日常
ヒロイン成分補給!例によって書き足し投稿ですすいません。一日一時間しか使えないのです。ごめんなさい。
タイトル長いので変えました。
よりにもよって、どうしてここまで来てしまったのだろう。
薄暗い、出口の見えない森の中で、エスチュアは一人溜息をついた。本気で今自分がどこにいるのか、さっぱり見当がつかない。二度三度と同じ様な光景が続くに連れ少女は歩くのを止めていた。
「・・・はあああ・・・」
手に持った籠の中身がこうなると恨めしい。中身はこの森で採れる茸だが、そんじょそこらの茸ではなく、岩茸とこの地方で呼ばれる希少なものだった。
食べれば珍味、乾燥させて粉にすれば咳止めの薬にもなる。日に幾らも取れないようなものが、今日はやけに取れて、つい、森の奥深くまで来てしまったのだ。もちろん茸ばかり見ていたエスチュアは道順なぞ覚えているわけもない。
何処かで木がざわめいた。
「・・・・・・っ」
村の大人たちの話が勝手に再生され、背筋がぶるりと震える。
この山周辺で強大な勢力を持つゴブリン十一氏族。中型獣に分類され、殺すためには兵士五十人が必要とされる、キメラ、古代蛇。そして二年前から噂に出始めた野人。最初の三つは見たことがあるが、最近現れた野人に関しては伝聞のみが頼りだった。
曰く、黒い毛で全身が覆われている。
曰く、殺した獲物を生で喰らう。
曰く、長い牙が生え、獲物を切り裂く。
他にも噂はあれど、この三話のみは共通している。正体を知らぬがゆえに、一層エスチュアの不安は高まってしまう。
・・・おう、おう、おう、おう、おう・・・。
森の何処かで鳴いた獣の声に、心臓が痛いぐらい脈打つ。籠を握りしめる右手がじっとりと湿ってくる。
動いた方がいいというのは分かっている。いや、逃げろ、大声でわめいて走り出せ。
しかし、内なる心の叫びは、がらんどうに成ったエスチュアの体内で虚しく響くだけだ。
再び獣の叫び声が聞こえた。
確定だ。エスチュアの記憶が正しければ、あれはキメラの咆哮。
化物の声に違いない。
大質量の肉体が木を押しのける音。荒々しい大地の震動が急速にこちらに近づいてくる。
「・・・あ、・・・あ・・あ・」
十三年間の使用の記憶を忘れてしまったかのように、ノドが動かなかった。代わりに随意を離れた口が、かちかちと歯の根を鳴らした。それでも、ゆっくりと。できるだけ早く音のほうに首を向ける。
ごう、と。
獣の息づかいが眼前に遭った。獅子頭の口から漏れた生臭い空気が、エスチュアの肌を炙る。大人の優に五倍はあろうかという体躯。
しかし、尾の大蛇は根元から存在せず、背にあるはずに山羊の頭は首筋をその半ばまで断たれ、絶命している。
満身創痍のキメラはひどく、緩慢な動作で獅子のアギトを開く。エスチュア程度の少女なら一呑みに、骨を砕いて肉を裂き、喰い殺せるに違いない。
「・・・ま、・・・」
獅子はそのまま全力で牙を閉じて・・・。
んぐり、と毛に覆われた喉が肉塊を呑み、熱風に初夏の新緑が揺れた。人が喰われたとは思えない、ひどく穏やかな辺りの空気は、獅子が気を抜いたためかも知れない。
墨を引くような黒影が、新緑に尾の跡を残し落下する。
獅子が頭上の違和感に反応した時には既に遅い。獅子の巨大な頭蓋、それを支える頸骨と頸骨の隙間に、蒼く濡れた、ゆるい湾曲を持った刃が潜り込んでいく。
刹那の断頭台と化した刃は肉を裂き、骨を断ち、ただの一撃で獅子の首を両断する。大気を焦がすような斬撃はそれでもなお勢いを止めず、真下の大地を貫き、ようやく停止した。
影はかろうじて人と分かる形をしていた。
大地から引き抜いた刀を血振るいし、古代蛇の皮を編んで造られた粗雑な鞘に刀身を納める。
「すまない」
声が聞こえた。聞きなれない異国の声には慙愧の念があった。顔は長く伸びたざんばらな黒髪と、髭のせいでよく解らないが、声はまだ若い男のものだった。
「すまない」
もう一度、霧崎九郎は足元の獅子だったものに謝った。不幸な遭遇戦だったと思う。尾を切り、山羊の首を切ったところで後は見逃す予定だったのだが、
「あれを見たからな・・・」
どっちにしろ、霧崎は少女を助けられなかった。
いや、少女だったから踏み込みが半歩遅れたのかもしれない。あれが、綺麗な長い黒髪を、ポ二テ気味に束ねた巨乳のいい感じのおねーさんだったら。
「・・・ああ・・・」
あの少女が成長して霧崎好みの美女に成り、鶴の恩返し的なものを期待できたかもしれないのに!
