王
暗い。
まだ頭上を見上げれば、木々の向こうの空は青いのに、グルオンの目は光を捉えることが出来ない。
それでも僅かな赤い光だけを頼りに、剣を篭手で受ける。伸びた腕に右手の剣を叩きつけるが、骨を砕く音だけを残して、跳ね返される。
刃毀れがひどく、棍棒の役目も果たせなくなった剣の、唯一鋭い切っ先を、鎧の隙間を狙って突き通す。
――明日の夜まで戦えるなんて、だれが言ったんだ。
アデミア王を護って、一晩戦い抜いたときは、常に剣を振っていたわけではなかった。敵の囲みを切り抜けるために、暗闇を利用して密林を駆け抜け、出会った敵を打ち倒していった。
一万の敵に囲まれて、たった二人で戦うことが、比べものになるはずもないのに。己れの考えの浅さを、今ほど悔やんだことはない。
――だからといって、他にどんなやり方がある?
一声吠えて、大きく剣を横に薙ぎ、僅かな隙間を稼ぐ。余裕を取り戻しているように見える敵の表情が、腹立たしい。
覚えず一歩後ろによろめき、ロウゼンの巨大な背中にもたれかかる。
「腹が減ったな。ロイズラインを盗ったら、またあの店に行きたいな」
ロウゼンと出会った日、レイスが死んだ日に、行った店。
「あなたはまだ食べていないだろう。モツ煮込みがおいしいんだ」
「食った」
背中ごしに、ロウゼンの背が膨らむ。
「そうか。じゃあ、もう一度食べたいな」
ロウゼンが雄叫びをあげた。
だが、敵は僅かに後ずさるだけで、怯まない。一万の兵力は、たしかにロウゼンの力と拮抗していた。
かまわずロウゼンは、両刃の鋸のようになった剣を振りかざし、飛び込んでゆく。その後ろを、二歩の間をあけて、グルオンが護る。
だが、ロウゼンの薙ぎ倒した敵兵を飛び越え、血を吸った地面に足をついた瞬間、グルオンの右足を、熱い痛みが貫いた。
「がぁ!」
グルオンの喉から、苦鳴が漏れる。刃を立てたまま投げ出された剣が、厚い靴底を切り裂いて、足の裏に食い込んでいた。
剣を地面に突き立てるが、たまらず膝を折る。
ただ、己れに振り下ろされる剣から、目を逸らせまいと頭を上げた。
「ロウゼン!?」
グルオンが崩れたのに気づいたロウゼンが、取って返して薙ぎ払う。ついに折れた右手の剣を投げ捨て、グルオンの襟首を掴んで放り投げた。
「ぐぅ」
道端にそびえる大木に、背中を強打し、グルオンは息を詰める。それを背中にかばい、我こそは城主を討ちとらんと、気勢を一層上げる敵兵を、ロウゼンは身体を張って受け止める。
「駄目だ。あなたを護るのは、私……だ」
剣を支えに立ち上がり、右足をつく。痛みはこらえられても、半ばまで断たれた足先に、力は入らない。かまわず踏み出す。
「下がっていろっ!」
ロウゼンの叫びに、なぜか嬉しさが込み上げ、さらに一歩踏み出す。突きかかってくる剣を左の篭手で受け――篭手が割れた。
左腕を貫き通す剣を無視して、突き返す。が、踏張りがきかず、後ろに再び崩れ落ちた。
それでも立ち上がろうとするグルオンを、大きな影が覆った。
ロウゼンが大きく手を広げて、グルオンに降り掛かる光をすべて受け止め、最後の雄叫びを上げる。
化け物がっ!
城兵が渾身の力で打ち込んだ剣が、通らない。慌てて剣を引く敵兵たちを、一振りで吹き飛ばし――
ロウゼンの剣と、膝が、折れた。
グルオンが藻掻き、立ち上がり、ロウゼンに覆い被さる。とどめを刺そうと、敵兵が一斉に剣を振りかぶる。ロウゼンが、グルオンを押しやり――
「待ていっ!」
よく通る声が、道の上に響き、ロイズライン兵の動きを止めた。
最前列の兵が、不満を露に剣を引き、横に下がる。その奥から姿を現したのは、つややかな革を金で飾った鎧を着けた、傲慢と酷薄を同居させた、まだ若い大柄な戦士。
「僅か二人で、ランデレイルの城を落とした戦士だぞ。貴様等雑兵が、手をかけてよい方ではない」
――誰だ……?
「ロイズライン城主たるこの俺が引導を渡してこそ、ふさわしかろう」
城主……サミアスか。不必要な危険は犯さないが、必要な危険はためらわないという。
こやつにとって必要とは、己れの名誉欲を満足させるため、ということか。ミューザが使えないと判断したのが、よくわかる。
これも金で飾られた鞘から、虹色に輝く剣を抜くのを見ながら、グルオンの肩が震えた。
――やっと頭が出てきた。
ロウゼンの身体が、力を溜めているのを感じながら、自分の体にかかる大きな手に、決して手放さなかった剣を押しつける。己れの命と、同じ重さを持っていた、剣。
「僅かの間だが、お目にかかれて、たいへん光栄だ。では、死んで――」
サミアスの、剣を持ち上げる腕が止まった。
目の前に立ち塞がった、巨大な力を見上げ、必死で剣を掲げ――
石榴のように頭を弾けさせて、地面に叩きつけられた。
密林が一瞬静まり返り、そして騒めく。
城主が討たれた。統一法によれば、これで、ロウゼンが暫定的なロイズライン城主ということになる。ロイズライン兵だった者たちは、今はどことも契約を交わしていない、ただの戦士となった。今度は、ロウゼンの首を取った者が、ロイズラインの主となる。
――ここまで、か。だけどこれで、マーゴやペグ、ランデレイルの民たちを、こいつらが攻撃する理由がなくなった。
後は、どれだけの時間、この人と、戦えるか……
だが――
互いに目を見交わしていた戦士たちは、剣を鞘に収め、地面に膝をつく。
――まあ、そうだな。一万人を相手に、戦える者が、この人以外に、いるわけがないか。
「ロウゼン。大丈夫か」
「……今のが、頭か?」
ぼそり、と呟く。
「何だ。不満なのか」
右足を引きずりながら、サミアスの落とした剣を拾った。
――見覚えがあると思ったら、王の剣か。
アデミア王が愛用していた、元打ちの、剣。ロイズラインで売られれば、当然城主の手にいくだろうな。
「この剣は、折れない。あなたが持つのに、相応しいと思う」
グルオンから受け取った剣を、ロウゼンは目の前にかざし、突き返す。
「やろう」
グルオンは、一瞬呆気に取られ、そして、笑った。
痛む足を折り、膝をつき、おしいだく。
ロウゼンが、王になった瞬間だった。
いつもお付き合いいただきありがとうございます。
次回更新を持って、第二部「闇の瞳」終了となります。
似非予告も、今日が最後……
次回予告!!!!
勇者トリウィは、その体を大地に横たえていた。ダークマンティスにそのすべての力を奪われ、体を闇の色に染めて。
「トリウィ……」
彼の横に跪くラミアルの流した涙が、トリウィの上に落ちた。そのとき――
涙の落ちたその場所を中心として、徐々に光が広がっていく。そして。
「ラ、ラミアル……?」
少女の涙が、トリウィから、そして彼に宿るマンティスから、闇を吹き払ったのだ。
第二部最終話「闇の瞳」
6/19更新予定!
そして、伝説へ……(え?