………盾の二
飢えた獣達は結局、血の匂いの強い、道に向かっていった。二人は夜の密林につきものの危険にほとんどさらされることなく、朝を迎えた。そして……
グルオンとレイスは、ロイズラインからランデレイルの中間にある駅にいた。牛車の歩みでは、一日でたどりつくことが出来ないので、このような中継地が必要なのである。
「ねえ、これからどうする?」
中継地といっても、宿や食堂があるわけではない。牛車を停めるために、密林を切り開き、雨をしのぐために、簡単な小屋を掛け、獣を避けるために、火を焚く灯台がある。それだけのものである。
「サリーンの所に行くの?」
戦の最中では、ほとんど使われることがないので、すでに駅のそこここから、樹の芽が生えつつある。手入れをする隊商がいなければ、植物の成長のきわめて早いアロウナのこと、三年もすれば密林に飲み込まれてしまうだろう。
「ロイズラインは独立したのかな」
複数の城を治める王が死んだ場合は、それぞれの城は、独立する場合がほとんどであるしかし戦で王が討たれた時には、敵の領地に隣接している城は、そのまま降ることも多い。
「この状況でミューザに降ったら、サリーンの裏切りが明らかになっちゃうし」
裏切り、すなわち契約の違反は、すべての勢力からの攻撃にさらされることを意味する。それは裏切りを唆した側も同じこと、もし裏切りが伝われば、ミューザの周囲の勢力がすべて襲いかかり、瞬く間に滅ぼされてしまうだろう。
「でも、サリーンが裏切ったんだったら、あの時、僕らは皆殺しになってるはずだし」
もちろん、口を封じるためである。契約には基本的に期限がなく、一度契約を結べば一生を縛る。契約を解消できるのは、双方の同意がある場合と、どちらか一方が死亡、もしくは契約を破ったとき。一度、なんらかの契約違反を犯せば、彼の持つすべての契約が破棄される。それが統一法である。つまり、サリーンが裏切りを働いたのであれば、そしてそれが明らかになるということは、サリーン、ミューザ双方にとって、破滅を意味する。
「でも、あいつらが引き返した様子はないし」
もしサリーンが裏切っておらず、その言葉どおりランデレイル周辺に軍を、それもすべての兵力を展開していて、それを打ち破られていたのだとすれば、ミューザ軍はアデミア王を討った兵力で、ロイズライン城下に侵入できないこともないだろう。
しかし、城主たるサリーンが城にいる状態で、敵に城下町に侵入を許した場合、城主は降伏しなければならない、それが統一法である。もし降伏しなければ、配下の城兵のみならず、城下町周辺に住む農民たち――ほとんど全員がキシュであり、軍を超える戦力を持つ――を敵に回してしまう。
逆にいえば、戦の最中に城主は城におらず、また、自分を守る十分な兵力も持っているということになる。実際サリーンは後衛一軍一万の兵力を、今も持っているはずだ。つまり普通に考えれば、サリーンの軍は、ロイズライン手前で、ミューザの軍を迎え撃ち、決して十分な兵力を持っているといえないミューザの軍は、アデミア王を討ったことに満足していったん退くか、小競り合いを繰り返しながら増援を待つ、ということになるだろう。
だから普通に考えれば、サリーンは、ランデレイル周辺に展開させた軍を破られてしまい、あまつさえ王を討ち取られてしまったがためにミューザに降ることも出来ず、今非常に厳しい状況に置かれている、ということになるのだが――
「ねえ、どう思う?」
「……」
「ねえったら」
「今考えてるんだ!」
グルオンはキシュであり、レイスはヨウシュである。キシュは大木をへし折る力と、一日中戦い続ける持久力、飛び回る蜂を切り落とすほどの運動神経を持つ。ヨウシュは火を熾し、風を操り、傷を癒す法術を使い、そのために必要な、集中力を持つ。
しかし、あまり頭を使うことは得意ではない。
「とりあえずロイズラインに行くしかないか」
「そうだね。そうと決まれば、ご飯にしよう」
「そうだな」
あまり深く考える質でもないようである。
「そろそろ行こうか」
「行くって、ロイズラインへ?」
日蝕まで、あと半巡時あまり。ほぼ真上から日があたり、密林の中ではもっとも暑い時間だ。
「サリーンが本当に裏切っているなら、彼は終わりだ。それならせめて、私がケリを付けたい」
「どうして」小屋の柱に、もたれ掛かりながら、レイスが横目でにらむ。
「どうしてって……私が王を護りきれなかったから、その償いをしなければ……」
「ふーん……顔が赤いよ。ぶっ」
グルオンの裏拳が、レイスの顔の中央にめりこむ。
「顔が赤いぞ」
顔の下半分を鼻血で赤く染めながら、レイスは掌を鼻にかざした。掌から淡い光が生まれ、すでに腫れ始めた鼻に吸い込まれる。すると鼻血が止まり、瞬く間に腫れも治まった。
「ひどいなあ」
さすがに泪目になりながら抗議する。
「いいじゃないか。すぐに治るんだから」
「ふんっ。棍棒で殴っても、平気な鼻をしてる君に言われたくないね」
言ったとたんにレイスは横っ飛びに飛び退く。その横を、今度は本気の拳が通り過ぎ、手首ほどの太さの柱が、へし折れた。
「わわっ」
小屋の屋根が傾く。が、なんとか崩れずにすんだ。
「と、とりあえず、ロイズラインに行ってみないと、何もよくわからないよね」
「最初から、そう言っている」
この駅に着いたときには、レイスの疲労がかなりひどく、しばらくの間休まざるをえなかったが、ようやく元気になったようだ。
「いまから出ても、日が暮れるまでに着けないね」
「何だったら、負ぶっていってやろうか。その方が早くつくぞ」
「いいよ。君こそ病み上がりなんだから」
法術では傷をふさぐことは出来ても、失われた血を補うことは、当然出来ない。血の足りない体は、常に休息を求めているはずだ。
体力のもともと無いレイスのようにへばったりはしないものの、顔色も悪く呼吸も荒い。
「もう大丈夫だ」
安心させるように、レイスにうなずいてみせる。結局半日近い休息は、レイスのためだけではなく、グルオンのためでもあったということに、気が付いているようだ。
「そう。ならいいけど」
レイスは気遣わしそうに、妻を見つめる。いくら今日中に到着できるとはいっても、ロイズラインの手前で、戦闘が起こっている可能性もある。体調も万全でないことでもあるし、ここは一日この駅で体を休め、余裕を持ってロイズラインに入りたい。しかし、グルオンのアデミアに対する、契約上のことだけではない思い、つながりを知っているだけに、少しでも早く進みたいというグルオンの気持ちを、押し止めることは出来なかった。
「もう少しで暗くなるし、お昼を食べて、明るくなってから出発する?」
「……」
グルオンは、朝食の時に集めていたツルについたままの果物を肩に担ぐと、夫を見向きもせずに、歩きだした。
「待ってよ。分かったよ、行くよ」
グルオンの後を、急いで追い掛ける。
グルオンは、果物をひとつもぎ取ると、レイスに投げてよこす。
「せめて、これを食べてから、出発すればいいのに」
その果物を、腰から抜いた小刀で、皮を剥きながら、それでも文句を言う。グルオンは、それにも答えず、皮も剥かずにかぶりつく。
日蝕の刻の近付いてきた空は、すでに少しずつ、翳りを見せていた。