「失敗した、・・・くそ。可能性はゼロじゃ無かった」
くだらない(訳でもない)、霧崎としては前向きな話題で気を取り直すことを試みたが、逆効果で落ち込んだ。
日が暮れ、あたりが暗くなり始めたようだ。
帰ろう。
霧崎の足は自宅へと向かう。
洞窟が霧崎の現在の自宅だった。山の中腹にあるそこに霧崎がたどり着いたころにはもう日が暮れかけている。
「・・・食い物くうか・・・」
一か月ぶりに大物とやりあった疲れに霧崎を極めて本能的な答えを出した。
洞窟の中に入り、薄暗い中を迷うことなく進んでいく。
闇が深まったひんやりと冷たいそこには、首を落とされ皮を剥がれた猪の死体があった。2キロほどの肉をナイフ形の石器で切り取る。
最初の頃は、かなり難易度の高い作業だったが少し前に、肉の筋に刃を通せば容易に切り落とせることを知った。
要は慣れだ。箸で魚を解体するようなものだと思う。キメラの死体のそばにあった少女のものと思しき蔦を編んで作られた籠(戦利品)と、イノシシの肉をもって焚火のある入口まで戻ると、出かける前にくべた太い木の枝が種火程度には燃えていてくれた。
乾いた松の針枝をくべるとい音をたて白い煙が立ち上った。それなりの火が起きたところで今度は、小指ほどの太さの枝を入れる。オレンジ色の光に周囲の闇が払われ、洞窟の入口とその周りが森の闇から浮き彫りになった。
さらに太い木を入れ火勢を盤石にすると、そこに調理用の平たい、人間の頭部より少し大きな岩を放り込んだ。
「あったかいな・・・」
異世界にきておよそ二年。最初は楽しくて仕方なかった。吐き気を催すような退屈な授業、面倒な人間関係もない、自分に生来備わった能力を、どころか自分でさえ知らなかったような能力を使い、生きた。
それは生き物としての根源的な感覚だったに違いない。
半年ほどして急に人に会いたくなった。山を歩き、村を探し、見つけた、訪れ、そして追われた。一日落ち込んでいたが剣を振っているとどうでもよくなった。同時にある欲求が生まれた。
人間はどこまでその能力を高められるのか。
そして今に至る。
「お、いい感じに石が焼けたな」
二本の長い木の枝を器用に使い、霧崎は石を引き寄せるとその上に猪肉を厚めに切って載せた。全部で5切れの肉が焼けた石の上で、鳴き始める。
「おおお・・・・はあ・・」
うまそうだ。
油の匂いが鼻を刺激すると、口の中には自然と唾液が溢れてきて、その待たねばならない心持が嬉しくてたまらない。
「そい!」
絶妙なタイミングで肉を返すと、ぴぴ、と手元に熱い油がはねた。慌てて舐めて冷やす動作は、我ながら何とも獣じみてきたように思えて、それはなかなか愉快なことだった。
食事と火の確保が済んだら、いよいよ剣の修行だった。
空を見上げると綺麗な月が出ていた。僅かに朧がかった大気が、月を中心に巨大な光輪を作り出し、地上を照らしていた。
いい夜だ。
いつもの思いが、霧崎の胸を苦しくする。夜に剣を振りに出ると、どうにももどかしいのだ。
これだから止められない、と思う。怒りを覚えて剣を振るい、安らぎの中でも剣を振るい、ありとあらゆる感覚がただ一本の剣に収束する。
澄み切った大気に、極めて静かに霧崎の呼気が鳴った。底冷えするような残光が、唐突に、夜の闇を切り分ける。刀は、あたかも脈打つ体の一部のように宙を舞う。そこにはまるで重さと言うものが感じられない。斬られた者が、その事実にすら気付かない惚れ惚れするような一閃だが、霧崎には十分ではなかった。
もっといけると想う。来たがゆえに、先の深淵を覗きこみたくなる。
つまるところ、おれは剣にいかれてしまっているのだ。幸福なことなのかは、脇に置いておくとしても。
ぶるりと、全身をふるい真面目に数えれば端から忘れてしまいそうな程膨大な勁道を体に通す。そして、体の中から新たな勁道のパターンを模索する。
深く、もっと、今までに無いくらい、深く柔らかく。五年前に始めた時から変わらずに、妥協なく。もはや食事の様なそれをゆっくりと繰り返す。出来れば早く振りぬきたい気持ちもあるが、それは誤魔化しに成るし、悪癖の修正に時間がかかることは、過去に経験済みだ。それは、亀の一歩に等しいが、センス、才能など持ち合わせていない人間は、薄氷の足場を探りつつゆっくりと前に出るしかない。氷を砕いて水に落ちることにも意味はあると思うけれど、しかし人間は面倒を避けたいのだ。
ゆえにこの一回を味わい尽くすように。
ようやく五回振ったところで力みを覚え、最初からやり直す。
三時間の稽古が終わったころには、不思議と霧崎の体は、心地よいものに浸っていた。