劫火
急に豹が脚を止めた。細い路地の方、風上に鼻面を向ける。その路地に立って豹に目を奪われていた商人が、慌てて身を避ける。
「豹?」
ペグが振り返って豹を呼ぶ。
「どうしたの?」
少し遅れて歩いていたマーゴが追いついて、ペグに訊く。豹が体を少し伏せて、小さく唸り声を上げている。
「きな臭い」
ランタナが口を開いた。
「油の匂いだ」
「そうですか?」
コルスが形の良い鼻をひくつかせたその時、遠くの方から木板の打ち鳴らされる音が聞こえてきた。最近この音が鳴るたびに叱られているペグが、首を竦める。
「火事……でしょうか?」
後ろを振り返るが、城からはずいぶん離れて、まもなく農園に入ろうかというところまで来ている。城から煙が上がっているかどうかはよくわからない。さらに木板の音はひとつだけではない。あちらこちらで連鎖的に音が広がっていく。
「戻りますか?」
「そう……ですね」
コルスの問いに、マーゴはペグをちらりと見てから、答えた。彼女はがっかりするだろうけど、仕方がない。またいつでも遊びに出れるだろうし。
「ペグさん――」
「マーゴねえちゃん。あれ……」
声を掛けたマーゴを振り仰いで、ペグが指を差す。その先には農業組合の倉庫がある。ほとんど使われた様子のない戸口の様子からすれば、作物や農機具を収めるものではなく、共闘契約が発動したときの為の武器を収めた倉庫だろう。その倉庫の風取りの窓から、うっすらと煙が吹き出している。
マーゴがそれを見て取った途端――
倉庫のすべての窓から火を噴いた!
「あたしじゃないよ!」
「わかってますって! 一度お城へ帰りましょう」
「ええー!?」
「早く」
ぐずりかけるペグの手を引く。
「マーゴさん!!」
突然コルスが剣を抜き、マーゴとペグを背後にかばう。方々の細い路地から、抜き身の剣を手にした戦士たちが駆け出してきた。身につけた装備はばらばらだが、皆一様に薄汚れており、荒んだ雰囲気をまとっている。
「なんだ?何が起きた」
「火事じゃ?ぎゃあ!」
「うわあ!野盗が攻めてきた!」
「助けて……」
飛び出してきた賊共が、手当たり次第に町の人間に斬りつける。通りにはヒシュの商人だけではなく、キシュの農民もいたが、武器も持たない状態では逃げ惑う以外に為す術がない。
……見ろ、銀の髪……言っていた……王の……殺すな……
マーゴらの近くに飛び出した野盗の形をした戦士たちは、彼女を目にすると目配せをし、囁きを交わす。そして逃げ回る町人たちを尻目に、四人と一匹を囲んだ。
どうして?どうしてわたしを狙う?あの男は死んだのに――
「おねえちゃん、いたい」
握り締めていた小さな手を、慌てて離す。その手がすぐにすがりついてくる。
「なんだい? こいつら」
「マーゴさん?」
ランタナとコルスの問いに、マーゴは首を振る。
「知りません。どうしてわたしを――」
……もう一人のガキ……必要ない……殺せ……
無抵抗の人間を斬り殺す時にはなかった殺気が、コルスとランタナに向けて膨れ上がる。
「壁際に寄って!」
なんとか子供たちを守ろうと、コルスが叫んだ。脱出路を切り開こうと、ランタナが手薄と見える隙間に切り込む。剣戟の音が響き、血煙が舞う。腕の辺りから血を吹き出しながら、小柄なランタナが跳ねとばされる。
「ランタナッ!!」
敵から目を離さず、コルスが叫ぶ。左手を体の横に力なく垂らし、それでも右手には剣を握り締めてランタナが立ち上がる。
「邪魔だ!」
コルスと向き合う敵が、三人まとめて斬り掛かってきた。コルスは真ん中の女戦士の腕を、剣ごと斬り飛ばし――
革鎧に覆われたコルスの背中から、二本の剣先が生えた。
「コルスさんッ!!」
ペグの悲鳴とマーゴの絶叫を背に、ランタナが腕から血を滴らせながら、立ち塞がる。
お付き合いいただきありがとうございます。
ここからしばらくは言葉はいりませんっ!!
次回予告っ!!
二人の周囲を、渦を巻く炎が取り囲んだ。
「くそっ、こうなったら――」
「だめっ、これ以上召喚したら、あなたの身体はマンティスにっ!!」
「こんなところで焼け死ぬよりましだっ!」
六幕第六話「侵掠」
4/28更新予定!!