………剣の三
マーゴがロウゼンにかくまわれてから幾日かが過ぎ去った。
「ペグさんは今いくつなんですか?」
いつのまにか『さん』づけで呼んでいる。
「……」
「ペグさん、まだ小さいのに、法術使えるんですよね。すごいですねえ」
「……」
――相変わらず、口を利いてくれない。といっても、豹に向かって、「豹、来い」とか、ロウゼンに向かって、「メシ」とか言っているので、まったくしゃべれないわけではなさそうだ。
おそらく一緒に暮らしているのが、無口なロウゼンなので、話す、ということを学ぶ機会がほとんどなかったせいだろう。
じゃあ、なおさら私が話しかけないと、などと思いながら、とりあえず、ペグに付きまとうことしかやることがない。大体、マーゴはこれまで、密林で暮らしたことなどないし、それどころか、料理すらやったことがない。ペグを手伝おうにも、何をしたらいいかよくわからなかったし、かといってロウゼンには、ついていこうにもついていけるわけもない。
ロウゼンはその間、二日か三日に一度狩りに出掛け、鹿や豚、大蜥蜴、それと毎回甘い果肉のいっぱい詰まった果物を獲ってきた。
狩りに出ない日は、一日中、剣を振り回し、ペグは、それを見ながら、豹と戯れ合ったり、食事の支度をしたりした。そして夜になると、ロウゼンは、小さな木の椀に注いだ酒を飲んで、あっという間に寝てしまう。
ちなみに彼は酒にかなり弱いらしい。なぜなら、彼の飲んでいる酒は、果実を発酵させた甘いもので、町では子供でさえ、喉の渇きを潤すのに、がぶがぶと飲んでいるようなシロモノなのである。それを一口飲んだだけで、顔だけでなく体中が真っ赤になってしまうのだから。
そして、また新たな一日が始まる。
密林の空気が、少しずつ明るくなっていき、様々な鳥や、獣の鳴き声が、少しずつ騒がしくなる頃、いつものように、ロウゼンと豹が起きだす。
そしていきなり剣を振り回しはじめ、その風を切る音で、ペグとマーゴが目を覚まし、朝食の準備をはじめる。いつものようにペグが火種を使って火を起こし――火種を使わなくても、火を起こせるんじゃないのですか、と聞いてみたが無視された――薄めに炊いた粥と、果物、そしてロウゼン用に肉を焼く。その横では、いつのまに獲ってきたのか、大きなリスを豹が食い散らしている。
もう二日狩りに出ていないから、今日は狩りに出掛けるのかな。今日はペグに、豹に名前を付けてあげようって話してみよう。でもまさか、豹ってのが名前じゃないわよね。ああ、お腹すいた。もうすぐ粥も炊けるのかな。いい匂いがしてきたな……。
突然豹が毛を逆立て、小さく唸りはじめた。
ロウゼンも、剣を振り回すのをやめて、木々の間を見透かすようににらみつける。
「どうしたの……何があるんですか」
「穴の中に、入っていろ」
振り向きもせずに、ロウゼンが言う。
まさか追っ手が来たのだろうか。マーゴの背筋が凍り付く。もちろん今まで、追っ手の存在を忘れていたわけではない。しかし、ロウゼンに保護されてから、なにか大きなものに――本当の父親に護られているようで、つい心の片隅に追いやっていたのだ。
思うように動いてくれない手足を叱咤しながら、住居にしている木の洞に向かう。そして、その入り口にたどり着いたとき、密林の下生えの茂みが大きく揺れた。
そこから姿を現したのは、バスキン達の馬車を襲ったのと同じ頭冠を付けた、十人を超える兵士の姿だった。実際に、その時見かけた顔もいくつか見える。
「やっと見つけましたよ、マーゴ様」
あの指揮官がロウゼンの方に目を遣りながら、口を開く。
「このまわりはすでに囲んであります。この男も、命を捨てて、あなたを護ろうなどとは思わぬでしょう」
ロウゼンのまわりも、十人近い兵士が囲んでいる。
「あなたも、よくマーゴ様をこの密林の中で、護ってくださいました。あなたがあの商人から、マーゴ様の護衛を請け負ったのは知っていますが、それに加えて、十分なお礼もさせていただきましょう」
ロウゼンの足元に、中身の詰まった袋を投げる。
「さあ、マーゴ様」
マーゴは、胸の前で手を握りしめ、そしてうつむく。その視界に、金色の毛並みと、それにしがみついている、小さな女の子が映った。わずかな期間だったが、自由をその身に感じてしまった後では、あの暗闇に囚われた日々に戻ることは死よりもつらい。でもここにはペグもいる。ロウゼンもこれだけの兵に囲まれて、切り抜けることはできないだろう。このままでは彼らも殺されてしまう。
――私がいるから――
「……わかりました」
城兵達の方に、一歩を踏み出す。
――みんなが死んでいく――
「お父さまもお喜びになりますよ」
指揮官が、マーゴに向けて手をのばす。
