3
「………………………朝か…いや何処だここは?」
向井は気がつけば知らないベッドの上に寝ていた。
首だけを動かして周りを見るとそこは結構お高めのマンションのリビング、といった感じだった。
壁に掛けられた大きなテレビ、モダンなテーブル、おそらく南向きに取り付けられた大窓から朝の陽光がそれらを鮮やかに照らしていた。
それにしても随分と狭いベッドだな、そんなことを感じてベッドを見てみればそれはベッドではなく何やら古めかしいソファと思しき物であった。
比較的新しめの家具が揃えられている中で何故これだけが、そんなことをぼんやりと考えている時だった。
「私、寝心地良かったか?」
部屋に突然響いたカタコトノニホンゴに驚き向井は飛び起きた。なんだかデジャヴを感じるな、そんなことを思いながら辺りを見回すと、そこにチャイナドレスの奴はいた。
「你好、私の事覚えてるか?」
「おはよう凛ちゃん。何でここにいるの?」
「お前に凛ちゃん呼ばれたくないね。私神様よ」
「知ってるよ。『派遣神様』だろ?」
「違うね。私この※羅漢床の付喪神ね、馬鹿にするなよ」
※羅漢床:中国で昔使われてたソファ兼ベッドみたいなやつ。通気性がやたらいい
「付喪神…ああそういえばあれも神か。つまり派遣神様って付喪神なのか」
「うーん…それちょっと違うね。付喪神は現世の物に宿るから本体は現世よ。付喪神は天界に力の一部送る、だから『派遣神様』ね」
「なるほど、本当に派遣社員みたいなものなんだな」
そんな他愛もない話をしていると羅漢床に落ちていた向井のスマホがブルブルと震え出した。
もしやと思い凛ちゃんを見てみると、
「何よ、お前無神論者のくせに私にケータイ取って言うか?」
「いえ、何でもないです…」
電話を受けた向井は地下一階にある例のやたら豪華な部屋へと向かっていた。
考えもしなかったけどここってマンションだったんだな、そんなことをエレベーターの中で考える。
エレベーターを降り、木目調のやたら豪華な扉を開けると、地神は成金社長の座ってそうな机に体を預けていた。
「おはよう向井君。凛ちゃんの上で寝た気分はどうだった?」
「含みを持たせた言い方はやめて下さいよ。それより電話で言ってた用ってなんですか?」
「あーそれな、今日はお客様が来るからお前にも手伝ってほしいなって」
それはいいんですけどね、そう言って向井は何気無く革張りのソファへ座る。
「おいおい向井君、そこは上座だぞ。入り口から一番遠いし、置かれているソファが一人掛け二つと二人掛けなんだからそれくらい分かるだろ」
「ああすいません。で、俺が手伝えることって何かあるんですか? そういえば白石は?」
「接客だよ、接客。白石はまあなんというか、今日来る奴が苦手なんだよ。察しろ」
「そんな人俺だって嫌ですね」
「能力やったんだから喚くな無神論者。ほら、そろそろ来るから扉を開けてやれ」
地神にそう言われて渋々扉を開けるとどういうわけか本当に訪問者が立っていた。
その女性はジーンズ、Tシャツというかなりラフな出で立ちだが、それが抜群のスタイルや美しい顔、おそらく天然物であろう白髪を引き立てている。
だが何よりも目立つのは身長の高さだろう。
向井の身長が低いのはさておき、おそらく彼女は中学校の頃「トーテムポール」なんてあだ名を付けられていたに違いない。
「やー楓ちゃん。この度は厄介事を持ち込んじゃって申し訳ないね。おっ楓ちゃん新しい人間雇ったの?しかも男の子じゃんいいなー私のところなんて三百年前から坊主とバイトの巫女しか来ないからつまらないんだよねー。
そうだ、君さ、私のところに来てくれないかな? 私の所なら福利厚生はしっかりしてるし今ならボーナスとか弾むよ?」
突然始まった女のマシンガントークをもろに食らった向井は思わず後ずさる。
だが女は会話の途中離脱を許さなかった。
向井の肩をがっちり掴んで話の続きを始める。
「今逃げようとしたでしょー。傷付くなーそういうの。あと私は『トーテムポール』なんて呼ばれたことなんて人生で一度もないし、そもそも私が大きいんじゃなくて君が小さいだけなんだからね。
もし私のところに来れば身長なんていくらでも伸ばしてあげるよ」
ああ、この話はいつ終わるのだろうか、そんなことを考えて彼女の未来を覗くもやはり覗くことはできない。
地神のことを楓ちゃんなんて呼んでたから察しはついていたが彼女はどうやら神様のようだ。
それを見かねた地神が助け舟を出す。
「お前が来る度に言ってるけど、とりあえずソファに座ったらどうだ?」
「はいはい。じゃあそういうことだから座ろうか向井君」
「はあ、ってやっぱり俺の名前分かるんですね」
この一言が余計だった。これによって彼女のお喋り魂に再び火が付き座るタイミングは失われる。
「そりゃそうでしょ、私はお稲荷様だよ?」
「お稲荷様? 白髪なのに、それに狐耳も尻尾も生えてないんですか?」
「じゃあ逆に聞くけど君は狐耳と尻尾を生やして街中を歩けるの? 生やしてあげるからちょっとそこら辺歩いてきなよ」
「いや、男がそんな事したって何処にもウケないですよ」
「大体ね、私はお稲荷様なの。狐はあくまで眷属だし、そもそも金狐じゃなくて白狐だから。
それを江戸時代の君達がどう勘違いしたのか白狐と私をごちゃ混ぜにしたのよ?
