理由
ロウゼンは主殿の上座に一人居た。疵だらけの板の間に、敷物も敷かず胡坐を掻く。両の手を両膝に乗せ、顎を少し上げ、目を見開いて微動だにしない。
この城に入って以来、ロウゼンは一日の半分を庭で剣を振り、残りの半分をこの場所で過ごしていた。この場所に座ったまま食事を取り、この場所に横たわって眠る。そしてこの場所で考える。
城の運営、城主としての役割は、グルオンがすべてこなしてくれる。だからロウゼンがすべきことはなにもない。だからロウゼンは待っていた。
「ロウゼン。ちょっといいか」
グルオンが、奥殿につながる廊下から入ってきて、ロウゼンに声を掛けた。ロウゼンは彼女に視線を向けると、目の前の床を顎で指す。グルオンは、しかしロウゼンの示した位置には座らず、立ったまま彼を見下ろすように見つめる。
もしかしたら、今は亡き夫、ほとんど一緒にすごすことのなかったレイスよりも見慣れたかもしれない大きな姿。
「もうすぐ、共闘契約があける。その前に、あなたがどうしたいのかを聞いておきたいんだ」
農業組合が城や城下町を守るために一緒に戦ってくれる共闘契約は、統一法によって期限が定められている。その期間は三百日。それが終れば、城兵のみの力で戦っていかなければならない。その代わり、こちらから攻め込むことも可能になる。
「共闘契約がなくなれば、おそらくこの城は周りの勢力から集中的に攻め込まれる。城の戦力はなんとか二万近くまでになったから、一度や二度はこの前の時のように撃退することも出来るだろうけど、それが続けばジリ貧だ。かといって、資金が不足しているから、これ以上一気に兵を増やすことも出来ない」
そう言って、もういちどロウゼンの顔を見る。何を考えているのか、彼の表情は変わらない。
「それにこれから先、大陸の統一を目指すのなら、守ってばかりというわけにもいかないからな。まずはロイズラインかランデリンクあたりを攻め落としたい。そうすれば、新しく共闘契約を結べるし、兵力をここに移すことも出来る。資金も一息つける」
「大陸統一とはなんだ」
唐突に、ロウゼンが口を開いた。グルオンの目を真っすぐ見つめている。グルオンの背筋に痺れが走る。
「それは俺に必要なことか」
今更何を言っている。統一法を変えるといったのはあなただろう。仮にもキシュとして生まれたのならば、大陸の統一は、最高の栄誉だ――
様々な言葉が、グルオンの心の中を駆け巡る。しかし彼女が口にしたのは、それらではなかった。
「私に必要だ」
しかし、自分の言葉に、狼狽えてしまう。
「それでは……駄目だろうか……?」
ロウゼンの視線から我が身を隠したい。その衝動を必死に堪える。
この男は、人並みの欲求をあまり持っていない。特に町の人間の持つ名誉欲など、それを持つ人間がいるということすら理解できないでいる。だからこの男は、意外にも人の為に戦う。いや、戦いぶりを見れば、そして剣の修練を欠かさないところを見れば、この男が戦いを好むことは間違いない。だが戦う理由を、己れの中ではなく、他人の中に見つけている。グルオンは、ロウゼンの視線を通して、それを感じた。私の為に戦ってくれ、その言葉は、ロウゼンに戦う理由を与えることが出来る。だが、その言葉を発して、本当によかったのだろうか――
突然、城内に木板の音が響き渡る。ロウゼンの気が逸れ、グルオンも体から力を抜いて、一息吐く。
またペグか。グルオンは頭をひとつ振り、背後に振り向いた。エクシアにも気をつけるように、あれほど言ったのに。そこまでぼやいてから気がついた。ペグは今城内にいない!
「どうした。何が起きた!?」
グルオンが飛び出すよりも早く主殿に駆け込んできたサルトに、叫ぶ。
「火事です!」
「だったら早く消せ!」
「それが……一ヶ所だけじゃない……城内だけじゃないんです!」
「どういうことだ!?」
サルトを引き連れて表に飛び出る。そして、立ち尽くした。
城下町を覆う空が灰色に煙っている。曇っているわけではない。町中から立ち上る煙が、太陽すらも隠しているのだ。
「なんだこれは!?」
そう呟いたのは、サルトの方だった。火事を報せに主殿に入ったわずかの間に、これほど広がっているとは。その横でグルオンが鼻をうごめかせる。
「この匂いは……油!?」
突然、城内を絶叫が満ちた。すでに煙を吹き出している兵舎から、城兵たちが駆け出し、そして、倒れる。その後ろから、血に濡れた剣を手に、戦士たちが現れた。
「グルオン……さま……」
常に身から離さない剣を抜き、走りだそうとしたグルオンを、弱々しい声が呼び止める。主殿の周りを囲む廊下の角から、人影がひとつよろめき出る。
「……!? ジェイフィア!!」
その名を呼びながら、崩れ落ちる体を抱き留める。彼女の背中に回した左手の篭手の中にまで、生暖かいどろりとした液体が流れてくる。
「裏切り……」
最後の息を吐いて、ジェイフィアの身体から力が抜ける。
「グルオン!! どういうことだ、これは!?」
その向こうから、シージが走ってきた。彼の下げた血塗られた剣がグルオンの目に入る。
「シージ! 貴様かぁ!!」
ジェイフィアの亡骸を横たえ、一声叫んだグルオンがシージに斬り掛かる。シージは慌ててそれを防ぐ。
凪いでいた風が、火に煽られて巻き起こり、熱い煙が城の中に充満していく。それとともに、剣を打合せる音があちこちで響く。
戦っているのは、主に森の民と野盗上がりの戦士たち。正規の城兵は消火を諦めて、サルトやグルオンの指示を仰ぐため、閲兵場に集まりはじめている。だがそこも味方同士であるはずの戦士たちが、剣を交えている。
その中に、ロウゼンはゆっくりと歩いていった。
お付き合いいただき、ありがとうございます。
さあ、いよいよクライマックス、風雲急を告げるランデレイルに集う一同の運命は!?
って、前にも書いた気がするけど気にしないっ!
次回予告っ!
「くっくく。あーはっはっは。燃えろ。燃えろ〜!」
炎の赤が、金色の魔獣の毛並みに映える。
その横で、哄笑する少女。
「まあ、ペグったら、ご機嫌ね」
六幕第五話「劫火」
4/24更新予定!!
クライマックスぽい?