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「冗談じゃねえや。ちょっとくらい手加減してくれてもいいのに……イテッ!」

 赤黒く腫れ上がった右の二の腕を、ヨウシュの少女につつかれて、少年は飛び上がった。粗末な作りの寮の外から、一日の鍛練の仕上げに剣の型を演じる、少年少女の掛け声が聞こえている。

「そんなことじゃあ、館主様みたいにはなれないわよ」

「うるさいなあ。大体なんでお前が癒し手をやってるんだよ。シイカ師はどうしたんだ?」

 シイカは、この錬成館専属の治療師だ。

「あー。年下のくせに生意気。先生は、誰かさんが後輩を手加減抜きで叩きのめしたせいで、その子にかかりっきりよ」

「だってあいつ弱っちいんだもん」

「なに言ってるの、当たり前じゃない。全然力が顕れていない子を相手に、ちょっと強くなったからっていい気になって」

 さらに強くつつかれて、少年は悲鳴を上げた。

「――ッ! いいじゃないか。それに手加減はあいつのためにならないって」

「さっきと言ってることが違う!」

「痛いって、つっつくなよ! さっさと治せ、って、治せんのか? 見たことないぞ」

 彼女が治療師の卵としてシイカに師事していることは知っているが、少年よりも年上だとはいえ、まだ成人前だ。力が発現していなくても剣を振ることが出来るキシュと違って、ヨウシュは力が顕れなければまったく法術が使えない。力の発現が遅いとぼやいていたことも知っているし、実際彼女が術を使っているところは見たことがなかった。

 そんな少年の問いに、少女は自慢げに笑う。

「昨日やっと先生から許可をもらったの。あんたが初めてなんだ。任せて」

 そう言うと、少年の手を取って、患部を自分の目の前に掲げさせた。少年はマジかよ……などと口の中で呟くが、真剣な少女の顔を見て、口をつぐみ、少女の法術に身を委せる。

 少女は意外と手慣れた様子で、印をいくつか組み替え、小さく、しかしはっきりと呪文を唱える。力が発現する前、幼い頃から術式については学んでいるのだから、当然といえば当然だろう。少女の手のひらに淡い光が、師のシイカであればもっと簡単な印と呪でもっと強く輝くはずの赤い光が、ともる。その淡い、というよりは幽かな光が、少年の目には眩しく映った。

 その光を少女が腫れ上がった腕にかざすと、鼓動と同調して鈍く響く痛みが、優しく暖かな力に包まれていく。これもシイカであれば瞬く間に腫れが退いていくのだが、治療に手間取るその時間が、少年にはかえって嬉しかった。

――少年が暮らしていたのは、城下町に数多い、錬成館のひとつだった。館主であり、少年の剣の師でもある男が二十年ほど前に開いた、まだ新興の錬成館だが、若くして名を馳せた戦士でもあり、城の主とも親しくしていたことから、規模はまだ小さいものの、それなりに繁栄していた。

 とはいえ、何事もなく平穏であったわけではない。

 キシュの戦士にとって、誉れの第一は、まず城主となり、さらには複数の城を支配する王と呼ばれるようになることだ。そして、自らの剣の流儀を興して錬成館を開くことは、それに匹敵する名誉だとされている。

 しかし自らの流儀を興すといっても、それは幼い頃に学んだ従来の流儀が基礎になっているわけだし、ただ個人的に武勇が優れているからといって新しい流儀を開いても、なかなか一般に認められることは難しい。

 少年の師も、彼の学んだ流儀――それは統一王が開祖だといわれる、どの町にもかならずひとつは錬成館がある大陸最大の流儀だ――と構えや盾の形が少し異なるだけで、普通であればとても認められないはずの代物だが、城主の威光と自身の剣名、そしてたまたまその町の統一王派の錬成館の悪評判に助けられて、新たな一派を名乗ることが出来ていた。

 当然、もとの流儀の者はおもしろいはずもなく、陰に陽に嫌がらせや衝突が起こってはいるが、少年にとっては、関係ない。毎日の修業をこなしていくのが精一杯の日々を送っていた。その日までは――

「そういや、昼頃から師匠いねえよな。お前、知んねぇ?」

 シイカの十倍以上の時間をかけて腫れと痛みが退いてきて、やっと少年は口を開いた。聞こえてきていた稽古の声はすでに消え、代わりに食事の用意をしているのだろう、木の椀や皿のかたかたと鳴る音が聞こえている。稽古場の中央で大きな火を焚いて、そのまわりで夕食をとるのが、この錬成館での習慣になっていた。窓からのぞく空はもう暗い。

「館主様? 今朝仰ってたじゃない。城主様に呼ばれたからお城に行くって。戦勝祝いで帰りは明日になるって」

 そう言うと立ち上がり、もうこんなに暗くなっちゃった、などと呟きながら、壁の燭台に火を灯す。

「そうだっけ、ってオイ。途中で止めるなよ」

「もう大丈夫。終わったよ」

「そうか」

 腕をぐるぐると回してみて、眉を顰める。

「まだ痛えぞ」

「うそよ」

 少女は慌てて腫れの退いた少年の腕をとり、とんとんと叩くと、少年はまた小さく悲鳴を上げた。

「痛いって!」

「あれぇ、もしかして、骨までいっちゃってるのかな?」

「あれぇ、いっちゃってるのかな? じゃねえって! 早く治せよ」

「……お腹すかない?」

「…………」

「う……時間がかかるなあって思ってたら、打ち身だけじゃなくて、骨からきた炎症もあったのね。ご飯食べた後、ゆっくり治療しましょ――」

 急に立ち上がった少年に驚いて、手を振る。

「だって、先生は、打ち身だけだろうからあたしに任せるって言ったんだもん」

「そうじゃねえ! なんかおかしい――なんだよッ!?」

 少年の喚き声をかき消すように、錬成館中に悲鳴が湧き、溢れた。

 少年が机に立て掛けておいていた木剣と木の盾を拾う間にも、怒号と悲鳴が響く。戸口に垂らされた筵を跳ねあげて、人影が倒れるように駆け込んできた。いや、部屋に入ったとたんに、本当に崩れ落ちる。燭台の僅かな明かりと、むしろの隙間から差し込む焚火の光に照らされて、道着の背中が大きく斬り裂かれているのが見えた。赤い明かりの中で、傷口のまわりに、黒々と染みが広がる。

「くそっ!! なんだってんだッ!?」

 床に倒れ伏したまま動かない男の子を跨ぎ越し、少年は戸口に向かった。だがそれよりも早く、筵が斬り裂かれる!




お付き合いいただき、ありがとうございます。

あんまり恒例にしたくない、小走りホラー番外編^^;


あなたが私にくれたもの。

この胸いっぱいの愛と。

このおなかに宿る新しい命と。

この子が生まれるまでの間の食料。



次回予告。


「あなたが死ねばよかったのに」

「そうすれば、私は生まれてこなくてすんだのにっ!」

ミューザはフォルビィの髪をつかむと、力ずくで立ち上がらせた――


一幕第十二話「扉」

7/31 更新予定!


人がカマキリやクモみたいじゃなくてよかった(泣)

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