六幕・力の欠片(かけら)
まだ薄暗い奥殿の一室で、銀の髪の少女が明かりも点けずに、壁を見つめていた。
今は焼け落ちた、屋敷の見張りを殺したとき。密林の住処で、追っ手たちの命を奪ったとき。この城で、千の城兵の命を奪ったとき。この部屋で、スロウという名の男を殺したとき。そして、この手でフィガンという名の父親を殺したとき。
わたしは何を考え、何を想っていたのだろう。わたしには確かに力がある。それがわたしのものではない力であろうとも、自らの意志で使うことの出来ない力であろうとも、恨みと怒りを晴らすために、わたしに委ねられた力だとしても。
それでも、この身に宿った力であることは間違いない。
わたしの力の源、それは、大勢のまだ幼い生命が、一人の男の意志で、無残にも奪われた、その怒りと、無念と、恨みと、憎しみと、絶望と……
少しずつ、記憶の奥へと沈んでいく。中央を格子で区切られた、暗い部屋。滴る血と、幼い断末魔。頑丈な机に縛りつけられた、まだ細い手足。そしてその残骸。
ざわざわと血が騒ぎ、銀の髪が踊る。銀の瞳の奥が、血の光を放つ。体を電気が走り抜け、どす黒い、赤い光が脳裏に映る。手足が、心臓が、すべての骨に巻きついた筋肉が、震える。抱き締めた己れの腕に、指が食い込――
「おねえちゃん?」
「きゃっ!? ああ、びっくりした。ペグさん?」
かすかに現れていた力の欠片が、消えた。
「どうしたの?」
「ごはん」
いつのまにか、小さな窓からも光が差し込んできている。その光に、マーゴは自分の手をかざして見つめた。
もう三十年近く成長することのない、小さな白い手。目には見えなくとも、今はただ白いだけではない手。
服の脇を、もっと小さな手が引っ張る。見ればペグが、不思議そうな顔をして見上げていた。
「あ、ごめんなさい。行きます」
そう言って、部屋を出る。いつもなら、マーゴを呼びにきたペグは、そのまま先に走っていくのだが、今日は珍しく、マーゴの横をついてくる。
「どうしたんですか?」
訊いてみると、琥珀色の瞳を曇らせて、うつむいた。
「……豹が、げんきないの」
「豹が?」
密林の肉食獣のうち、最強といわれる大斑豹。その中で、月の力を受けて金色に輝く一頭が、ペグの友達である「豹」なのだが。そういえば、この城にきてから、ペグに戯れついているか、餌を食べているか、日陰で寝ているか。野性の姿を見せるのは、城に住み着いた大鼠を追っているときくらいのものだ。
「病気?」
「ううん。ちがうって、せんせいが」
「エクシアさんが……」
エクシアは、特に強い力を持ったヨウシュではないが、それでも経験を積んだ優れた治療師だ。治療師は、人の怪我や病のみならず、家畜の病気も診なくてはならない。彼女が違うというのならば違うのだろう。
「だったら、大丈夫じゃないですか?」
「うー」
そういえば、あの豹が人を簡単に近づけるなんて、ずいぶん人に馴れたのね。
「おはよう」
「おはようございます」
食堂には、グルオンとジェイフィアとサルトたち三人の他に、森の民をまとめる役目を負ったシージ、そして、契約を結ばぬままロウゼンに仕える野盗上がりの者共を束ねる、カムリがいる。
いつのまにかこの部屋は、ランデレイル城の主だった者が、食事を取り、一日の訓練や軍の編成などについて打ち合わせるための食堂兼会議室のようになっていた。
そして豹も、この部屋で肉をもらって食べている。
元気がないかなあ。そう思って見れば、以前と比べて動きにキレがない。金色の毛並みは、相変わらず輝いているものの、その下の、特にお腹の辺りには、ぽってりと柔らかそうな肉が付いている。そういえば、前はロウゼンかペグが与えた生肉しか口にしなかったのに、今はカムリが皿から投げ与えた焼肉に噛りついている。
……どっちかっていうと、野性じゃなくなったという感じよね。
「元気がないことはないと思いますけど……」
ペグはふるふると首を振る。そしてカムリの投げた肉を食べようとしている豹の首根っ子を掴えて、力一杯部屋の角へと引きずっていく。
「たべちゃだめ!」
