四幕・怨嗟の鋒(きっさき)
「あの、ジェイフィアさん。教えて欲しいことがあるんですけど」
ランデリンクとの戦いの後、兵の消耗は決して少なくなかった。その戦いだけを見れば、圧勝といってもよかったが、もともと少ない兵力が、さらに減ってしまったのだ。サルトあたりの顔色を青くするには十分だったが、しかし状況は、グルオンの言った通りになってきた。
つまり、圧倒的に不利な状況にもかからず敵に打ち勝ったために、今まで以上に城兵希望の戦士が集まり始めたのだ。それは町育ちの戦士に限らない。森の民の戦士達も、さらに遠くの地域から次々に馳せ参じてきた。
おかげでグルオンやサルト達は、ゆっくり食事を取る暇もないくらいだが、特にグルオンの機嫌はいい。
何よりも、ロウゼンの背中を護って戦っているところを見せつけたために、アデミア王の盾の名など知らない戦士達も、彼女の力を認めざるをえなかったのだ。おかげでずいぶん統制も取れるようになってきた。
だから彼女は今、森の戦士達の力を有効的かつ効率的に使えるように、新しい軍の編成に懸命になっている。そして新たな戦力をまとめるために、シュタウズからシージ、野盗上がりからカムリという名の戦士をまとめ役として抜擢し、少しずつ軍としての形をなしてきていた。
そしてマーゴは――
「フィガンという男は、ご存知ですよね」
己れの力を使う決心をした。
「ええ、存じてますが」
ジェイフィアは、食事の手を休めて、マーゴを見た。彼女がランデレイルの管理官を勤めるようになって、十五年経つという。それ以前からもこの城の会計を司ってきたから、フィガンという名も、この城の経理からかなりの金額がその男に流れていたことも知っている。もちろんすでに死んでいることも。
だが、フィガンとマーゴの関係も、フィガンを誰が殺したのかも、彼が何をしていたのかも、彼女は知らない。
「あの男が親しくしていた人、誰か知りませんか?」
「あの方は、軍長にもかかわらず、ほとんど城には来られませんでしたから。私が知っているのは、スリークとサニトバと……」
「あの……キシュの人ではなくて」
マーゴは首を振った。二人とも、グルオンとロウゼンの手に掛かって、もう死んでいる。
「フィガンの研究を手伝っていた人とか」
ジェイフィアの目が、細められる。おそらく彼女の頭の中では、膨大な名簿がめくられているのだろう。同じヒシュとして生まれついていながら、記憶術などというものの訓練を積んでいないマーゴは、その様子をある種の驚きを持って見ている。
ジェイフィアの目が、再び開いた。
「そうですね、スロウという法術師が、あの方の屋敷に出入りしておりました。一応カクテス様と契約を交わした軍属という扱いでしたが、どちらかといえばフィガン様の子飼いという感じでしたね」
マーゴは首を傾げる。スロウ――その名に覚えはない。
「その人は、今どこにいるかは……」
「マーゴ様も会ったことがおありだと思いますよ」
「えっ?」
まったく覚えがない。マーゴはたまに、自分は本当にヒシュなのか疑いたくなる時がある。特にジェイフィアと話しているときはそうだ。まあ、彼女は文官の頂点に立っているわけだから、ヒシュとしても特に優れていることは間違いない。なんといっても、彼女の勤める役所には、書類というものが一切ない。城の運営に必要なすべての情報が、彼らヒシュの役人の頭に詰まっている。それが彼らの身を守る武器になっているのだ。
「先の戦いの時、マーゴ様の指示で町の治療師を集めましたでしょう。その中におりましたよ」
「町で何をしているのでしょうか」
そのときに会った法術師たちの顔を思い浮かべながら、聞いてみる。
「さあ、そこまでは。ただ、契約は結んでおりませんが、予備役として登録しており、連絡はつくと思いますから、召喚しましょうか?」
「ぜひお願いします」
そう言って立ち去ろうとしたマーゴを、ジェイフィアが呼び止めた。
「あの……。私もひとつ伺ってもよろしいでしょうか」
彼女らしくなく口篭もる様子を見て、マーゴは眉をひそめる。
「はい、いいですけど」
「ロウゼン様というのは、どのようなお方なのでしょうか?」
「……どのような、と言われても」
「申し訳ありません。でも、私は今まで、幾人もの城主に仕えてきましたが、あの方は、違うように思えるのです」
「それは、ロウゼンさんはシュタウズだから」
とは言うものの、それだけであるはずもない。
「しかし、この城に集まった戦士の中にもシュタウズの人はいますが、彼らともあの方は違うように思えます」
もちろんマーゴもそう思う。
「じゃあ、ロウゼンさんは、城主にはふさわしくない、と」
