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命の価値

 ルードレインの町に着いたのは、半月が頭上に輝く日没直後のことだった。町に入ったので、トワロは御者台から下りて、牛の鼻を引いている。トリウィとラミアルは、荷台の後ろを並んでついて歩いていた。

「トリウィ、どうするの」

「どうするのって……」

 ラミアルとトリウィが、小声で相談している。

 二人はラミアルの父親であり、トリウィの主人であるハンガが、カイディアの商人との取引のため港へと向かう旅に、物見遊山気分でくっついてきただけである。トリウィはカイディアになんとか渡れぬかという心積もりもあったのだが、二人とも、旅の資金はハンガまかせであったことにはかわりない。つまり、今夜宿をとるお金がない。

 ハンガの持っていた資金は、今はトワロの懐に入っている。ラミアルはいったん所有権を主張したが、受け入れてもらえなかった。

「レイクロウヴまでの旅費だけでも、なんとかトワロさんに返してもらって、一度帰ろうよ」

 そう言われて、トリウィは考え込んだ。カイディアに渡れば記憶を失うといわれれば、さすがに渡るわけにはいかない。もちろんトワロの言うことが本当であるとは限らないが、嘘であるとも思えない。

 でも、ハンガが死んで、故郷に帰ったとしても、それからの思案がない。

「ねえ、お父さまの店のこともあるし、トリウィが帰らないと、あとわかんないよ」

 見習いの奉公人が帰ったところで、どうにかなるものでもないが、まさかラミアルを独りで帰すわけにもいかない。そのことにやっと思い当った。

「そうだよな。一度帰ろうか」

「ほんと! ……でも、トワロさん、お金返してくれるかな?」

 ラミアルの目が、不安げに揺れる。

「うーん。そうだ、もっといい考えがあるぜ」

 そう言うと、小走りにトワロの隣に並ぶ。

「ねえ、トワロさん。俺達レイクロウヴに帰ろうと思うんだけど」

「そうですか」

 振り向きもしない。

「それで、トワロさんに、レイクロウヴまでの護衛をしてくれないかと思って」

「……わたしはランデレイルに行きます」

「急ぎなの?」

 トリウィが、恐る恐る訊く。

 トワロは首を傾げる。

――わたしは、なぜランデレイルに向かっているんだろう。

――あの男によく似た、淡い金の髪に、白く煙った空色の瞳――

 あの男が死んで、それでも生きているなら急ぐ理由はない。でも――

「急ぎではありませんが」

「じゃあ!」

「わたしは、護衛はしません」

「どうして!? あ、お礼ならレイクロウヴについたら……」

「あなたもわかったはずでしょう。わたしがもし護衛を引き受けたとしても、襲うのをやめる野盗はいません。護衛というのは、襲わせないことがいちばんの役目です」

「だったら、みんなやっつけちゃえばいいじゃないか。トワロさん強いんだからさ」

 トワロの瞳に闇が宿る。トリウィはそれに気づかない。

「放っておいたら、他の人を襲うでしょうし、どうせいつかは城兵達に殺されるから? だったら、わたしが殺してもいっしょだと?」

「そうそう、世の為、人の為ってね」

 トワロの冷たい口調に気づかず、トリウィは明らかに調子に乗りすぎた。

 いつ抜いたのか、御者台の上に置いてあったはずの剣が、トリウィの首筋に当てられる。

「ひっ!!」

「トリウィ!」

 トリウィが凍りつき、ラミアルが悲鳴を上げる。

「それならまず、あなたから殺しましょう」

 トワロは感情を表さないまま、淡々と告げる。

「ど、どうして……」

 トリウィが震え、剣が首の皮を浅く切り裂く。

「あなたは戦士になるという。ならばいつかは人を殺すし、人である以上いつかは死ぬ。ならば、今死んでもかわりはないでしょう」

「お願い、やめて」

 ラミアルが両手を引き絞る。

 トリウィは何も言えなかった。なぜ自分の首に剣が当てられているのか、まったくわからない。

「わたしがなぜ戦士として生きることなく、このような商売をしているかわかります?」

 左手で着物の襟元を拡げ、首を傾ける。

「戦士は、人の命を奪い、金を得ます。何も、誰にも与えることはありません。でもわたしは、なにかを与えてもらったら、なにかを与えたい」

「護衛だったら、人の命を守れるじゃない」

 ラミアルが必死に主張する。

「人を殺して、人を助けるのですか。襲う人と襲われる人、どちらの命が重いのです。護衛を傭える人の命の方が重いのですか?あなたはお金で人の命の重さを決めるのですか?」

