笑顔
たったひとつの灯明に照らされた、薄暗い部屋の戸口を男がくぐった。
寝台と文机だけが置かれた、決して広いとはいえない部屋だが、その僅かな調度は下品にならぬ程度に凝った彫刻が施されていて、寝台に敷かれた布団は、厚みのある上質なものだ。
その上に、まるで体重を感じさせないように、白い髪の女が腰を下ろしていた。
「落ち着いたか?」
女は、焦点の合わぬ黄色い瞳を、男に向けた。
「……ロフォラ……ごめんなさい」
「あやまることは、ないさ。あそこで王を殺していたら、俺達も逃げることは出来なかったからな」
法術師は、笑う。
「ほら、薬だ」
腕に抱えていた、小振りな壷を、文机の上に置いた。釉薬を厚く掛け、口を革で固く封じてある。
「でも……」
女は、それには関心を示さず、続けた。
「フェロは……」
「あの馬鹿。フォルビィが気にすることはない。勝手なことをしたあいつが悪いんだ」
文机の前の椅子に座り、なおも問いたげな女に応える。
「ああ、大丈夫。癒しはかけておいたし、剣を取り上げられて監視も付けられているが、それだけだ。不貞腐れて寝ているさ。……ああ、気にすることはない。ミューザ王はお前に任されている。与えられた使命をどのように果たすかは、お前が決めればいいんだ」
「私に……」
「陛下が、お前にその使命を与えたということは、お前にしか果たせないからだよ。あの馬鹿がどれだけ意気がっても、あいつにはミューザ王は殺せない。あいつに出来るなら、陛下はあいつに使命を与えている」
「あの人は……、どうして私を殺さないんでしょう」
あの人……? ミューザ王のことか。
「俺に、訊かれてもな」
「面白そうだからだ」
弾かれたように、法術師は立ち上がり、そして膝をつく。
ふいに現われた王は、女には近づかず、入り口の柱にもたれ、腕を組んだ。もう一方の柱に吊された明かりが、その顔の半分だけをゆらゆらと照らす。
「私が……面白いですか?」
「面白い」
口元が、歪む。
「お前は、毒使いというわけではないのだろう」
王は女に話しかけた。
「毒使いなら、無差別に触れた人間を殺すはずがないからな」
女は、朧にしか世界と繋がらない瞳を、伏せた。
「それに、死んだ人間を悼むはずもない」
「何が面白いのか、教えてください!」
女が叫んだ。跪いたままの法術師が見上げる。
「リーズといったか、お前達の主は」
しかし王は、話を逸らす。
「その、何千年も生きているという死にぞこないが、何を考えて俺を殺そうとしているかは知らんが――」
法術師が、王に視線を移した。
「それは間違いじゃない。俺が戦うのは、人を殺すためだからな。いつかはその爺いも殺す」
「人殺しが、楽しいのですか?」
王の配下の者であれば、決して発しないであろう女の問いに、王は柱から背中を浮かせた。
「楽しいか、だと。まさか」
「では、なぜ」
「貴様は、目の前を飛び回る蝿を叩き潰すことが、楽しいか?」
「人が……蝿だと?」
「虫けらをいくら捻り潰しても、穢らしいだけだ。殺しても殺しても湧いてくる!」
王は左手を伸ばし、壁に指を立てた。
みしっ、と軋む音をたてて、分厚い木片を引き千切る。
「奴らが死に絶えれば、さぞかし気が晴れると思わんか」
女も法術師も、答えない。いや、王に気圧されて、答えることが出来なかった。その二人の間に王は木片を放り捨てた。
「女、お前は毒で身体が出来ているといっていたな」
法術師の目が、文机の上の壷を、ちらりと見遣る。
「ならば、お前は生きているだけで、他の生命を奪い続ける。俺と同じ、いや、俺は触れるだけでは、殺せないからな」
女が、また目を伏せる。
「くくっ。俺の妻にまさしく相応しい」
再び、柱に背をもたせ掛けた。明かりが揺れる。
「ふん。この部屋では、少し狭いか? 望みがあれば言え」
女は、少しだけ身じろぎした。
「それでは、もう少し窓の大きな部屋を」
「フォルビィ?」
「もしまた、私の許に来ていただけるのなら、私の息の篭もった空気は、毒ですから」
怪訝な顔で女を見上げる法術師に、王は声をかける。
「貴様、女が俺を殺すのを見届けるのが役目だといったな。ならば、俺が我が妻に殺されるまで、俺のために働け」
「……」
「断れば、殺す。どちらでもいい」
「は……仰せのままに」
「あの戦士にも承知させろ。出来なければ、殺す」
「は……」
もう一度明かりが揺れて、王は部屋から出ていった。その誰憚ることない足音が闇に消えてから、やっと法術師は息を吐いた。
「なんというか……毒を吐き散らしているような男だな。……あ、いや、お前とお似合いだなんて言うわけじゃなくて」
法術師の軽口に、女はくすり、と小さく吹き出した。まさか笑うとは思わなかった法術師は、椅子に下ろそうとしていた腰を、一瞬止めて女を見る。
「あの人は、私に何も聞きませんでした」
可笑しいから笑うのではない、嬉しくて笑う笑顔。リーズで使命を与えられ、女に会ってから初めて、そんな顔を見た。
「私を、妻に相応しいと言ってくれた」
そんな顔を見ることが出来るとは、思ってもいなかった。
なぜなら女が与えられた使命は、王を殺せということ。生きて帰ることは考えられていない。彼女は、王を殺すためだけに、この世に生を受け、王を殺すためだけに、今まで生きてきた。
笑えるはずがない――それなのに。
「薬を服むのを、忘れるなよ」
笑うという使命は、与えられていない。
お付き合いいただき、ありがとうございます。
オフラインが忙しくて、泣きそうです。
読んでくれている皆さんだけが、活力の元。
ということで、次回予告っ!!
「ねえ、あんた、本当にそれでいいの?」
フォルビィの言葉に、フェロは目をそらす。
「ねえってば」
「だって、仕方がないじゃないか!」
一幕第六話「避けられないもの」
7/10更新予定!
前回と前々回、話数のカウントを間違ってました……
今度なおそ(汗)




