蛙の子は?
城の左門を出て、トワロ以外の三人は大きく息を吸った。
「うわあ。何か疲れたなあ」
トリウィが両手を広げて大きく背伸びをする。
「何言ってんのよ。あんた、ほとんど何もしてないじゃない」
「わかってないなあ。話がうまくいったのは、俺が献上したあの剣のおかげだぜ」
「そうね。あの剣を買う資金があれば、もっと楽な商売が出来たはずなのにね。旦那様から出していただいた資金を、ほとんどあの剣に注ぎ込んじゃって」
「……で、でも、城内で商売をさせてもらえば、すぐに取り返せるじゃないか。うまくすれば、この城下だけじゃなくて、周辺の出物全部を独占出来るかもしれないんだろ。こんな前例のない取引をまとめようと思ったら、あれくらいのことをしないと」
「まあ、そうなんだけど」
ラミアルは、わずかに恨みがましい目つきで、トワロをのぞき見る。彼女がロウゼンの一党に売った恩は、剣どころか、城さえ購えるくらいなのに。
そのトワロは、物思わしげな眼差しで、今出てきた城の門を振り返っている。それを見て、ラミアルは溜め息を吐いた。駄目だ、マーゴさんとの問題が解決しないと、役に立ちそうにない。
「それにあの剣を持ったロウゼン様が戦っているところを想像してみろよ! っくーー」
馬鹿なことを言いだすトリウィの頭をひとつはたいておいてから、トワロに声をかける。
「ねえ、せっかく娘さんと逢えたのに。また一言も口を利かないままで。よかったの?」
「よくはないですが……」
寂しげに笑う瞳が、ラミアルを見返す。
「初めて逢ったときに、名乗りもしないで別れてしまいましたし……」
「そんなの。親子なんだから、駆け寄って抱き締めてあげれば一発よ」
「ええ……」
トワロは曖昧に首肯いた。グルオンに呼ばれて部屋へ入ってきたマーゴの、硬い表情を思い出す。
罪は、滅ぼせるのか、忘れられるのか、償えるのか、それとも――
赦されるのか。
それは咎人が決めることではない。誰かが裁いてくれれば、楽になれるのに。
――まあいいわ。誰も裁いてくれなくても、時が裁いてくれるでしょう。そのための時間は、あるから。
もう一度、城を振り返る。ラミアルが城に出入りしていれば、わたしもそれについていける。少なくとも自分の目の届くところにあの子がいる。あの子の存在を身近に感じていられる。二度と忘れることはない。
「今日はこれから、どうするんです?」
「そうね。あたし達は、今日の話を具体的に進めるまで、他に出来ることはないし。資金的にも、当面は城下に店を構える余裕はないし。まずは最低限の商品を仕入れて、それを海へ持っていかないと、ね」
コクアと剣術談義に花を咲かせているトリウィを振り返り、肩を落として、言葉を継ぐ。
「明日、管理官に会いに行くまでやることないから、今日中にトワロさんの治療院の場所を見つけておきましょ」
「わたしの方は、いつでもいいんですよ」
「あたし達の方が、明日から忙しくなりそうだから。それに、ほっといたら、違う商売を始めそうだし」
初めて逢ったときとほとんど変わらないトワロの格好を、横目で見下ろす。
木々の梢に遊ぶ色とりどりの風鳥が巧みな筆使いで描かれた、鮮やかな紅い絹の着物。
以前と違うのは、衿も裾も擦り切れておらず、色褪せてもいないこと。
息子や友人の娘を助けた恩人だということで、トリウィが独立するための資金とは別に、トワロが開業するための資金と、高価な舶来の絹の着物を柄違いで十着、トリウィの父親が用意したのだ。
本当に、男ってのは――
トワロに対するお礼にと、紅い着物を提案するトリウィと、それに賛成する旦那様と。いくらトワロに似合っているからといって、治療師に相応しい格好ではない。
そんなところだけ、親子で似てるんだから……
ラミアルの父親もレイクロウヴではかなり大きな店を持っていたが、トリウィの父親は、レイク地方でも随一の大店だ。幼なじみで親しくしていたとはいえ、商人としての格は、随分違う。それはずっと彼の下で奉公していたラミアルが、親元を離れていたトリウィよりもずっとよく知っている。どうせなら商才が似てくれればよかったのにというラミアルの不満は、仕方のないことだろう。
「治療院を開くんだったら、農園の近くか、お城のまわりよね。トワロさんは、やっぱり城のまわりのほうがいい?」
病や怪我を治すことの出来る治療師は、あらゆる地域で引き合いがある。ただ、トワロは怪我の治療しか出来ないから、単純な怪我の多い、農民や城兵相手でなくては、難しいだろう。
「いえ、別の場所を考えているんです」
「別の……? 錬成館の集まるあたり? でも錬成館は、専属の治療師がいるじゃない」
「そうではなくて、わたしは盛り場が――」
「えー!?」
疑惑の眼差しで、ラミアルがトワロを見た。そんなところ、何の店を開くのか、わかったもんじゃない。
「だって、トワロさん、二日酔いとか治せないんでしょう?」
治せるんだったら、お酒を呑んだ明くる朝に、いつも蒼い顔をしているはずがない。
「そうなんですけど。でもああいう場所は、刃傷沙汰が多い割に治療師がいないので、わたしみたいな者でも役に立てると思うんです」
「いいじゃないか。商売敵がいないところで店を開くっていうのは、初歩だぜ。お城のまわりにしろ、農園周辺にしろ、治療院はたくさんあるんだからさあ」
トリウィが突然口を挿む。
トワロさん、美人だからそれでも繁盛すると思うけど。などということを続けて口走る幼なじみに蹴りをひとつくれておいて、ラミアルが言葉を返す。
「そんなことわかっているわよ。あたしが言いたいのは、そんな柄の悪いところで、女の人がひとりで……何よ?」
「トワロさんだぜ。その辺のちんぴら、小指でピンッ、だろ」
実際に小指で弾くふりをするトリウィに苦笑しながら、トワロも言う。
「そんなことはありませんけど。でも、わたしはずっと、そういう場所で生きてきましたから、大丈夫ですよ」
だから心配なんじゃない。そうぼやきつつも、ラミアルはトワロの正しさを認めざるをえない。まわりに腕のいい治療師がいるのに、いくら美人だからといって、簡単な怪我しか治せない治療院にわざわざ患者が訪れるとは思えない。そんなふうに考えるのは、トリウィくらいのものだ。なによりラミアルはヒシュとして、商人として、確実に利益をあげることの出来る出店場所を見逃すことは出来なかった。
いつもありがとうございます。
風海南都先生主催の企画小説「ギフト」に参加します。
連載が中断したらそのせいだと^^;
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「そういう趣向は前もって言ってくれないと……」
一週間前、長期出張の直前に届いた大きな箱の中身に向かって、僕はつぶやいた。
――誕生日おめでとー。プレゼントは、わ た し♪
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次回予告っ!
薄汚れた裏通りに、トワロは溶け込んで見えた。
トリウィの心を、なぜか淋しさがよぎる。
二幕第十話「水を得た魚」
9/25更新予定!
がんばるっす。