表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/119

傷み


「王が帰ってこられたそうだ」

 机の横の椅子に座って、入り口の方に顔を向けていたフォルビィの首が、く、と傾げられた。

「ん、どうした? ……っ!?」

 目の隅に、戸口の柱に背中を預けた人影を捉えて、思わず飛び退き、籠を落としかけて慌てて抱え直す。城門をくぐってから直接やってきたのだろうか。鎧は着ていないが、身にまとった服は薄汚れたまま、返り血は見えないが、血の匂いは漂わせたままの男。

「王!?」

 籠を急いで床に置き、その横に跪く。

「我が妻の世話、ご苦労だったな」

 ミューザに労いの言葉をかけられて、ロフォラは、は、と深く頭を下げる。

「フェロもなかなか役に立った。奴もおもしろい。奴は人を斬ることを何とも思うておらぬらしいな」

「それは……、戦士とは、そのようなものでしょう」

「そうとも限らぬさ。並みの者は少なくとも、生きた同類と戦っているという意識を、常に持っている。奴に比べれば、人など虫けらと変わらぬと言う俺など、優しいものだ」

 口元を歪める。

「それは奴自身のせいではあるまい。奴を育てた者が、そう奴に刻み込んだものかな」

 ロフォラは、上げかけた視線を逸らせた。ミューザの言っていることは、おそらく正しい。幼子を毒で育てようという者達が、人を人としてみているはずがない。

「いつまでそうしている。踏み潰されたいか」

 いつまでも側に跪くロフォラが目障りだったのか、ミューザが言った。わずかに機嫌がよさそうだったのに、既にそんな気配はない。

 慌てて立ち上がって、洗濯物をどうしようかと迷った。それも束の間、フォルビィの背後に進んで、そこに立つ。そして初めて、ミューザの胸元から白い布がのぞいていることに気がついた。

「お怪我をされたのですか?」

 ロフォラの問いに、フォルビィが、え、と声を上げ、右手をミューザに差し伸ばしかけて、思い止まる。そのかわりに、ロフォラを振り仰いだ。

「ロフォラ、お願い。治してさしあげて」

 ロフォラは迷った。ミューザの様子からすれば、それほど大きな怪我ではないのだろう。しかし、軽い怪我でも膿んだりすれば生命にかかわることもある。王には専属の治療師もいるだろうから、まさかそのような事態にはならないだろうが、ならば怪我をしてすぐに治してしまえばいい。戦場では万全を期するべきだし、怪我をしたままというのは、万全とは言えない。それなのに治療していないということは――

「かまうな」

 やはりわざと治療を受けていないのだ。

「でも」

「痛みは必要だ。たまにはな」

 その話を続けるつもりはない。ミューザはそう首を振る。しかしフォルビィは食い下がった。

「だったら、ミューザ様は痛みを知っておられるのでしょう?ならばどうして――」

「どうした?」

 ロフォラがフォルビィに問うた。ミューザの帰還をとても心待ちにしていたのに、様子がおかしい。

「ミューザ様は、戦でとてもたくさんの人を殺したと……、とても嬉しそうに」

 ロフォラは怪訝な顔をした。ミューザは以前――

「たしか、人は虫だと、殺しても汚らわしいだけだと、そう言っておられたはずでは?」

「駆除が終われば、少しは心も晴れる」

 ミューザはまた口元を歪める。それがこの男の笑いなのだと、ロフォラにはもうわかっている。王はめずらしく、戸口の横の定位置を離れ、窓際に進み、窓を塞ぐ簾に触れた。

「お前も虫が嫌いなのだろう?」

 簾を少し押し上げて、フォルビィの横顔に声をかける。

 虫の意味が違う。ロフォラは思うが、口を挿めない。

「虫は、私に近づくだけで落ちます」

 顔を戸口の方に向けたまま、フォルビィが言った。それは彼女にとって当たり前のことなのに、それでも彼女の表情が沈む。

「毒虫でさえ、私を刺せば死んでしまう」

 くっくっと、ミューザの方から嗤うような声が聞こえた。口元ではなく、頬に笑みが浮かんでいる。空気が凍りつく。

「だから虫を遠ざけるのか? 虫を殺したくはないと? お前に近づく虫が死ぬのは、近づいた虫が悪いということか?」

 くっくっという音に合わせて、肩が揺れる。

「お前が蟻を踏み潰せば、足元にいた蟻が悪い。当然だ。お前は殺したくないんだからな」

「……何が言いたいのですか」

「お前にその意志があろうがなかろうが、殺すのはお前だ」

 だがそれは、彼女のせいではない。

「だがそれでいいではないか。どうせいくらでも湧いてくる」

 王の笑みが、薄まった。

「俺がなぜ、大陸の統一を目指しているのか、教えてやろう」

 ミューザが囁くように言う。

「大陸を統一するのは、すべての民を従わせるためではない。蟻をすべて踏み潰すよりは、牛を一匹殺す方が簡単だからだ」

「あなたはどうして……どうして生命を拒むのですか!!」

「お前がそれを言うのか?」

「私だから――! 私だから言うんです!」

 すべての生命を拒まざるをえない彼女だから、言える。それが伝わったのか、王は戸口の横の柱に、また背中を預けた。簾にかかる陽の光の照り返しが、少し薄れてきた。日蝕が、今日も始まる。




お付き合いいただき、ありがとうございます。

今回のタイトルは「痛み」の誤字じゃありません。

ありませんってばっ!


「ねえ、あたしのためだったら死ねるって言ってくれたわよね」

「ああ、もちろんさ、ハニー」

「じゃあ、今死んでっ!」


……イマイチ(泣)


次回予告っ。


少年は、かけがえのない時を過ごしていた。

傷口に感じる、温かな癒しの光。

だけどそれは、悲鳴とともに切り裂かれる。


一幕第十一話「鍵」


7/28 更新予定!


彼の心は、傷んでいた……そんな感じで^^;

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