渦
グルオンは、サルトと、彼と共に駆けてきた初老の男女を出迎えた。農民たちと変わらぬ格好をしたその男女に、彼女は丁寧に頭を下げる。
「ルシアナ組合長。あなたが直接出てくるとは。でも、良かった」
サルトに軽くうなずいて労った後、女に声をかける。ルシアナと呼ばれた女は、まだそれほどの年齢ではないのだろうが、白髪混じりの頭と、気苦労が表面に出てきたような端々の皺で、たしかに初老域にいる夫らしい男と同じくらいの歳に見えた。
とくに今は眉間に寄せた皺が、さらに歳を加えている。
「グルオン殿! 一体これはどういうことです」
まるで胸ぐらでも掴みかかろうという勢いで、ルシアナが叫んだ。
「おそらくミューザ王の手の者と……」
「宣戦布告は? あったのでしょう! なぜすぐに報告がなかったのです。我々との契約はいらないと、そういうことですか!?」
「もちろん宣戦布告はあった。しかし、それは町や城に火が放たれた後のことだ」
「そ……そんな。それは統一法に――」
「もちろん違反している。そしてそれを知っているこの町のすべての人間の口を、ミューザは塞ごうとしていると、私たちは考えているんだ」
ルシアナと、その夫は言葉を失う。
「私たちはランデレイルを捨てる。これからロイズラインの城に向かう」
それを聞いて目を見開くルシアナに、グルオンはたたみかけるように続ける。
「あなたたちには、町の人たちの保護と、背後の守りをお願いしたい……のだが、なぜ武器をもっていない」
訝しげなグルオンに、ルシアナが、吐き捨てるように答える。
「奴らは、武器庫をまず焼いた」
ぶっきらぼうな口調に、悔しさがのぞく。組合の持つ武器は、鋼の木に力の紋様を刻んだものだから、すでに灰になっているだろう。
「武器が無ければ、戦えないか?」
「儂らの武器は、鋤鍬に、鎌だ。剣など持たなくとも、負けはせんわ」
グルオンの問いを侮辱と受け取ったのか、ルシアナの夫が、顔を真っ赤に染めて言い返す。もちろん強がり以外のなにものでもないが、戦う気がある、今はそれだけが肝腎だ。
「ならばいい。私たちはこれからロイズラインを取る。その後すぐに向こうで共闘契約を結べば、とりあえず、ミューザも手は出せんだろう。それまで、あの町に辿り着くまで、町の戦えない者たちを守ってほしい」
「ま、待て。出戦をするのであれば、契約は無効だ。我々が戦う謂れはない。それに、ロイズラインに辿り着く?我らに、この町を捨てろ、というのか。なぜだ?」
「さっきも言ったろう。奴らは統一法を犯している。その証人となる者を、生かしておくはずがないだろう。いや、このランデレイルを、密林に戻すところまでいくかもしれない」
二人の顔が青ざめ、町を振り返る。
「もうこの地には、城はない。私たちは、もうあなたたちを守れない」
「し、しかし、統一法では……」
「ミューザが法を破ったんだ。少なくとも今のランデレイルには、法は――」
グルオンは、己れの剣を見る。
「――ない」
そして、頭を下げる。
「奴らはすでに、ラルカレニとランデリンクも攻め落としている。だけど、すべてのキシュが力をあわせれば、そう簡単には、敗れはしない。頼む。戦えない者を守ってくれ」
盾が護れるのは、盾を持つ者だけだ。盾の影に入れない者は、……護れない。
「サルト。お前はルシアナ殿を助けろ。私は、ロウゼンを追う」
私が護れるのは、一人だけだ。町の人々を護ることなんて、出来るはずがない。
「あたし、間違ってないですよね?」
ロウゼンが城兵たちを連れて、密林に向かうのを見送って、ラミアルが問うた。
「ええ、もちろん。――あなた、ロイズラインまで走れ……るわけはないですね」
「いいよ。私たちがおぶってあげよう。ゼオブロ。あんたはトリウィを背負いな」
子供たちの傍に付いていたコクアが言った。
「大丈夫だよ。俺、走れる」
「本当かい。まあ、辛くなったら言いなよ」
「貴様等、新入りだな。この人たちと知り合いなのか?」
シージが、コクアに問うた。
「ああ、シージ様。まあ知り合いっていうか、まあ、そうだね」
正式な軍の編成ではないが、とりあえず軍長としての待遇を与えられているシージに、コクアも形だけ恭しく対応する。
「そうか……。マーゴ、お前もこいつらに背負ってもらいな」
「……わかりました。ペグさんは?」
「あたし、いい」
ペグはそう言うと、豹にしがみつく。
「そうか……では――」
続けて指示をとばすシージの向こうを、手に鋤や鍬をもった農民たちが駆けてゆく。
「シージ。手筈はついたか?」
グルオンが呼び掛けてきた。
「あ、ああ。こいつらを守ればいいんだろ」
「それだけじゃない。私たちは突破だけを心掛ける。討ちもらした敵はまかせる」
トワロを見る。
「あなたもまだ戦えるか?」
子供たちを守ってくれるからといって、トワロが戦わなくてはならない理由はない。彼女の価値観からすれば、そうだ。
でも、彼女は、見返りもないのに、すでにトリウィとラミアルを助けた。それだけではない。ここには、目の前には、彼女の娘がいる。
はあ。トワロは、溜息をひとつ吐いてうなずいた。わたしの信条なんかどうでもいいわ。この町に来たいと思ったのは、わたしだから。わたしのあの子にも逢えた。信条を少し忘れることくらい、なんでもない。それに、このグルオンとかいう女戦士に頼まれなくても、きっとわたしは戦う。
「女。お前はトワロというのか?」
シージが、血に塗れた自分の手を見て、秘かに笑みを浮かべているトワロに声をかけた。
「双剣を使うトワロ……。まさか、スルクローサの?」
その言葉を聞いたトワロの目が、す、と細められる。ただそれだけで、尊大なシージが、それ以上何も言えなくなった。ロウゼンの、縛りつけ、押し潰そうとする威圧感とはまったく異質の、細く鋭い、毒針のような感覚。
「い……いや、なんでもない」
「せんせいは?」
ペグがマーゴに訊く。
「エクシアさん……?」
マーゴが辺りを見回す。そういえば、姿が見えない。マーゴとペグが、二人でグルオンを見上げた。
グルオンは、二人に背を向ける。
「行くぞ。後はロイズラインを破るだけだ」
グルオンも、エクシアのことは知らない。城で火の手が上がったときも、その後閲兵場に集まったときも、姿はなかった。ならば、恐らく……。
「せんせいは?」
ペグの重ねての問いに、マーゴは返答に困る。グルオンの態度が、何を意味しているかは明らかだ。
「……大丈夫よ。大丈夫。すぐに来るから――」
「……うん」
ペグはうなずいた。
グルオンは、それを背中で聞いて、走りだした。
――意味もなく人は死ぬ。ロウゼン……あなただけは、死なないで……
お付き合いいただき、ありがとうございます。
この部分の更新作業をしながら流しているテレビ画面では、二人の方の死のニュースが大きく取り上げられています。「死」には、どんな意味があるのだろう。それは、赤天を書きながらずっと思い続けている疑問でもあります。
彼らの魂が、どうか安らぎに包まれますように。
次回予告。
トリウィの影の中で、ひとつの意識がふるえていた。闇の中に見えるひとつの光、それを目指して邪悪な闇が押し寄せてくる。
いいわ、わたしが守ってあげる。なぜならあなたは、わたしの罪の――
七幕第一話「証」
6/2更新予定