追慕の想い
お前は俺を護れ
ならば、お前のために戦おう
「あ、グルオンさん。ペグさん見ませんでした?」
銀の髪と瞳を持った少女が、主殿へと上るきざはしの中途に腰を下ろした女戦士を見上げて、声をかけた。左腕にごつい篭手を着けた女戦士は、しかし膝の上に剣を横たえ、閲兵場を見つめたまま答えない。
「グルオンさん……?」
「――あ……ああ、マーゴか。どうした」
ようやくマーゴに気づき、ぼんやりと見返してくるグルオンに、さらに訊き返す。
「どうしたって……。グルオンさんこそ、どうしたんですか?」
「何が……?」
「ぼう、っとしちゃって」
「あ、ああ」
グルオンは、生返事をして閲兵場に視線を戻し、溜め息を吐く。剣を握るための靱い手で、自分の頬に残る赤い筋を、撫でる。
「グルオンさん?」
さすがに怪訝な思いをあからさまにしたマーゴの声に、やっとグルオンは我に返った。階段の下から見上げる、眉根を寄せたマーゴの視線に狼狽えて、慌てて駆け降りる。そこで初めて、彼女を見上げていたのが、マーゴだけではないことに気がついた。午前の訓練を終えた城兵達も十数人、ちらちらと様子を窺っている。
「ん。何の用だ?」
兵士達に、散れ、と手を振っておいて、もう一度問う。マーゴは首を傾げてグルオンを見上げた。
昨日まではいつもと変わりなかったのに――城内も別に変わった様子はないのに、どうしたんだろ。
「……ペグさん、見ませんでした?」
「いや、今日は見ていないが……。またいないのか?」
ロウゼンがロイズライン城主となってから二百日余り、ペグはちょくちょく城からいなくなる。もちろん、豹も一緒だ。
「また、密林に遊びにいったのか」
諦めたように首を振る。密林は、獣の版図だ。鍛えぬかれた城兵達でさえ、ひとりで分け入ることはない。ましてや幼い女の子ひとりでは、獣の群れに柔らかい餌を投げ入れてやるようなものだ。
初めてペグが密林に行ったときには、森の民を中心とした捜索隊を出し、危険な密林から城主の娘を助けだそうと、大騒ぎをしたのだ。しかし、誰にも見つからずにひょっこりと、平気な顔で帰ってきたりするものだから、すぐに誰も何も言わなくなってしまった。
皆に迷惑を掛けるのだから、せめて自分だけはちゃんと言ってやらなくてはと、グルオンが叱ってはみるのだが、頬を膨らましてロウゼンのところへ逃げ込んでしまう。ロウゼンに言っても埒が開かないし、せめて護衛をつけようとしても、まかれてしまう。とうとうグルオンも音を上げた。
ペグといつも一緒にいる豹は、密林最強の肉食獣である大斑豹の中でも、その身に月の力を受ける金色豹だ。それを襲う獣もいないだろうから、豹と一緒にいるかぎり、ペグも大丈夫なのだろうと、結局すきなようにさせている。
それから彼女は、何日かおきに密林まで遊びにいっている。当然、城から密林へと続く街を通るから、城下では今、万の兵を二人で打ち破った蛮王ロウゼンとその盾のことよりも、豹を連れて道をゆく、城主の娘のことで持ちきりなのである。
「もう。せっかく新しい先生を頼んだのに、ちっとも勉強をしないんだから」
マーゴもぼやく。法術は、幼いうちから修めないと、なかなか思い通りに力を操ることが出来ない。すでに力を発現させているペグはなおさらだ。しかし、ランデレイルで学んでいたエクシアを失ってから、ペグは新しい法術の教師に懐かない。最低限の癒しの術と、得意の火の術は憶えたから、もういいという。
その上、マーゴにも一緒に遊びにいこうと誘ってくる。それにはマーゴも心が揺れたが、ミューザが彼女を諦めたかどうかわからない以上、城から出るのは憚られた。
「まあいいさ。どうせ日が暮れるまでには、帰ってくるだろう。それよりそろそろ昼食だろう。マーゴ、今日は一緒に食べないか?」
「いいですけど」
もう一度、マーゴはグルオンを見上げた。いつもと変わらず飾り紐で髪を編み込んでいる女戦士は、なぜか視線を逸らしている。いつも人の目を真直ぐ見て話す彼女にしては、めずらしい。