どうやら、自分以外の人が与えた餌を食べることが、気に入らないみたいだ。そういえば、ペグは人見知りが以前から激しい。言葉自体をほとんど話せなかったせいもあるだろうけど、ある程度話せるようになった今でも、ロウゼンとマーゴ以外に自分から話し掛けるのは、法術を教えるために、ずっと一緒にいるエクシアくらいのものだ。グルオンが相手だと、未だに返事すらしない。
「ペグはどうしたんだ。なにか機嫌がよくないようだが」
そう訊くグルオンは、相変わらず機嫌がいい。シージやカムリが協力してくれることで、自分の知っている形とはずいぶん違うものの、なんとか軍としての形が整ってきたのだ。城兵としての質はともかく、剣の腕には自信のある戦士たちもより一層集まってきて、戦力的にも、なんとか城を守れる目処が付いてきた。
「豹の元気がないっていうんです」
「そうか?」
初めて豹を見たときには驚いたが、人を襲うことはないとわかってからは、ほとんど無視をしている。豹の調子などわかるはずもない。
「なにか、野性的じゃなくなってきたんですよね」
「いいことじゃないか。人の中で暮らしているんだから」
「でも、やっぱり豹らしくないですよ」
「密林に返してやればいい」
マーゴとグルオンのやり取りに、シージが口を挿んだ。ロウゼンをそのまま一回り小さくしたような体つきの、剣呑な雰囲気を常に漂わせているこの男は、手に持った骨付き肉で豹を指す。
「人と獣が暮らすこと自体に無理があるんだ。大体そいつは、人を喰らう獣だぞ」
「だけどそいつは可愛いじゃないか」
カムリも口を出す。こちらは野盗上がりだというのが嘘のような、落ち着いた雰囲気の男。人望もあるらしく、この城に流れ込んできた荒くれどもからも、一目置かれている。肉の皿からもう一切れつまんで豹に向かって投げ、ペグににらまれて笑う。
「腹さえへらなけりゃ、わざわざ人を襲ったりしないだろ。元気がないってんだったら、たまに密林に連れてってやればいいんだ」
いいかもしれない。マーゴはグルオンを見上げた。
「グルオンさん。一度ペグさんと密林に遊びにいったらいけませんか?」
「密林に? なぜだ」
「ペグさんは、ロウゼンさんと一緒に密林で暮らしてたから、気晴らしになるでしょうし、豹も元気になるかも……」
それにさっきは、少し手応えがあった。でもまさか城の中で、力を解放する訳にはいかない。
「危険じゃないのか」
「大丈夫ですよ。ペグさんはグルオンさんが町に出てるときに、一人で留守番してたんですよ」
グルオンは、頭を振る。マーゴの身の上からすれば仕方のないことかもしれないが、彼女は密林を甘く見すぎている。子供が遊びに入って、無事に帰れるようなところではないのだ。
「シージ。お前のところから、何人か出せるか?」
「お守りかい? それほど奥へ入るわけじゃないんだろ。二人いればいいか?」
「ああ。マーゴ、いつ行くんだ?」
「え、ちょっと待って。ペグさん、密林に遊びにいきます?」
「うん。いく!」
ペグが駆け寄ってくる。
「いついくの?」
「え……と、お父さんにも話しとかなきゃいけないし。明日でいいですか?」
「うん!」
元気よく返事をすると、また豹に飛びついた。
「ということで」
「わかった。気をつけろよ。それとロイズラインの方へ行ってくれ。あちらから敵が来ることは、今のところないだろう」
「うん。わかりました」
そううなずいて、朝食の膳の前に腰をおろす。
怒りや憎しみのような感情を媒介にして力を引き出すことが、正しいことだとは思わない。だけどそれ以外に方法がない。問題は、力を向ける明確な目標がないときに、力を制御できるかどうか。まあ、それは力を引き出してからのことだ。
「食べないのか?」
グルオンが眉をひそめる。
「あ、いえ、いただきます」
マーゴは箸を取った。
お付き合いいただき、ありがとうござします。
さあ、いよいよクライマックス、風雲急を告げるランデレイルに集う一同の運命は!?
次回予告!
「さあ、いきましょう」
「でもお姉さま、あやつらの居場所が……」
「我らは、のんびりと遊んでおればよい」
「そうか、あやつらはあたいたちを狙っているから……」
姉妹は顔を合わせて、ニマリと笑った。
六幕第二話「憩う朝」
4/14更新予定!!
の〜んびりクライマックス〜(爆)