「いえ」
ジェイフィアは、慌てて首を振った。マーゴがロウゼンの娘同様に扱われていることは知っているし、グルオンが彼女に一目置いていることも知っている。何より彼女一人で、千の城兵を倒したという事実。だから自分よりもはるかに年下で、正式な役に就いているわけでもない、見た目はまだまだ子供のマーゴに対して、丁重に接している。誤解されるわけにはいかない。ただロウゼンがあまりに彼女の理解の範疇から外れているから、少し不安に思っているだけだ。
「普通城主になった方というのは、色々やりたがるんですよ。法に定められている以上に税を取ろうとしたり、軍資金の管理に口出ししたり。ロウゼン様は、その点で非常に助かりますが、それでも、あまりに何もしていないように思えます。確かにグルオン様が代行しておられますが――」
「ロウゼンさんは、たぶん戦う理由を探しているんです」
マーゴは、ジェイフィアの言葉をさえぎって言った。
「理由、ですか?」
キシュが戦うのは、彼らが戦うために生まれたからだと、ジェイフィアは思っていた。それ以外にキシュの行動を理解できない。名誉などの為に、命を捨てて戦うなど。
「ロウゼンさんは、ずっと密林で、猟師として生きていましたから、食べるためとか、身を護るためとか、理由がない戦いはしていないんです。だから城主としての戦う理由を探しているんだと思います」
「そうですか……」
ジェイフィアは、なんとか納得したようだ。確かにヒシュには納得しやすい理屈だったのだろう。
だが、ロウゼンがそんな人間ではないことを、身に染みて知っているのは、マーゴなのだ。
夕刻、マーゴの部屋に、男が一人やってきた。肩まで伸ばした灰色の髪に、くすんだ肌。そして紺色の瞳が異彩を放っている。ヨウシュの年齢は外見だけでは判断できないが、見た目百二十歳は超えている。
その中年の男を見て、マーゴは首を傾げた。彼女が以前暮らしていた、フィガンの屋敷ではともかく、城内でも見た覚えはない。
「スロウと申します。フィガン様のことで御用と聞き、参りました」
マーゴの前に膝を突き、頭を下げてから、胡坐を掻く。
男の表情に見えるのは、期待、戸惑い、不安、恐れ、そして、もっと微妙ななにか。
「すいません。わざわざ来て頂いて。あの、あなたがフィガンの手伝いをしていたと聞いて、訊きたいことがあって――。あなたはわたしのことは……?」
スロウは一瞬ためらい、そしてうなずいた。
「ええ、知っております。フィガン様の……」
「あの人の研究のことを、あなたはどれくらい知っていました?」
父親のことをあの人呼ばわりするマーゴをどのように思ったのか、スロウは目を逸らした。
「そう……ですね。キシュの戦士を、より強くする研究をしておられました」
ケンシュをつくる研究とは言わない。彼は知らなかったのか。
「スリークやサニトバのことはご存知ですか?」
「もちろん知っています。あの二人の出来には、フィガン様も満足されてましたから」
スロウの顔に、自慢げな表情が浮かぶ。
「じゃあ、あの二人はあなたが?」
「ええ、フィガン様の隣で、私も施術のお手伝いをしました。ロウゼン様も、愚かなことをなさったものです。あの方の命を奪うなんて。フィガン様が生きておられれば、さらに多くの強力な戦士が、いくらでも手に入ったものを」
マーゴの心臓が、大きく踊った。だが、表情は変えない。
「そうだ、マーゴ様。ロウゼン様に話をしてもらえませんか。今この城に戦力が必要なことは知っております。フィガン様がおられずとも、わたしに任せていただければ、最強の戦士をいくらでも作って差し上げます。あの方の研究の成果は、私もすべて学んでおりますから――」
「だったら、わたしの力についても知っていますよね」
話をさえぎられて、スロウは眉をしかめたが、マーゴの問いには答えた。
「ええ、ある程度は」
探るように、マーゴの顔を見る。
「わたしは、ロウゼンさんの為にこの力を使いたいんです。でも、自由にはならないんです。あなたなら、力の使い方をご存知じゃないかと思って、それで来てもらったのですけど」
それを聞いて、スロウの顔に満足と、余裕と、そしてずっと見せていた表情がはっきりと浮かぶ。それは生命を持たぬ物を見るときの表情。この表情は――
「マーゴ様には、ヨウシュとキシュ、双方の力の移植がなされておりますな。筋肉の移植については私の専門ですが、ヨウシュの力の方は……。でもお望みとあらば研究してみましょう。ロウゼン様は、そのためにご配慮いただけましょうか?」
「それは私から話してみます。あの、もしかして、私にキシュの筋肉を移植してくれたのも、スロウさん?」