 トワロは剣を引き、懐から革袋を取り出して、ラミアルに投げ渡す。

「お金と牛車は差し上げます。そのお金で護衛を傭って、できれば同行してくれる隊商を探して帰りなさい」

 筵に巻いた剣を抱いて、人通りの絶えぬ町並みに足を向ける。

「人を守ることの何がいけないんだ。野盗を殺して何が悪いんだ。当たり前のことじゃねえか」

 トリウィの声が聞こえる。

 別に悪くない。何がよくて何が悪いかは、人がそれぞれ決めればいいことだ。ただわたしは、わたしを守るためにしか、剣を振るいたくないだけだ。いや、わたしが守りたいもののためか。もう二度と…………

 トワロは夜の町を歩きながら、自分の身体を見下ろした。ずっと密林を抜けてきたから、樹液が着物に落ちて、黒く点々とこびりついてしまっている。ずいぶん色も褪せ、皺も酷いから買い替えればいいのだが、舶来の絹の着物は剣と同じくらいの値がする。だからといって、麻や綿の服は着たくない。絹の肌ざわりが気に入ってしまって、手離したくない。洗えば落ちるかしら。そういえばこの二日の間、身体も洗ってない。

 ふう。小さな溜息を吐く。宿をとるお金もないから客を取らないといけないのに、これじゃあ上客は無理かな。まあいいわ。夜はこれからだから。


 薄汚い裏通りの、薄汚れた宿を男と並んで出たトワロは、店の正面に止めた牛車にトリウィとラミアルが腰掛けているのを見つけた。

「しばらくあそこにいるのかい」

 トワロの耳元に男が顔を寄せてくる。さして金は持っていなかったから、一晩丸々買ってはくれなかったが、それでも身体を洗う時間はくれた。

「御免なさい。旅の途中なものですから。でも帰りに寄ることが出来たら、また会ってください」

 その瞳に媚を浮かべて、男に寄り掛かる。

「ああ、またな」

 男はトワロの腰を軽く撫でると、立ち去った。

 男が見えなくなるまで見送ると、トワロは牛車に歩み寄る。

「別にこんなところで宿を探さなくても、もっとちゃんとしたところで泊まれるでしょうに」

 彼女の淋しげな表情は変わらないが、男に見せていた媚は既にない。わずかに上気した頬が何を示すのか、トリウィはもう、知らない歳ではない。

「俺達、ランデレイルへ行くんだけど、よかったら一緒に行かないか」

 初め、目の遣り場に困った様子を見せていたが、それでもトワロの目を見ていった。

「何を言ってるんです」

「ここまで来たら、ランデレイルまで牛車で行っても十二日。歩けば四日で行けるからさあ。俺、前からあそこの新しい城主をひとめでいいから見てみたかったから、ちょっとくらい帰るのが遅れても……」