――私さえいなければ――
ざんっ
突然密林の木々が騒めいたかと思うと、静寂が辺りを包み込んだ。目にも耳にも感じることのできない力が、この広場に渦巻いているのが、肌を通じてわかる。
誰も身動きができないほどの、
「そいつは」
圧倒的な力。
「オレの娘だ」
渦の中心で、力が剣をふるう。突発時における訓練を受けているはずの兵士たちが、力への畏れで動けない。
「誰にも渡さん」
ふたつに分かたれた身体から、赤い虹が吹き出す。
――血――
「死ね」
しかし恐怖が、畏れを駆逐する。みなを縛り付けていた鎖が、解き放たれた。
「うわあああぁぁぁ」
ロウゼンのまわりの兵士が一斉に切り掛かっていく。しかしその足並みは乱れ、とても訓練を積んだ戦士のものではない。その兵士たちが剣を振り下ろすよりも早く、ロウゼンは、敵のなかに飛び込み、剣をふるう。
――はらわた――
兵士たちは成すすべもなく斬られ、たとえ盾で受けたとしても、盾を割られ、剣で受けたとしても、そのまま力ずくで押し斬られてしまう。
――転がる首が私を見つめる――
絶え間なく上がる悲鳴に誘われるように、密林の中から次々と、新手の兵が飛び込んでくる。密林の中で結界を張っていた兵だろうが、あまりの惨状に言葉を失い、また、すでに指揮官も切り倒され、連携して動くこともできない。
それでも任務を忘れていない者もいるのか、それとも、ロウゼンから逃げようとしているのか、幾人かの兵がマーゴの方に駆け寄ってくる。
「ヒョウ!」
ペグが悲鳴を上げた。
それまでペグの横で唸っていた豹が、すがりつくペグの手を振り切って、飛び出していったのだ。
「ガッ!」「ぐわっ!」
豹が、瞬く間に兵士たちの喉を食い破る。その力を喪った身体が、ペグの前に倒れこむ。
「あ――――――――――っ」
突然ペグが、大きな叫び声をあげる。
大きく見開いたその瞳が、獣の歯形を喉に刻んだ死体を映している。その死体の顔に、食い殺された両親の顔が重なったのか――
「ああああああああああああっ」
ペグの小さな魂が、消し飛んでしまったかのような叫び声。
その声に一瞬、ロウゼンがペグの方を振り向く。その隙をついて、脇腹に敵の剣が突きささった。
「ばかなっ?」
その剣は切っ先が潜り込んだところで止まり、次の瞬間、その剣を持った手が、胴体ごと切り落とされる。切り口から、赤い血にまみれて、まだ動いている――
――私の心臓――
ロウゼンの剣が振られるたび、豹の牙が噛み合わされるたび、新たな、生暖かいものが、地面に転がる。
――いのち――
しかし、いったい何人の兵を投入していたのか、さらに多くの兵が駆け込んでくる。後続の隊を率いていたのだろうか、指揮を執るものも現れ、囲みを形づくりはじめた。
ロウゼンは、それでも切り込んでいく。その身体は血で真っ赤に染まっているが、決して返り血ばかりではないようだ。
ギャウ!
豹のからだが跳ね飛んだ。やはり赤く染まったその腹の辺りから、血が滴っている。
「ヒョオ!」
我に返ったペグが、豹を呼ぶ。
ジイィンッ!
どれほどの剣に叩きつけられてきたのか、ついにロウゼンの剣が折れ飛んだ。残った柄を投げ付けると、さらに殴り付け、捕まえた兵の首をへし折る。そのまわりを兵達が囲む。
――私の命は――
マーゴの銀色の髪の毛が、静電気を帯びたように踊りだす。頭頂から背中まで、電気が走る。足元から青白い光が、這い上がってくる。意識と躰の間に住むモノが、出口を求めて蠢きだす。そしてすべての記憶と、感情が、その扉を開いた!
「いかん。早くあのガキを押さえろ」
指揮官の男が、マーゴを指して叫ぶ。
豹にとどめをさそうとしていた兵達が、慌ててマーゴに手をのばす。
ペグが豹にすがりつく。
ロウゼンが、マーゴをかばおうと突っ込んでくる。
マーゴの顔に、凄まじい笑みが浮かぶ。
辺りの景色が一瞬明るさを失い――
マーゴの殻から、暗い、濁った、小さい、幾つもの、赤い、光の塊があふれだした。
「うわああ?」
赤い光の玉が、兵士の身体に吸い込まれると同時に、兵士の目から生気が失われ、倒れこむ。その身体から輝きを増した光が抜け出し、次の兵士に向かっていく。斬り付けられる剣は、素通りし、次から次へと。
赤い輝きが広場を覆い尽くし、そして薄れていったのは、呼吸二、三回ほどの後。そして、その場に立っているのは、ロウゼンとマーゴの二人だけ、いや、マーゴもすぐに崩れ落ちた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
話自体は完成していて、それを手直ししていくだけなので、それほどお待たせせずに更新できると思います。おたのしみに♪