「……なぜです?」
「もしそうなら、お礼を言わなくてはいけませんから」
この男の、まるで人を物と同じように見る目。それは手足を縛りつけられ、無数の灯明が輝く部屋で、マーゴの腕を、腹を、胸を切り開いたフィガンの助手を勤めていた男の、覆面の奥に隠れていた目に似ている。あの時は逆光の中で、目の色などわからなかったが。
「そうですか! フィガン様は、お嬢様が力を嫌うと嘆いておられましたが、やっとわかっていただけたのですね。ええ、あなたに筋肉を移植する手術は、私も手伝っておりました。思うように力が発現しなかったのは残念ですが、お任せください。必ず、私がフィガン様の研究を完成させてみせますから」
マーゴの躰の内側にいるものが、藻掻いている。マーゴはそれを必死に押さえる。
「あなたの処遇ですが」
スロウの鼻が膨らみ、満足そうに何度もうなずいている。うまくすれば、フィガンのように大きな屋敷が与えられ、そこで研究を続けられる。フィガンの下で働くより、自分の好きなように研究できる方がいいに決まっている。マーゴの目を恐れて、城内では彼女を避けるように行動してきたが、その必要はなかったようだ。まず何人か、サニトバのような戦士を作れば、あの愚かな城主も自分の価値を理解するだろう。
「下人としてこの城に勤めてもらいます」
「なっ!?」
スロウが顔を上げる。そしてマーゴが冗談を言っているのではないということがわかると、立ち上がって喚いた。
「冗談ではない! この私が下人だと!? お前はこの研究の価値がわかっておらんのだ。この研究があれば、大陸を統一することなど、容易なこと。お前はやはりフィガン様の仰られたとおり、失敗作だったようだな! もうよいわ。ミューザ王なら、お前のように愚かなことは言わん、ぐわっ!?」
突然マーゴの指が、スロウの首に食い込む。絞めているのではない。右手の親指がスロウの喉仏の下に付け根まで沈み込んでいるのだ。息が出来ず、喘ぐことも出来ないスロウの大きく見開かれた目が、マーゴを見下ろす。なんとか逃れようと、マーゴの細い腕を掴むが、びくともしない。
「わたし“達”は、あなたを赦していない」
マーゴの銀の瞳の奥で、赤い光が踊る。肩が、腕が震える。スロウの首を握り潰そうとする指を、渾身の力で止めている。小さな友達の生命を奪った者が、まだいた。だがこの男を今殺すわけにはいかない。
「あなたの他に、あの研究に携わっていた人はいますか?」
スロウは、必死に首を振る。しかし、マーゴの移植手術の時には、フィガンの他に、三人はいた記憶がある。
マーゴは、指を開いた。顔をどす黒く染めたスロウが、喉を押さえてうずくまる。荒い息を繰り返し、少女を見上げた。
「残りの奴らは、サニトバらの施術の際に、それに反対して始末された。これ以上人の生命を犠牲にすることは出来ないなどと言って。あの研究の意味もわからん愚か者よ!」
擦れた言葉を吐き出す顎を、マーゴの小さな足が蹴りあげた。スロウは、喉を押さえたまま、後向きに引っ繰り返る。床に後頭部がぶつかる音が不思議と軽く響く。
「大丈夫ですか?」
マーゴは床に転がったスロウの横にしゃがみ、首を少し傾げながら、口から血を流している男の顔を覗き込む。少女の顔になど浮かぶはずのないその笑顔を見て、スロウの顔が恐怖に歪んだ。彼女から遠ざかろうとするが、頭を強く打ったせいか、体が自由に動かない。
「あなたはすぐに殺してもいいんだけど、他にお父さまの研究を知ってる人がいないんだったら仕方がないですね。わたしの力は、どうやったら自由に使えるようになります? あなたのような人間を相手にしないと、今は力が出ないんです」
「知らない……」
スロウが何度も首を振る。
「フィガン様は、私にすべてを教えては下さらなかった。私にできるのは、人の肉を移し替えるだけ……ぎゃあ!」
マーゴの手が、スロウの胸に置かれている。その指が、服の上からにもかかわらず、あばらの内側へ潜り込んでいった。スロウの体が痙攣する。
「考えてください」
スロウはのろのろと首を振る。口から血が溢れだす。
「わからないんだったら殺――」
「何をしている!?」
部屋の入り口から、悲鳴に近い叫びが聞こえた。
お付き合いいただき、ありがとうございます。
結局四幕も二話構成になります。
早速次回予告。ペグ頑張る?
「いいわ、姉さん。あたしが行く」
魔獣を引き連れた少女が、にたりと笑う。
「この子も焼肉が食べたいって言ってるから。
でも、灰になったら食べられないわねぇ、クク」
四幕第二話「想いの焔」
3/24更新予定!!
じゃじゃん!