昔語り
部屋に入ると、烏は叩き落とされるより先にフェロの寝台に飛び移り、さっそく羽繕いをはじめた。寝台を使った様子はないから、フェロはこの部屋へは帰ってこなかったのかもしれない。帰ってくる理由もないか。ロフォラは最後にみた弟の眼差しを思い浮べる。力を揮うことになれた、傲慢な瞳。法の子の力は、ミューザの敵を討つためにあるのではないというのに。だが、それを言っても、フェロは聞かないだろう。
「なぜ……」
ロフォラの呟きに、烏が小さく羽を撃つ。
「いや」
なぜフェロをこの使命に遣わしたのか、法王陛下の考えを推し量っても仕方がない。フォルビィが使命を果たすのを見届けるのは、自分ひとりで十分なはずなのに。だが、必要のないのに、陛下がフェロを遣わすはずがない。だから、己れのことだけを考えていれば、自ずと使命は果たされるはずだ。それが陛下の力なのだから。
「お前はランデレイルを見てきたのだろう。どうだった?」
烏の翼ならば、その日のうちに往復できる距離に、半年の時間をかけたのだ。法王の目としてそれだけの時を掛ける価値のあるものが、ランデレイルにはあったはず。
「いいオンナがいた」
烏の答えに、ロフォラは頭を掻きむしる。このバカ烏にまともに答えさせるには、どうしたらいいんだ。
「今度ふざけた口を利いてみろ。その羽根を毟って――」
「怖くていい女達と、そして怖い男」
おどろおどろしいその声に、いつもと違うものを感じて、烏の顔を見なおす。だが、人らなぬ存在の表情を見極めることなど出来ようはずもない。
「何を言っている。……何を見てきたんだ?」
「禁じられた業で造られた女と、スルクローサで学び、それを滅ぼした女と、シュタウズの男と、彼の盾の女」
「何のことだ?」
ランデレイル城にいるのは、フィガンの娘だけではないのか。
「お前も少しは、昔のことに思いを馳せたほうがいい」
「陛下の声はやめろ!」
「それでは、私が教えてあげましょう」
たまに使う、低い、心に引っ掛かる女の声で、烏が言った。
ベルカルク王がこのアロウナ大陸を統一し、リーズ師に法王の名を許してから四千と二百年。リーズ法国には、いくつもの不安が残りました。
その中で、もっとも気掛かりだったのは、統一王の支配に最後まで従おうとせず、密林へと逃れた、シュタウズの人達。統一王の長く強い腕も、法王のすべてを見通す目も、密林の奥までは届きませんでした。
そこで法王は、密林に住む、数多の森の民の一つとしてシュタウズを封じ、因果の鎖が朽ちるのを待つことにしました。アロウナの山を震わせた、怒りと憎悪の叫びも、いつしか時の流れにすり減り、梢を揺らすそよ風になることを期待して。
統一王が身罷られてから幾年、法を護ることを務めとする法王が、いくら法を遵守せよと声を張り上げても、力のともなわない言葉を聞く者はいませんでした。そこで法王は力を求められました。キシュであった統一王とは違う、ヨウシュの生みだす力を。
その幾つかは、あなたも知っているでしょう。それは法の子らを産みだす術であり、下界の術者では、習得することも困難な法術であり――
そしてあなたに教えられていない、ヨウシュでありながら、法術以外の力を身につける術。
しかし、リーズはキシュの支配するこのアロウナにおいて、唯一ヨウシュの統べる国。法術以外の力を認めることは、結局ありませんでした。そしてある力は封印され、ある力は忘れ去られ、ある力は、下界へ逃れました。
その逃れた力こそ、法剣術、ヨウシュに剣の力を与える術です。そしてスルクローサは、法剣術士の集う里の一つ。彼らもまた、法の外に生きる者達。しかし、法の外に生きながら、法との共存を選んだ者達。だからこそ、リーズから見逃されてきました。所詮偽りの道を進む者達。リーズの脅威にはなりえないと思われたからです。
そしてまた、法の子らが順調に産まれはじめた頃、リーズではケンシュとヒシュが決して小さくない勢力を築きはじめていました。リーズの仕組みに組み込まれていない者達は、それを逆に幸いとして、己れ達の力を高める研究を独自に重ねました。
法の子として産まれるためにヨウシュに頼るか、それとも運命の悪戯に頼るか。それ以外になる方法のないケンシュを、自らの手で創りあげようとし、そしてその研究は完成するかに見えたのです。
しかしそのたくらみは、法王によって暴かれ、禁じられてしまいました。なぜなら、その業には、多くのヨウシュとキシュの命が必要だったから。罪無き者の命を、徒に奪ってはならぬ。その法を、リーズ自ら破るわけにはいかなかったのです。
その結果、呪われた業は固く封じられ、ヒシュとケンシュはいっそう貶められることとなり、ケンシュが望まれることはなくなったのでした。
いつもありがとうございます。
更新するときに、この話が何話目なのかっていうのが出るんですが、なんと、ただいま99話でございます。
何時の間に……
次回予告。
「使命ガ変ワッタノダ」
烏のその一言は、ロフォラの確信を激しく揺さぶった。
使命とは未来そのものだ。未来は定まっているのではないのか?
三幕第四話「疑いの芽」
10/20 更新予定!
連載百回記念……なんも考えてない(泣)