虚ろな月
廃墟の前で、筵に巻いた二本の剣を胸に抱いたまま、トワロは立ち尽くしていた。頭上を動かぬ月の、ほとんど丸みを取り戻した青い光が、立ち並んだ家々の間にぽっかりと開いた空間を照らしだしている。まるで密林のように茂った雑草と、すでに人の背ほどに伸びた若木の間に、真っ黒に焼け焦げた屋敷の残骸が転がっている。
ここに暮らしていた頃は考えたこともなかったが、大通りから離れているとはいえ、城に近い一等地にこれだけの屋敷を構えていたのだ。商いをしていたわけでもない。それに城兵が出入りしていたことを考えれば、城からなんらかの任務を帯びていたことは間違いない。
(この子には、私が力を与える)
(ケンシュは、人の理想だ)
(それをこの手で作り出すことが出来れば)
あの男は、わたしを愛したのではない。わたしの力を愛していた。
それでもよかったのに――
「何を突っ立ってるんだ?」
まだ若い男が、少し足元をふらつかせて近寄ってきた。月明かりでもはっきりと、化粧をしているのがわかる。身につけた肌もあらわな服装を見るまでもなく、トワロと同業の男娼だ。絡む様子ではない。おそらく客の家からの帰りなのだろう。きつい香水の香りが、酒の匂いと混じって漂ってくる。
「昔の男が、住んでたんです」
トワロは廃墟に視線を戻して、呟く。
「そうかい」
男も立ち去ることなく、しばらく時間が過ぎた。廃墟の草むらをねぐらにしているのだろう。街中では珍しいくらい、虫が騒ぐ。ただ、それだけの静寂。
「ここに住んでいた人のこと、なにか知りませんか?」
「さあな、今の城主のロウゼン様が城を乗っ取った日の夜に、この屋敷も燃えちまった。その前にも大勢の城兵が死んだりしてたし、昔は夜中に子供の悲鳴が聞こえるって噂もあったらしいからな。ここに住んでたのはろくな奴じゃねえ……っと、あんたの男だったか?」
「ええ」
子供の悲鳴……
「どっちにしても、この屋敷の主人は、ロウゼン様に殺されちまったよ」
「城主様は、どうしてこの屋敷に火を……」
「知らねえ。言葉もろくに喋らねえ、野蛮人だって話だ。何を考えてるか分かるはずがねえ」
「そう……」
あの子の手掛かりが見つかるとは思わなかったけど――
「なあ。あんたきれいだな」
男が、今気づいたかのようにトワロの顔を見た。
「お互い商売抜きで、一晩どうだい」
くすっと、トワロは笑う。
「ごめんなさい。連れがいますから」
そう言うと、真っ暗な路地裏に向けて、手招きする。
「わっ。ばれてるよ」
「だから止めとこうって言ったのに」
「だったら宿で待っときゃよかったろ」
「だって……」
月明かりに、二人の姿が浮かんだ。お互いを小突きながら、駆け寄ってくる。
「なんだ。ガキじゃないか」
そう男が吐き捨て、歩き去った。それを無視して、トワロは二人に声を掛けた。
「宿で待っていてくださいと言ったのに」
「ごめん」
トリウィが頭を掻きながら謝った。
「でも、ご飯を食べているときに、トワロさんの様子が変だったから」
ラミアルも言った。気づかれなかったと思っていたのに、どうやら涙を見られていたらしい。
「なにか、わかった?」
廃墟に目を遣りながら、トリウィが訊いた。
「ここが、昔住んでいたところ?」
トワロは俯いて、ゆっくりと首を振る。
「でも……、いいんです。どうせ、会えるとは思っていなかったし」
あの子に会うことが目的だったわけじゃない。ただ、あの子に会うためになにかをする、それだけが目的だったから。それはもう果たした。
「何を言ってるのよ!」
突然ラミアルが叫ぶ。
「ラミアル?」
トリウィが驚いて振り返る。トワロも顔を上げた。
「じゃあ、なんであたしたちは、あんたに付き合ってこんなところまで来たのよ!」
「いや、俺は自分が来たかっただけだけど……」
トリウィが呟く。
「お父さまも、みんなも、あんたが見殺しにしたのに!」
「いや、でも俺たちは、助けてもらった――」
「なによっ!助けたんじゃないって、こいつが言ったのよ!」
「いや、でも結果的には……」
「ばっかみたい!!」
ラミアルは踵を返して、走りだす。
「ラミアル!?」
トリウィが後を追う。そのまま宿へと帰るのかと思ったが、廃墟の外れで急にうずくまって、泣きじゃくりはじめた。
「ごめんよ」
トリウィは、しばらく彼女の傍にしゃがみこんで、背中を擦ってやっていたが、落ち着いてきたのを見て、トワロの傍に引き返してきた。
「俺がこの町へ来るのに、トワロさんのこともだしに使ったからさ。いろいろあって落ち込んでたんだけど、あんたの子供の親父さん、死んじまったんだろ。あいつも……そうだから――」
だから……? わたしには……関係ない――
「あのさあ、俺もロウゼン様に会えるまで、この町にいるからさあ、その間あんたの子供も一緒に探そうよ」
関係……ない
「それでさあ、もしその後、特に行くあてがないんだったら、一緒にレイクロウヴへ行かないか?」
「……?」
「勘違いしないでくれよ。別に俺があんたのことをどうとか言うんじゃないんだから」
そう言いながらも、少し口篭もる。
「あの……、どうせ俺もいったんはレイクロウヴに帰るし、それに俺――、ここへ来るまでの間、ずっと話してたんだけど、ラミアルと一緒に店をもつことにしたんだ」
月明かりにもはっきりと、頬を染める。
「いや、別に戦士になるのを諦めたわけじゃないんだぜ。でも、もしかしたらキシュの力が顕れるかもしれないし、その時の為に、剣の腕も磨きたいし。いや、別にそんなことはどうでもいいんだけど――」
トリウィは頭を掻きむしる。
「だから、俺たちの町で、治療院かなんかやってさ。法術も使えるんだし。店の資金だったら任せてくれよ。まあ俺が出すんじゃないけど、俺の生命の恩人だって言えば、親父が出してくれる――」
法術――癒しの力を使う術は、戦いのために覚えただけだ。人の病を治すためじゃない。戦いに必要のない力はいらない――。だからヨウシュの力で生きていこうなんて、考えたこともなかった。トワロはまた首を振る。
「わたしには……人を癒すなんて……」
「大丈夫だって。ややこしい病人なんかは、他に回せばいいんだから。ちょっとした怪我だけ診とけば、トワロさん美人だから、絶対儲かるぜ」
「わたしは……」
わたしには、そんな生き方が許されるはずがない。トワロは胸に抱いた二本の剣を、強く抱き締める。この両手の剣で、人とのつながりは、すべて断ち切ってきた。
「まあ、あんたの娘を見つけてからの話だから、とりあえず宿へ帰ろうよ」
トリウィはそう言って振り返る。
「ラミアル。いつまでいじけてんだよ」
「ばかあ――」
「帰るぞ。もう眠たいよ」
わたしの名前は――
お付き合いいただき、ありがとうございます。
そろそろ盛り上げていかないとな〜。
じわじわと(笑)
次回予告
くつくつ
抑えきれない笑いが、色素の薄い唇からもれる。
「来たな」
「来たね」
「ユウシャハコロシテモイイノカ」
姉妹の横に転がっている盾。その表面に刻まれた口が、しゃべった。
「構わない。鍵はあの娘だから」
六幕第一話「力の欠片」
4/10更新予定!!
また予告が本編から離れていく(泣)