弟
「やっぱり、てめえがバカだ」
兄弟に与えられた部屋に戻ると、寝台の上に胡坐を掻いていたフェロが、いきなりアゴをしゃくりながら言った。
一言くらいは、無事を祝ってやろうと開きかけたロフォラの口が、悪態を吐き出す。
「人を殺す以外に能がないくせに、一人前の口を利くようになったな」
「そのために、わざわざこんなところまで旅をしてきたんだろうが。助けてどうするんだ」
どうやら、ロフォラがミューザの命を助けたことは、すでに耳にしているらしい。
使命に反しているといわれても仕方がない。そのことについては、弟に言い訳するつもりもない。第一、何を言われようが、鼻で笑って聞き流せばいいだけだと思っていた。しかし。
口元を歪めて睨んでくるフェロに、ロフォラは思わず怯む。
ミューザとともに戦に出るまでの弟は、表面上は意気がりながらも、兄に対しての遠慮と、法の子の先達に対しての尊敬の念を抱いていた。それが、今はない。
「……使命は果たすさ。――何があった」
「何が?」
「ずいぶんと、可愛げがなくなったじゃないか」
「そんなもん、はなっからねえよ」
その原因は、ロフォラには想像がついた。キシュが己れの拠り所にするのは、暴力以外にない。リーズでの修業を終えただけの、実体のない自信しか持っていなかったものが、初めて戦の場に立ち、己れの力を確かめることで、確かな自信に変わったのだろう。法の子の戦士が、下界の雑兵相手に、掠り傷ひとつ負うはずがない。
「ふん。無用な血を流していい気なものだ。あの男が誉めていたぞ。俺もいい弟を持って、鼻が高いというものだ」
「てめえが戦に出ろって言ったんだろうが。まあいいけどよう、退屈しのぎにはなったし。ミューザ王が死ななくてよかったぜ。王と一緒にいれば、退屈することもなさそうだ」
「お前は――」
「使命は果たすぜ。俺の使命は王があの女に殺されるのを見届けることだからな。それに、俺が何をしようと未来は決まっているんだろう?それまで俺は、王の傍で楽しませてもらうさ」
「――ならば、いい」
戦士としての力量は、フェロの方がミューザと比べて数段上回るだろう。しかし、どうやら、人としての格が違うらしい。
それとも、あの男の毒に、中ってしまったのだろうか。
だがそれによって、フェロにはそのつもりがなくとも、確実に使命に近づいた。
今まで、ミューザは二度、死に損ねた。ほかでもない、ロフォラの手によって。それは、まだ使命が果たされる準備が整っていなかったから。フェロはまだ気づいていないだろう。準備は整いつつある。ロフォラ自身にその気はなくとも。そして、法王に与えられた使命は、その通りに果たされるだろう。しかし、その使命の意味をロフォラは知らない。
「烏はどうした。お前について行ったんだろう?」
「さあな、戦場に烏はつきものだからな。どれがくそがらすかわかんねえよ。この城にいたんじゃねえのか?」
「いや――」
フィガンという男について、烏が何か知っていないかと思ったが……。
――こいつに訊いても無駄か――
「なんだよ?」
「お前、リーズにいた頃、フィガンという名前を聞いたことがないか?」
「知らねえ」
考えるふりもしないフェロの答えに重なって、何の変哲もない烏の鳴き声が、遠くから聞こえてきた。
「ちっ、いるよ」
フェロが、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「くそがらすは、使命に関係ねえんだろう? 絞めちまおうぜ」
「そういうわけにいくかよ」
ロフォラは部屋を出た。戦場から帰ってから急に血腥くなった弟と、狭い部屋にいることが息苦しく感じられる。
ロフォラは、法の子として、フェロの年齢と同じくらいの経験を積んできている。しかしそれは、法王の目として大陸中を見て回ることだった。誰かを粛正することなどない。人をその手に掛けたことなどない。
人を殺せるだけの力を持っているといっても、それを使ったことがない。実体のない自信しか持っていないのは、今は彼の方だった。
――可愛げがなくなるはずだ。
水場には、誰もいなかった。スコールよけの屋根の下で、洗濯物が雨上りの湿度の高い風になびいている。
ガア
母屋の屋根の上で、烏が鳴いた。
「ずいぶん仲良くなったのね」
女の声で、喋る。ロフォラは、それを見上げた。
「なんのことだ? それより、どこに行っていた。あの馬鹿について行ったんじゃないのか」
「たったひとりの弟を馬鹿呼ばわりするのは、よくないわ」
「…………」
焼き鳥を思い浮べて、こらえる。
「まあいい。お前、フィガンという名を知らないか?」
「もちろん知っている。我の子だ」
「陛下の声はやめろ。法の子だと?」
「そうだ。とはいえ、ずいぶん前に、姿を消したがな」
ロフォラの声。
「なぜリーズを去った。……ケンシュだからか?」
法の子らとして産まれる子供達のうち、ケンシュは望まれることがない。すべての力を合わせ持つとはいえ、戦闘力はキシュに劣り、法力はヨウシュに劣る。比べる対象が法の子であればなおさらだ。ヒシュとして産まれる子供がすべてケンシュになるだけで、下界のケンシュと比べても、特に能力が優れているわけではない。法術の使える戦士として重宝がられるが、それだけだ。
それにリーズは法術師の国、高度な法術が使えなければ、重用はされない。そのためには、法術の修練にすべての時間を割かねばならず、そうすると、ケンシュに生まれた意味がない。
だからリーズにおいて、ケンシュは法の子として生を受けながら、法の子としての誇りを持つことが出来ない。そして、だからこそ国を抜けても、追われることもない。
「なぜ、その男のことを気にかける」
「お前は陛下の目も務めているんだろう。知らないのか? フィガンはヒシュだった自分の娘をケンシュに変えた。その娘は、千の城兵の命を一瞬で奪ったそうだ」
ガァ
烏が小さく羽ばたいた。
「どこにいる」
法王の声。
「ランデレイル、だそうだ。今はそこの城主の娘だといっているらしい」
そして、烏は空へ飛び立った。
ロフォラは、まだ明るい空に目を眇めながら、それを見送る。
――法王陛下は、未来を見通すことが出来る。それなのに、大陸中に目を放ち、耳をそばだてる。未来を知ることが出来ても、今を知ることが出来ないとは、奇妙なことだ。
いつもお付き合いありがとうございます。
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†
夜香毒花
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弥招 栄渾身のエロチックホラーです。
ホラーです!
ホラーですってばっ!!
次回予告
王の目が覚めたと聞いて、キリルは寝所へ向かう。
いまだに竦む己の足を励まして。しかし――
何が王をかくも穏やかにしてしまったのだ!
一幕第十七話「力の在処」
8/18更新予定!
R15ですってばっ(爆)