お陰で髪の毛は白くなるし意識しないと耳と尻尾が生えてくるしもう最悪だわ」
「しかし、平成に生きる若輩者な自分にそんなことを言われましても…」
「君達若者がそういった常識を広げていけばゆくゆくは私も元に戻るかもしれないでしょ。
そうだ、あの目つきの悪い子はどうしたの? ほら白石ちゃんとか言ったっけ、あの子と全国回ってきなさいよ」
「いいから座れ二人とも。いつまで立ち話をしてるんだ」
そんな地神の二度目の助け舟によって向井とお稲荷様はやっとソファに座る。だが向井は解放されない、彼はお稲荷様の隣に強制的に座らされていた。
「いや、ここは上座だし、俺が今回のお話聞かなきゃいけないわけだし、向かいの一人掛けの方に座るのが普通じゃないですか?」
「いーのよそんなの、上座とか意識するならまずは相手の意向を聞くのが普通なの。
それに私は楓ちゃんに用があるって言ったんだから楓ちゃんが話を聞くってのも常識でしょ」
「…だそうですよ地神さん。もう俺にはなす術がありません」
「はあ、やっぱりお前でもダメか…」
地神はそう言うと社長椅子からのそのそと立ち上がり、お稲荷様の向かいに腰掛ける。
「それで、要件は何なんだよ」
「それがね、私の担当地域で悪魔の囁きに負けた輩が出現してね、そいつが悪魔崇拝の宗教を開いたわけよ」
「お前…まあ今怒ってもどうにもならないか。それで、相手の調べくらいはついてるんだろうな?」
「そりゃあ勿論。私調べだと相手は夢魔級だね」
それを聞いて地神は呆れたようにため息をつく。
どうやらこの二人は事情が分かっているらしいが、向井にはそれが分からない。
「あの、さっきから言ってることが半分くらいしか理解できないんですけど、夢魔級ってなんですか?」
そんな疑問に答えたのはお喋り好きのお稲荷様、ではなく地神だ。
「夢魔、キリスト教の下級悪魔だよ。"級"というのはあれだ、生き物で言うヒト"科"とかの"科"と同じだ。一応悪魔にも個はあるけど、能力が類似している奴は人間の定義した悪魔に当てはめるんだよ」
「はあ、それは分かったんですけど結局夢魔って何ですか?」
向井のその質問に答えたのは何やらにやけ顔のお稲荷様だった。
「夢魔はね、男の姿をした方をインキュバス、女の姿をした方が思春期男子の憧れの的、サキュバスって呼ぶのよ。これでわかるでしょ?」
「別に憧れではないと思いますけどね。それで、それがどうかしたんですか?」
「だから、それを今から話すんでしょうよ。
それでね、そこの教祖は元々はお坊さんだったんだけどね、まあ自らの性欲に勝てずに夢魔級を召喚したわけよ」
お稲荷様のそんな軽いトーンの話し方とは裏腹に地神の表情がどんどん歪んでいく。
「そのパターン何回目だよ…釈迦が聞いたら泣くだろうな」
「まあ仏の顔も三度っていうしね。
それより続きなんだけどさ、どうやらお坊さんの魂はかなり強いらしくて、悪魔の力をねじ伏せたらしいのよ。まあ修行の成果なんだろうけど、そいつが新しい宗教を興したわけ」
「たかが夢魔の力でどうやって宗教を興すんだ?」
「ふっふっふ、聞きたい?」
「いいからさっさと答えろ」
「なんか今日の楓ちゃん冷たいね。続きを話すと、セックスレスの若妻を集めてそいつらにインキュバスを召喚してやって、って感じよ。
ついでに性欲にまみれた金持ちの男も集めて、本人は金も女もってわけ」
お稲荷様のそんな話が終わったところで地神の顔が今まで見たことない位に歪んでいた。
「それで、相手の数と場所は分かるのか?」
「んーとね、会員一人に夢魔が憑いてるから相手は五十二体、本拠地はその元お坊さんの所有するお寺だね」
「面倒臭い事態にしてくれたな…そういうわけで仕事だよ向井君。私の机に隠れてる白石ちゃんを連れて性獣共をぶち殺してこい」
地神はそう言うと向井に車のキーを投げつけ、自身の机の裏へ回り込んだ。
彼女が机と何回かやりとりをすると、やはり白石が嫌そうに出てきた。
それを見てお稲荷様は機嫌を損ねたのか狐の耳を白髪の中から覗かせる。
「白石ちゃんその態度は酷くない? 私今日は白石ちゃんに会いに来たといっても過言ではないのに、ねえ向井君」
「いや、別に俺は会いに来たわけじゃないですから。あと耳出てますよ」
「うるさいわねその位分かってるわよ。仕舞えばいいんでしょ」
お稲荷様は向井に八つ当たりすると狐耳を手で覆い、頭の中に押し込んでいった。
言わなきゃ出っぱなしだったのかな、向井はそんなことを考えつつ仕事の準備へと取り掛かる。
敵は下級悪魔の一種で夢魔級、この前対峙した名も有しないような悪魔に比べれば力は強力だが個としては大したことはない。
問題は相手の数と建物、約五十人も収容できる建物となるとかなり広いことが分かる。
さて、今回は如何に攻めようか、そんな思考を遮るように白石の手が向井に差し出される。
「じゃあ向井君、今回もよろしくね」
「ああ、こちらこそ頼むよ白石」
こうして今回も二人の仕事が幕を開けた。