこの部屋に居ついたらしい。
「というか、君は誰なんだ?」
「……私?」
指差して問うと、女の子は不思議そうに首をかしげた。
それから、わずかな間。
「えーっと……メリーさん?」
メリーさん小学生説。
「堂々と目の前に現れるメリーさんなんてどこにいるんだよ」
しかも「えーっと」とか言ってたのもばっちり聞こえていた。
「じゃ、じゃあ、その……座敷童子っ、そう、わたし、座敷童子なのっ」
金髪碧眼エプロンドレス姿の座敷童子とは恐れ入った。
座敷童子界も随分と国際色豊かになったものである。
「……まあ、いいが」
これ以上追及するのも面倒くさいので、とりあえず座敷童子で通す事にする。
「それで、君が座敷童子なのはわかったが、名前は?」
ぶっちゃけ、正体が幽霊でも怪奇の類でも構いやしない。
だが、この子が誰なのかが解らないと気持ち悪いのだ。
だから名を問うたのだが、なにやら肩をすぼめてしまう。
「……わかんない」
色々ごまかしが入ってたのはこのためだったらしい。素直にそういえばよかろうに。
「なんで俺の部屋にいるんだ?」
「わかんない」
「好きな食べ物は?」
「人参」
全部「わかんない」で返されるかと思ったが、意外とはっきりとものを言うタイプらしい。
「俺以外の家の人は皆君の事知ってるのか?」
昼間の母の反応から、多分知らないんだろうなあとは思ったが、念のためこのあたりも聞いてみる。
「知らないと思う。というか、誰も私の事見えなかったみたいだから」
やはり幽霊か妖怪の類か。偶然俺の部屋に来たホームステイの子、という線は完全に消えた。
「昨日の夜も、こーこーせー位のお姉さんがこの部屋に来て色々やってた」
「……どんな事?」
昔はよく俺の後ろをついてきた妹だが、今では立派に『あんたみたいなクソアニキなんて大嫌い!!』な妹になってしまった。因みにデレはない。
何か嫌がらせの類でもしたのではなかろうか。
勝手に私物を捨てられたりはしないかと気になったのだが。
「お布団敷いて匂い嗅いでたり、突然『なんでおにいちゃん帰ってきてくれないの!!』とか叫びだしたり。押入れからアルバム引っ張り出して女の子の写真をはさみでバラバラに――」
「もういい聞きたくない」
実の妹の心の闇は聞かなかった事にしたかった。
「おじさんもきてたよ。髭のおじさん。ポテチの筒に描かれてそうなの」
「俺の親父な……因みに親父は何やってたんだ?」
あんまり聞きたくも無いが気になってしまった。
親父とはそれなりに良い関係を築いていたつもりなのだが、怖くもある。
「お布団敷いて匂い嗅いでたり、突然『なんで俺も連れて行ってくれなかったんだ!!』とか叫びだしたり。押入れからアルバム引っ張り出して『この頃は可愛かったのになあ』とか――」
「うちの家族マジろくでもねぇな!?」
しかもそんな様を自分で見たのではなく他人から間接的に聞かされるという拷問である。
耳を塞ぎたかったがそれ以上に俺が幽霊になってしまいたくなった。
「……苦労してるんだね」
挙句こんな小さな子に同情されている。泣きたくなった。
「でも不思議な気持ち。誰も私の事に気づいてくれないと思ったのに、またこうやってお話ができるなんて思いもしなかった」
落ち込んでる俺を見ながら、しかし、この子は柔らかく微笑んでいた。
最初の怯えはどうやら完全に消えたらしい。それがちょっとだけ嬉しかった。
「自分がどういう状態なのかっていうのはわかるのか?」
なので、もうちょっと踏み込んでみる。
この子が自分をどういう認識で見ているのかが気になったのだ。
「んー……幽霊なのかな? でも私、こんな部屋に来た事は無かったから、きっと――」
「きっと?」
「――座敷童子になったんだと思うの」
まさかの座敷童子だった。そこに戻るとは思いもしなかった。
「実際、私ってこの畳の上から動けなかったりする。もう三年間も。棒とか使えばテレビのスイッチは入れられるけど」
ふよふよと部屋の隅っこに転がってる棒切れを浮かせて見せる。さりげなく怪奇現象だった。
この部屋にいながらにして三年という年月を認識できたのもテレビのおかげだったらしい。テレビすげぇ。
「それと、夜になるとたまにこの家の人が部屋に遊びに来るから、それを見てると結構退屈しのぎになったかな。面白い人達だったから」
俺の家族はテレビより面白い人達だったらしい。大変ありがたくないことに。
「ずーっとね、病院にいたの。生まれてからずっとよ。同じ部屋で、同じ人としか会えなくて、自分の足で歩いた事も数えるほどしかなかった」
そのまま、思い出すように口元に指をあて、視線を上へと逸らす。
「ママが持ってくる本はこの国の本ばかりで、だから、読めるようにこの国の言葉も教わったし、この国の風習とかもちょっとだけど覚えられたの」