「あなたはいいのですか?ラミアル」

 ラミアルは、トリウィの横顔をちらりと見て、仕方なくうなずく。

「トリウィ、言いだしたら聞かないし、ランデレイルへ行くだけで、カイディアへ渡るなんてことを思い止まってくれるんだったら」

 その言葉に、トワロはトリウィに向き直る。

「カイディアには渡れないと、そう言ったはずです」

「命まで落とすわけじゃないんだろ。記憶を失っても、身に付けた剣の技は失わないさ」

「愚かなことを……」

「まあ、それは俺がケンシュになれないとわかったときの最後の手段。今のところはランデレイルの英雄をこの目で見たら、レイクロウヴへ帰るよ」

「それに、私達と一緒に行くのなら、トワロさんも……そんな商売をしなくても」

 少し目を逸らしながら、ラミアルも言う。

「別に嫌々やっているわけじゃないですよ」

 好きでやっているわけでもないけど。

「それにさっきも言いましたけど――」

「別に護衛はいいよ。さっき色々話を聞いてきたんだけど、ランデレイルの周辺は、今武器や食料の動きがいいらしいんだ。同行してくれる隊商はすぐ見つかるさ」

「それよりトワロさん。食事はもう?」

「いえ……」

 トワロは表情を変えないまま、首を振る。酒は少し飲んだが、食事までは甘えられなかった。

「だったらご飯を食べましょうよ。あ、いいんですよ。おごって差し上げますから」

 どうやら財布の紐はラミアルが握ったらしい。あからさまに皮肉な口調に、トワロはつい、笑ってうなずいてしまった。


 三人が入ったのは、客筋のほとんどがヒシュとその連れの、かなり上等な店だった。普通の店のように、生木と木の葉を使った小屋掛けではなく、ちゃんとした材木で建てられている。

 もちろん選んだのはラミアル。まだ独立もしていないヒシュの子供がこのような店に躊躇ちゅうちょせずに入るとは、かなり甘やかされていたことは間違いない。トワロも、よほどの上客を捕まえなければ、こんな店には入れない。まあ、三十人近い隊商の旅費があの革袋には入っていたはずだから、これくらいどうということもないだろう。

 ラミアルが頼んだ料理は、仔牛肉の煮込みや若鶏に薬草を詰めて蒸したもの、大蛇の舌の吸い物といった、これも上等なもの。いくら何でも贅沢じゃないか、トワロどころかトリウィもラミアルを見る。

 その視線に気づいて、ラミアルは笑った。

「お父さまって、結構ケチだったから、レイクロウヴを発ってから、ろくなものを食べてなかったのよね。さあ、遠慮しないで、どんどん食べて」

 そう言ったとたんに、涙がこぼれる。

「ご、ごめんなさい……。先に食べてて」

 そして店の奥へ、走っていった。

「あの……、トワロさんさあ。怒らないでほしいんだけど……」

 ラミアルが手洗いの奥へと消えるのを見送り、トリウィが怖ず怖ずと口を開く。

「なに?」

「野盗に襲われた時に、おじさん達を助けられなかったの……いや、さっき言われたことは覚えてるんだけどさあ」

 覚えていても、理解はしていない。そんな表情をしている。ただ、気まずい思いをしているのは、トワロも同じだ。この二人を助けるつもりがなかったのは本当だし、町へ着いたらすぐに別れるつもりだった。

 別にそれでトワロが困るわけではないが、こんな子供達を、無用に傷つけることもない。それくらいの心配りをするていどには、彼女は二人に親しみを覚えていた。

「あの時、野盗は何人いました?」

「……はっきりとは覚えてないけど、たぶん三十二、三人――」

 トワロに問われて、トリウィは眉を少しひそめ、そして答える。その辺はさすがにヒシュである。あの状況でも、賊の数を勘定している。

「それだけの敵とまともに戦って、勝てると思いますか」

「で、でも、護衛と協力したら……。二十人はいたんだし」

「わたしが言うのもあれなんですが、あの野盗達はかなり鍛えられていました。おそらく城兵でも、同じ人数では勝てないでしょう。だから、彼らが油断するのを待つしかなかったんです」

 城兵よりもさらに弱い護衛ごときでは、足手纏いにしかならない。そう言外に匂わせて、椀に注がれた酒を口に運んだ。

「でも、そんな、城兵より強いなんて」

 キシュならば、まず城兵を目指す。トリウィは当たり前のようにそう思っていた。護衛にしろ野盗にしろ、城と契約できない落伍者のすることだと、そう思い込んでいた。

「ランデレイルの新しい城主に、トリウィはなぜ会いたいの?」

「……? そりゃ、自分の力だけで城を盗るなんて、すげえなあって思うから……」

 突然訊かれて首を傾げながらも、トリウィは答えた。

「あなたのように感じて、それを実行しようとする人も結構いる……」

 幼い日々を過ごした錬成館にも、そんなことを言っていた子供達がいた。特にあの子、名前は確か……。

 突然、トワロの古い記憶が、最近のそれと重なった。カーラル! わたしの名を呼んだ、あの野盗の男!

