毀(こぼ)れし刃
グルオンは、肩で大きく息を吐きながら、ロウゼンの、やはり上下に動いている背中を見つめていた。
この人は、どんどん強くなる。
剣の腕というものは、子供の頃、初めて木剣を握った頃が、もっとも早く上達する。
そしてある程度の腕前になってしまえば、上達の速度は鈍る。後は日々の鍛練が、少しずつ、少しずつ、剣技を磨く。
それなのにこの人は、初めて剣を握った子供のようだ。たしかに密林から出てくるまでは、人と戦う機会は殆ど無かったのだろうから、人に対する戦い方の上達が早いのは、うなずけなくもないが、それならば、ろくに人間相手に戦ったことがないにもかかわらず、最初からこの人は、百人を相手に戦えたというのか。
今ロウゼンは、その両手に二本の剣を握っている。すでに三本の剣を折り、そのたびに敵の剣を奪っていたのだが、最初の剣が折れたときから、双剣を使いだした。
恐らく、トワロという女が双剣を使うのを見て、よさそうだと思ったのだろう。
そう考えると、少し心の軋みが治まる。
ロウゼンは、あの女ではなくて、その二本の剣を見ていたのだ。
「サルトが言っていた。ロイズラインの城主のサミアスは、権力志向がつよく、必要な危険はためらわないが、不必要な危険は犯さない、そういう人間だそうだ」
月が太陽を隠し、密林が暗闇に包まれたとき、ロイズライン勢は同士討ちを恐れて、いったん兵を退いた。すでに日蝕は明け、スコールをもたらす雲が空を覆い尽くしているのに、まだ、姿を現さない。
「だから、奴らの計画どおりであれば、サミアスは出陣していないはずだ」
というよりは、よほど戦いの好きな城主以外は、出陣しないだろう。敵の城下に乗り込んで戦い、しかも手柄はミューザ王直属の指揮官が上げる、そんな戦場に出るよりは、手薄になった自分の城を守るほうが、よほど重要だ。
「サミアスはまだ城にいるか、私たちがロイズラインへ向かっていることを知って、慌てて出陣を決めているか。どちらにしろ密林の中に探しに行かなくていいのはありがたいな」
ロウゼンは、グルオンの話を聞いているのかどうか。うなずきもせず、屍以外に人影の見えない道の上を見渡し、止めていた足を動かしはじめた。
息を吐いて、そのあとをグルオンは追う。
今は一時たりとも足を止めている時間はない。ほんの僅かな時間、味方が追いついてくるのを待っていたのだが、誰も来ない。
城を飛び出したとき考えにあったのは、サミアスが城内にいるうちにロイズラインに攻め込んで、統一法をたてに城主の地位を奪おうということだったのだが、この二人では、とても軍勢とは認めてもらえないだろう。
ならば残る手は、戦場に出てきたサミアスを、ロウゼンが討ち取る。それしかない。
すでに二人の体は、返り血で、真赤に染まっている。血だけではない、脳漿も、内蔵の中身も、革鎧の上にも、剣を握る手の甲にも、こびりついている。
以前の戦いのときもそうだったが、二人の戦いについてこれる味方はいなかった。
ロウゼンが敵を砕き、グルオンが盾となる。彼らはたしかに無敵だった。だけどグルオンは、小さなずれ、わずかな歪みを感じていた。
ロウゼンは、どんどん強くなる。伝説が本当なら、古の統一王は、ベルカルクという名の男は、このような戦士だったろう。
私は、ベルカルクの盾と並び称されたこの私は、この人の後ろで戦う資格があるんだろうか。
――いつか私は、この人の足手纏いになる……
天蓋が輝き、雷鳴が轟く。スコールが最初の一粒を、梢の葉に叩きつけた。
「腹がへった……」
大股で歩きながら、ロウゼンがぼそりと言った。
グルオンは呆れた。たしかに昼食の時間はすぎた。だからといって、戦場の只中で言うセリフではない。それに、体の表面にこびりついた様々なものの匂い。すでに鼻は慣れて、何も感じなくなってはいるが、だからといって、食欲を感じる状況ではない。
スコールが、本格的になってきた。乾く間もない血糊は、雨粒に当たって、地面に流れていく。編み込んだ髪の毛から滴る雫も、赤黒く濁っていた。
グルオンは、大きく息を吸う。身体にしみついた匂いが、少しだけ、薄まった気がする。
「そうだな。早くロイズラインを落として、ゆっくり食べよう」
いつか必要とされなくなるときがくるとしても、今はまだ、一緒に戦える。
いや、〈いつか〉はないかもしれない。もう味方の戦士はついてきていない。もしサミアスを討ち取るのに手間取れば、ランデレイルの民は、マーゴやペグは、確実に鏖殺される。
何より、ロウゼンの力も、彼が人である以上、無限ではない。
そう考えて、グルオンは逆に心が軽くなった。
先のことは、どうせわからない。
今出来ることは、この人の背中で戦うことだけだ。敵の城主がどこにいようが知ったことか。この人は何も考えていないようで、敵の頭を嗅ぎ分ける勘がある。それに従っていればいい。
それに――
ロウゼンが私を必要としているんじゃない。私がこの人を必要としているだけなのだから――
ロウゼンの気勢が膨らんだ。
「来たぞ」
そう呟いて走りだすロウゼンと、視界を遮るスコールの向こうに、ロイズラインの城兵共の姿が見えた。すぐに立ち止まり、細い道いっぱいに拡がって、剣を構える。
――こっちはたった二人だというのに、油断も隙もない。さすがに、これまでのようにはいかないか。
グルオンも、ロウゼンのあとを追いながら、右手の愛剣を握りなおした。
アデミア王を窮地から救った褒美として賜ったこの剣も、すでに刃毀れが酷い。元打ちの剣には及ばないものの、後付けの剣としては、望み得るすべての力の紋様が刻み込まれているから、まだ折れはしていないが、研ぎなおしても刃が元どおりになることはないだろう。
――サミアスを討つまで護り切ったとしても、この人は剣を褒美にくれたりはしないだろうな。
雄叫びが大粒の雨を吹き飛ばし、その代わりに、赤い雫を散らす。
千の軍勢を受けとめるはずの壁が、容易く切り裂かれた。
――いや、剣など、斬れれば、そして折れなければ、それでいい。この人が生きていることが、褒美だ。
「ロウゼン!後ろは気にせず、貫通けっ! この先に、頭がある!」
切り裂かれた人の壁が、二人を包み込もうとうねるのに、剣を振って抵抗する。
「サミアスを討ったあとは、こいつらはあなたの城兵になる。突破だけ考えて!」
ロウゼンの両手が、雄叫びとともに横に振られた。それだけで、槌のように敵の戦気を打ち砕く。
ロウゼンの両手、グルオンの右手、三本の腕が振られるたびに、生命がぬかるんだ大地に流れてゆく。
一度洗い流された身体が、再び朱に染まってゆく。直接返り血を浴びない鎧の背中、さらには鎧下までもが、赤に濡れる。
――赤はもう、見飽きた。
グルオンの視界を、敵の頚動脈から吹き出した紅い霧が、塗り潰した。
いつもお付き合いいただき、ありがとうございます。
第二部がもうすぐ終わります。ちょっと寂しいのは、
私だけ〜;_;
次回予告!
さあ、おいで……
血の臭いをかぎつけて、影共がマンティスに殺到する。
いい子たちね。あなたたちの命は、全部わたしが喰らってあげるわ。
その両手の鎌を血に染めて、彼女は哄笑した。
七幕第四話「本性」
6/12更新予定!!
おや、珍しく予告がまともだ――