「どうりで、外国の人っぽいのに流暢だなあと」
幽霊すげぇと思ったがそんなことはなかったらしい。この子自身の努力の賜物だったのだ。
「……えへへ」
こんな状態になってても、褒められるとやはり嬉しいらしい。
照れくさそうに長い髪を弄りながらテレテレする。可愛い。
「私の家はイギリスにあるらしいの。ビッグベンの近くなんだって。豪邸らしいよ?」
すごいでしょ、と、楽しげに語りだす。
俺もそんな笑顔を台無しにするつもりはないので黙って頷く。
「ママはイギリス人でね、すごい美人。ナースさんも皆『綺麗な人』って褒めてた」
「おかんが綺麗なのはいいな」
「パパも素敵な人らしいよ? 日本人だけど」
自分の父親の容姿を「らしい」でしか語れない辺りに、この子の悲哀が感じられる。
「お兄さんは、一人で暮らしてて寂しくない?」
ひとしきり自分語りをした後、今度は何を思ったのか、俺に興味を向けたらしい。
「まあ、寂しいと思うことはある。だから、こうやって帰省したんだ」
家を出たときは『大物になるまで帰らねぇ』と思ったもんだが、俺の心はそんなに強くなかった。
一年目で心がへし折れ、二年目で泣きが入って、三年目にはもう耐えられなくなったのだ。
だから、遠くから家が見えてきて、それがだんだんと近づいた時、泣きそうになっていた。
家族の前では恥ずかしくて言えないが。やはり俺には家族が必要なのだ。
「ふぅん。大人ってそうなんだ……」
噛み締めるように、眼を閉じながらに呟く。
「私も、大人になりたかったなあ」
そうして、叶えられなかったような、そんな何気なく口から出た言葉に、俺は震えてしまった。
「お兄さん、なんで泣いてるの?」
そして、心配されていた。情けなかった。みっともなかった。だが、我慢できなかった。
「……すまん。その、大人だから、余計に耐えられなかったんだ」
当たり前のように生きて当たり前のように大人になった俺には、当たり前のように生きられず当たり前のように大人になれなかったであろうこの子の気持ちは全くと言っていいほど解らない。
見た目どおりならまだ子供だ。
辛いとか悲しいとか、そんな事も感じる事無くこうなっていたのかもしれなかった。
だが、大人は違うのだ。
例え子供がそう、何も感じなくとも、大人はその背景を読んでしまう。空気を感じてしまう。
『この女の子が歩めなかった未来』を想像してしまうのだ。
俺は、大変身勝手ながら、それに耐えられなかった。
「なんか、お兄さんも変な人だね」
俺が泣いてる意味が本当に理解できないらしく、自称座敷童子は困ったように眉を下げていた。
「ああ、俺もこの家の家族だからな。解りやすいだろ?」
目元をごしごしとこすりながら、なんとか強がってみる。笑いを取ろうとする。
「うん。家族なんだなあって思った」
なんとかにやりと笑って見せると、この子もにやりと笑って返してくれる。ノリの良い子だった。
「ねえ、お兄さん。お兄さんのこと聞かせて? 住んでる所とか、何をやってる人なのかとか、沢山聞かせて?」
そうして畳の上からちょっとだけ上身を乗り出し、俺に笑いかける。
「ああ、いいぜ。覚悟しろよ。抱腹絶倒間違い無しの人生だからな」
俺は、自分の失敗や苦労話なんて下らない話を、できるだけこの子が笑えるように考えながら話していった――
「……あれ?」
そして、気がつくと朝になっていた。
どうやら疲れて眠ってしまったらしい。障子を開けると眩い光が目をちりちりと焼いてくる。
『座敷童子』は影も形もなくなっていた。
ご丁寧に、あの子が座っていた畳も色を取り戻し、今ではどの畳がそれだったのかも解らないほどである。
「……あーあ」
ほう、とため息をつく。聞かせてやりたいことは沢山あったのに。
ご本人がお望みなら、何日でも滞在して聞かせてやろうと思っていたのに。
いなくなる時は、意外とあっさりであった。
ため息。肩が震え、強がりのあくび。眼をごしごしとこすり、部屋から出た。
「おっはよー!!」
家族に向け、挨拶。
新しい一日が始まった。さあ、今の自分の城に帰ろう、と。
「――ただいま」
半日ほどかけて自分の部屋に帰る。だぁれもいない寂しい部屋だ。
部屋の中は殺風景。しかも閉じっぱなしのカーテンの所為で薄暗い。
寝室なんかはパソコンにテレビ、電話が置いてあるだけ。
――チリリリリ。
そして、俺がその寝室に入るや、電話が鳴る。
実家から以外でこの電話がなるのは実に珍しい。
「……もしもし?」
何事かと、神妙に受けるのだが。
『もしもし、私メリーさん。今お兄さんの後ろにいるの』
妙に幼い声のメリーさんが、受話器と俺の背後の両方から声をかけてくれた。
「――えへへっ」
後ろの正面に立っていたのは、にこやかあに笑う、あどけないあの子だった。