会いたかった
そっと口にした言葉はしばらく宙に浮いたままで、目の前にいるカノンには相手にされなかった。
ただ、先程まで動いていたカノンの動作がぴた、と止まっただけで、彼女の口からは何も出てこなかった。
「はは……俺、変わりすぎててびっくりしただろ?」
今度はカノンには向けず、独り言のように地面に言葉を落とす。
ほんと、もしかしたら俺のこともう忘れてるのかもしれないな。
あの頃の自分は、どうしようもな奴だったし、きっとカノンの昔の記憶には残ってないだろう。
沈黙が続いて、俺はそっと顔をあげてカノンの顔色を伺う。
「…………っ!」
黙ったままで気づかなかったけど、カノンは俺の方を凝視していた。
しかしその目は、全く知らない人を見るような冷ややかなものだった。
「私に構わないで、」
ぽつ、と呟かれたその言葉はすごく小さいもので、少しでも音を立てていたら聞こえないくらいのボリュームであった。
が、ここにいるのは俺とカノン。
当然俺の耳には、彼女の声が届いてきた。
「どうして…」
「理由なんて、いる?」
冷たい言葉に俺の心は思いきり貫かれる。
カノン、一体何があったんだよ?
お前、昔はこんなんじゃなかったはずだろ?
「いるだろ!……カノン、俺がどれだけお前に会いたかったか…」
───バシッ
そこまで言い終えると、左頬に衝撃が走る。
思わず頬を左手のひらで抑えて顔をしかめる。
「うるさいっ……もう、やめて」
カノンの手はかすかだったけど、確かに震えていた。
俺を睨みつける目は、俺からしてみれば怖いというよりは……
「……カノン」
「違う、呼ばないで……!」
「違うわけない、お前は俺の知ってるカノンだよ」
相変わらず睨みつけてくるカノンに、俺は真剣な眼差しを向ける。
そうだよ、違うわけないだろ?
だって俺の知ってるカノンは……
カノン………は、
───ふと、ある疑問が頭をよぎる。
「おう、2人とも終わらせてくれたみたいだな♪お疲れ様っ」
その後無言で作業に明け暮れた俺たちは、田端に大いに褒め称えられた。
資料室の窓を見ると、外は淡い橙色に染まっていた。
「先生、」
「ん、どうした?沢城」
「明日からここの掃除になるって、本当ですか?」
すました顔で首を傾げて問いかけるカノンに、田端は軽く頷いて返事をした。
「私、1人でもできるので」
「な、何言って…」
慌てて口を開く俺に、カノンは迷惑そうな表情を浮かべる。
俺は言葉を詰まらせて、言おうとしていた残りの言葉を呑み込んだ。
.
「んじゃ、2人ともお疲れ!明日からよろしくなっ」
キラッと眩しい笑顔を向けて、田端は俺たちに軽く手を振りながら教室へと戻って行った。
カノンは田端が見えなくなるまでその場に留まっていたが、完全に姿が消えた瞬間、スタスタと田端とは正反対の方角へと足を進めていった。
伸ばした手はカノンに届くはずもなく、虚しくもそこら中にある空気を思いきり掴んだ。
と同時に込み上げてく想い。
俺はカノンの後ろ姿を見送ってから、一歩、足を踏み出した。