中毒
女の悲痛な叫び声を聞いて、部屋の外で様子を窺っていたキリルは、部屋へ飛び込んだ。
「王!?」
彼を支配している男が、床に体を投げ出している。目をこぼれるほどに開き、体をのけぞらせ、手足を突っ張らせている。
「誰か……誰か来い!」
戸口から外へ叫ぶ。
「治療師だ。法術師を呼べ。急げ!」
すぐに駆けつけてきた城兵の一人に命じ、王の傍へ取って返す。
「王……どうして!?」
女の背後に立っている、リーズから来た男の言葉が甦る。
――フォルビィはミューザ王を殺す。それは、どのような道筋を辿ろうとも、確定した未来なのです――
「治療師はまだかっ!」
「お願いっ。この人を助けてっ!」
キリルの声に、フォルビィの声が重なる。ロフォラが身じろぎした。
「くそっ。こいつらを押さえろ!」
形相を変えたキリルが命じた。次々に駆けつけてくる城兵が、ロフォラの腕を、肩を捉え、ミューザとフォルビィの傍から引き剥がす。フォルビィにも、さすがに触れる者はいないが、喉元に剣が突きつけられた。
ようやく姿を現わした治療師が、王の傍らに膝をつく。
「毒だ。王の毒を解け」
だが、王は口から血を吹きだし、治療師を跳ねとばす。
「王を押さえて!――何の毒ですか!?」
とりあえず、呼吸を保つための術を施しながら、治療師がキリルに問うた。また一人ヨウシュが部屋へ入ってきて、治療に加わる。しかし、毒の種類がわからなければ、効果的な治療は出来ない。
「何の毒だ」
キリルが、ロフォラに向かって問い詰める。城兵の一人が、彼に剣を突きつける。
「何の毒だ!言え!」
ロフォラは、王に向けていた視線をキリルに向け、口を開いた。
「鳥兜」
トリカブト。僅かな量でも、人を死に至らしめる。だが、治療師がついた以上、そして毒の正体がわかった以上、かならず助かる――
「馬銭。馬酔木――」
「なに!?」
「鈴蘭。樒。蛇根木。一位。夾竹桃」
王の症状は、たしかにトリカブトによるものだけではない。王の手足が震え、歯軋りの音が響く。舌を噛まないように、口に丸めた布が押し込まれた。
「罌粟。大麻。古柯。麻黄。麦角」
ロフォラは、淡々と、毒の名を挙げていく。
「そして、冶葛」
キリルは一層青ざめた。それぞれの毒についての知識はある。それがどのような作用をもたらすかも知っている。だが、これだけの種類の毒を混ぜ合わせた場合に、何がおこるかなど、わかるはずがない。その多くは、ただ一種だけで十分に人を殺せるのだ。治療師に出来ることは、癒しの法術によって毒が体の組織を傷つけるのを防ぎ、それが排出されるのを助けることだけだ。だから、呼吸を保つのか、心臓を護るのか、内蔵の出血を防ぐのか、それとも神経を維持するのか、それがわからなければ、手の施しようがない。
城兵に手足を押さえつけられた王が、大きく跳ねた。――脈が。心臓を保て。治療師の声が聞こえる。四人に増えた治療師全員の顔に、絶望が浮かぶ。
「ロフォラ!お願い。この人を助けて!」
フォルビィが、突きつけられた剣など目に入らぬ様子で、ロフォラに哀願した。
灰色の瞳が、涙を流しながら胸の前で両手を握りあわせている女を、見る。
彼女の願いを聞くわけにはいかない。法王は、彼女に王を殺せと仰せになった。その御言葉どおりにことが運んでいる以上、その道筋を歪めるわけにはいかない。
「陛下は、私にこの人を殺せと仰せになった。でも、私はあの人を殺していない」
まだ殺してはいない。だが、まもなくだ。
「この人が勝手に死のうとしてるだけなのよ!」
その叫びが、ロフォラを揺さぶった。それでは、使命と違ってしまう。この男を殺すのは毒ではなく、この男を殺そうとする彼女の意志でなくてはならない。突然、そう思った。
「――キリル殿。私に任せてもらえませんか」
「ロフォラ!」
フォルビィの焦点の合わぬ瞳が、それでも感謝に輝く。