今、グルオンは名目上、親衛隊の隊長という地位にいる。彼女の力を知る戦士達、サルトらランデレイルから来た者や、実際に剣を交えた者達、さらには、以前アデミア王に仕えていたことのある者達は、より実権のある三軍の長になってほしいと望んでいたのだが、彼女は常にロウゼンとともに戦うことの出来る現在の地位を望んで、ロウゼンもそれを許したのだ。ただ、ロウゼンは相変わらず城主としての務めを果たしているとはいえないから、彼女も、ランデレイルにいた頃と同じく、城主の代行という役目も背負ったままだ。
それでも、城兵の数を揃えることに汲々としていたあの頃とは違い、サミアス配下の城兵がほとんどそのままロウゼンと主従契約を結んだので、兵力も人材も、さらには資金にも事欠かない。忙しいながらも充実した毎日を送っているはずなのに……
「何か状況が変わったんですか?」
「ん、ああ……いや、別に……」
なにかはっきりしない。ミューザ王の手の者が、ランデレイルに火を放ち、全ての住民を皆殺しにしようと攻め込んできたのを辛くも切り抜け、ミューザの不法行為が明白になってから、彼の版図を囲む全ての勢力は統一法に基づきミューザ領に攻め込んだ。最終的に三十四を数えたミューザ配下の城も、みるみるうちに切り崩されていった。
しかし、ミューザは全ての戦力を、居城であるランデロウガを中心とした五つの城に集め、徹底的に抗戦の姿勢を貫いている。すでに三人の攻め手の城主が命を落とし、戦況は膠着状態になっていると伝え聞く。
それでも多勢に無勢には違いないから、もしかしたら、とうとう決着したのかもしれない。理由は知らないがミューザはマーゴを狙っていたから、そうであれば彼女にとっていい報せだ。そう思って尋ねても、特に状況に変化はないという。
仕方なくグルオンについて彼女の部屋へ向かい、使用人に昼食の準備を言いつける。ランデレイルと違い資金に余裕があるから、下人の数も以前とは比べものにならない。しかし手入れが行き届いているとはいえ、グルオンの部屋には食卓など置いていないから、床の上に花筵を敷き、その上に膳を置いて、食事を始めた。
二人は黙々と箸を進める。グルオンが誘ったにもかかわらず、食後のお茶が注がれても、彼女は口を開かない。
「あの……なにか用があったんじゃないんですか?」
沈黙に飽きて、マーゴが水を向けた。普段グルオンは、三軍の長をはじめとした軍の幹部と、食事を取ることが多い。それ以外にも役所の管理官や農業組合の長、主な錬成館の館主や大商人達との会食なども多く、用もなくマーゴを誘うとは考えられない。城主と契約を結ばない森の民達を軍に組み込んだり、ランデレイルから逃げて来た民達の居場所をロイズラインにつくってやったりしなければならなかったので、彼女は今、この城で一番忙しい人物なのだ。
「ああ……、あなたに教えてほしいことがあって――」
グルオンの目が、日蝕の闇の中、ゆらゆらと二人を照らす燭台の炎に向けられる。
マーゴはまた首を傾げた。生まれてからの歳月は、たしかにマーゴの方が長いのだが、彼女はそのほとんどを、ランデレイルにあったフィガンの屋敷で過ごしている。その身に積み重ねた経験は、常に苛酷な現実に立ち向かってきたグルオンとは比べものにならないほど乏しい。彼女の内なる魂も、その未熟な躰に引かれるのか、稚さを残したままだ。彼女に訊かなければわからないことなど、グルオンにはないはずなのに。
「あの……何と言えばいいのか――」
いつもの果敢な彼女らしくなく、口篭もる。しかしようやく心を決めたのか、マーゴの銀色の瞳を見つめて、口を開いた。
「レイスと……彼の残した想いと話すことは出来るのだろうか」
いつもありがとうございます。
明日……もう今日か、ちょっと旅に出るので小走りホラーはなしで。
べ、別に思いつかなかったからじゃないんだからね(爆)
次回予告!
「レイスと……彼の残した想いと話すことは出来るのだろうか」
グルオンの問いに、マーゴは言葉を失った。
二幕第二話「激昂」
8/28更新予定。
それは奇しくも皆既月食の日。
べ、別に激昂と月光をかけたわけじゃないんだか(蹴