「どうしたの?」

 突然黙り込んだトワロを、トリウィが覗き込む。

「いえ、何でもありません」

 あのカーラルなら、城兵になるより、自分の力を信じて密林に入ったのも首肯ける。同じ歳の子供の中では、ずば抜けていたから。

 なんだ、名前だけ呼んでくれればよかったのに、斬り掛かってくるものだから――

 まあいいわ。死んだ人は戻らない。それにいまさら会っても、話すことはない。

「なんだ、先に食べててくれればよかったのに」

 ラミアルが戻ってきた。すでに涙は跡もないが、まだ少し目が赤い。

「どうしたの?」

「ん。なんでもない。さあ、食べようぜ」

 そういえば、トリウィに話してもあまり意味が無かったかもしれない。トワロはラミアルを目で追いながら、酒を舐める。なんといっても、彼女の父親のことだ。まあ、トリウィがさっきの話を信じてくれたら、なんとか取り成してくれるでしょう。

 別に嘘を吐いたわけじゃない。護衛が足手纏いだったのは事実だし、野盗が鍛えられていたのも、油断するのを待っていたのも本当だけど、あの程度の相手なら生き残る自信があった。ただ、危険を避けただけだ。ハンガが斬られるより前に、野盗がわたしに手を掛けていたら、あの男も助かったかもしれなかったけど。

「そういえば、トリウィ、あなたはランデレイルに行ってどうするのです?城主なんてそう簡単に会えるものじゃないでしょう」

 料理をつまみながら、トワロは訊いた。

「どうするって、ひとめ見れたらいいんだよ。なんてったって、独力で城を手に入れた人なんて、統一王の御代から数えても、たったの四人なんだぜ。それもいちばん最近でも、何百年も前の話だ。そんな人を見ないでどうするんだよ」

「……あなたは、本当にヒシュらしくないですね」

 一般に、ヒシュは常に損得のみを考えて行動するといわれている。もちろんそんな人ばかりではないし、感情が損得を上回ることだって、よくあることだ。が、それでも感情のまま好奇心のままに、ほとんど何も考えずに行動する者は珍しい。

「戦士になろうって言うんだから、ヒシュらしくなくて当たり前よ」

 ラミアルにそんなことを言われても、トリウィはかえって嬉しそうだ。

「トワロさんは、どうしてランデレイルへ? 子供がいるって言ってたけど……」

 今度はトリウィが訊いた。

「ええ、父親が死んだと噂で聞いたので、一度会いたいと……」

「そう……。もう家は出てるんでしょ。何歳くらい?」

 アロウナの城下に生まれた子供は、三歳から五歳の間に、生まれ持った力によって、錬成館なり、商家や治療所なりに預けるために、家を出される。

「さあ……。数えてはいませんので。でも五十にはなってるかと……」

 二人の箸が止まる。

「ごめん……。聞こえなかった」

「……トワロさん。あんた、今いくつだよ」

「あら、女性に歳を訊くもんじゃありませんよ」

 トワロは、艶然えんぜんと商売用の笑みを浮かべて、酒を口に運ぶ。ヨウシュの力を得たときに、歳を取るのを止めたのだ。商売上、そっちの方が都合がいいということもあった。

 その笑みに、トリウィどころかラミアルまでも顔を赤らめ、料理の皿をつつきだす。

 だがトワロは、すぐに笑みを収めると、酒の椀を手にしたまま思いに沈む。

 いまさら会って、どうしようというのだろう。大体、生きているかどうかもわからないのに。生きてはいても、親子の名乗りを交わせるわけでもないのに。

 あの子のいる町まで、あと十二日……



今回もお付き合いいただき、ありがとうございます。

ほんとはこの三幕も、三話構成にしたかったのですが、上手く三つにできませんでした。四幕はどうしようかなぁ。

ということで、次回予告。マーゴ頑張る!


銀色の目が暗赤色に染まった。

「何だと?ダークマンティスが……ふ、おもしろい」

白銀の髪が蛇のようにうねる。

「返り討ちにしてくれるわ!」


四幕第一話「怨嗟のきっさき


3/17更新予定!!


乞うご期待!

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