キリルもロフォラを見た。王に止めを刺すのではないかという疑いと、一縷の望みが、その目の中に浮かぶ。
「彼女は、王をまだ、殺していないという。ならば、勝手に死んでもらっては困ります」
「……かならず助けろ。すべてを見届けて帰るのが、お前の役目なんだろう。もし王が助からなければ、絶対に生かしては帰さんからな。――放してやれ」
ロフォラは、ミューザの傍に跪き、腰に下げた色とりどりの木札を、何枚かまとめて引き千切る。それを両掌に挟んだまま、印を結び、呪を呟き――
為す術もなく立ち尽くす法術師達が、嘆声をあげた。
法術が発動するときの赤い光。どれほど強くとも、朧な月の光よりは輝きが薄い。だが、今ロフォラの手の発する光は、陽光に匹敵した。
異邦からきた法術師は、更に複雑な印を次々と組み上げ、王の全身に光をそそぐ。光がミューザの身体に吸い込まれていく。
額に汗を浮かべながら、ロフォラは一心不乱に呪を紡ぎ続ける。輝く金髪を撚り合せていた紙縒りが、それにつれて解けていく。体中に巻きつけてあった飾り紐や組紐が、色とりどりの糸屑になっていく。そして――
王の呼吸が、徐々に落ち着き、その頬に、僅かに血の色が戻った。
ロフォラは、大きく息を吐いた。毒によって犯された組織は、すべて修復した。口づけした程度では、それほど多くの毒は入っていない。中毒初期、体液の毒の濃い部分が身体を循環するときに、かなりの部分が傷つけられていたが、体中に回って薄まってしまえば、後はこの城の治療師でも、対処できるだろう。
ただの板切れに戻った木札を、懐に入れ、立ち上がる。解けた紙縒りが、ひらひらと舞い落ちた。
「後は、毒が完全に排出されるまで、治療師が付き添ったうえで安静にしていれば――」
「よかった」
安心したのだろう、フォルビィが椅子に崩れるように座り込んだ。
「意識が戻らんぞ。本当に大丈夫なのか?」
「はい。意識はすぐに戻るはずですし、三日もすれば体も本復するでしょう。――私どもの処分は、どうなりましょうか」
キリルは、床に横たえられたままの王を見下ろし、そして、ロフォラに目を移した。なめらかだった顔に、細かな皺が寄る。
「……王の奥方様のことですから、王がお決めになるでしょう。それまでは、奥殿からお出にならないよう、お願いします」
口調が、丁寧ないつもの調子に戻った。疲れたように、親衛隊の戦士に命じる。
「王を寝室にお連れしろ。治療師は片時もお側を離れないよう。ロフォラ殿、後で私の部屋へ来てもらえませんか」
ロフォラが首肯く。城兵が四人がかりで王の体を部屋から運びだした。キリルもそれに続く。
「ロフォラ。ありがとう」
それを見送って、フォルビィが傍らに立つ法術師に礼を言う。
「お前は……」
王を弑する気があるのか。そう訊きかけて、ロフォラは口をつぐむ。その問いを口にすれば、己れに返ってくる。どうしてミューザを助けたのか。
「いや、なんでもない」
首を傾げながら、顔を上に向けるフォルビィに、首を振り、彼女には見えないのに気づいて、その頭を軽く撫でてやる。だが、人に触れられることなどない彼女は、びくりと首を竦め、ロフォラの手にも、それだけで灼けるような痛みが走る。
法王陛下は、この一幕にもなんらかの意味を見つけられるのだろう。だが、時を見透す目を持たない俺達には、それを見ることが出来ない。フォルビィに気づかれないように、想いの力だけで、毒に犯された手を癒す。
いつのまにか、日蝕が明けていた。
いつもありがとうございます。
夏ホラーまで切羽詰ってまいりました。
ここに載せる小走りホラーも思いつかない。
†
眠れない……
明かりを消そうとすると蛍光灯が、
消さないで
って涙をこぼすから。
†
次回予告っ!
「フィガンという男をご存じないですか?」
キリルの口から発せられたその名を、ロフォラはまだ、知らない。
一幕第十四話
8/7更新予定
30分かかったよ(泣)