三幕・籠の鳥
一夜明けて、少し気が晴れたのか、ラミアルはトリウィに話し掛けられれば、わずかに笑顔も見せるようになった。それでもトワロの方を見ようとはしない。無理もない。彼女はトワロが父親を見殺しにしたと信じているのだから。
それに比べて、トリウィは明るく振舞っていた。彼の受けた心の傷が、ラミアルと比べて小さかったとは思えない。野盗に殺されたのは、幼い頃から育ててくれた養い親であり、いつも一緒に働き、学んできた兄弟のような人達なのだから。
それでも彼は、特にラミアルと話すときには、明るい笑顔を忘れなかった。
「わあ、なんだあれ、なあ、見てみろよ」
トリウィが頭上を指差す。喉元の赤い、青い翼の大きな鳥が、色とりどりの尾羽を揺らしながら、梢の下側をゆったりと飛んでいる。
「あんなの、町じゃあ見れないよな。すげえなあ」
だが、ラミアルはちらりと見ただけで、それ以上の関心を示そうとしない。ついトワロに助けを求めそうになるが、思い止まる。今朝、駅を発つ際に彼女と話しているとき、ラミアルが感情を爆発させたのだ。
「なあ……」
もう一度声を掛けかけて、口をつぐむ。目に入る密林の事柄については、話し尽くした。蔓に咲く花、宙を舞う蝶、獣の啼き声から、木の枝にとぐろを巻く大蛇まで。
これ以上話すことがない。これからのことに話を向ければ、自然と昨日のことも話に上る。失われた命は、取り返すことはできないのに、それができない将来をラミアルは認められない。
「あのさあ、システィル覚えてるか。ラミアルの隣に住んでた、キシュの子」
「……うん」
「俺達いつも一緒に遊んでたよな」
一緒に遊んでいたのは、親元を離れる四、五歳頃までだが、二人ははっきりと覚えている。知能が高く記憶力に優れるヒシュは、母親の胎内でのことを覚えている者も少なくない。
「あいつさあ。馬鹿なくせにすげえ乱暴だったよな。まあ、あいつだけじゃないけど。キシュの子供は数が多いし、ちっちゃいときから、身体だけはでっかいからな。俺達いつもいじめられてた」
ラミアルは膝を抱えた自分の手を見ている。
「あいつがさあ、おじさんの悪口を言ってお前を泣かしたことあったろ」
「うん……。覚えてる。あの時も、トリウィが助けてくれた」
自分よりも大きなシスティルに飛び掛かっていく幼い男の子の姿は、今でも鮮明に思い出せる。
「あの時が初めてなんだ」
「……え?」
ラミアルは、トリウィを見た。トリウィも、その目を正面から見返した。
「あいつに勝ったのは。ヒシュだってキシュに喧嘩で勝てるんだって知ったのは。それに……」
(とるぅ、つよーい)
「俺でもお前を守ってやれるって、そう思ったのは」
「でも……やっぱり無理だよ。あんたはヒシュなんだから。ヒシュが自分を守ろうと思ったら、一生懸命お金を稼いで、そのお金で護衛を雇って」
「違う! 誰かに守ってもらうんじゃない。俺が守りたいんだ」
「だったら――だったらあんたは昨日何してたのよ!」
その叫びに、トリウィは俯く。何も出来なかったことは、自分がいちばんよく知っている。
「……馬鹿みたい」
ラミアルは、足を伸ばして天を見上げた。青い翼の鳥が、まだ飛んでいる。
そのまましばらくは、誰も口を利かなかった。牛車の車輪が軋みながら、轍を踏みしめる音だけが、密林にそぐわない音を発し続けていた。
「後から、誰か来る」
そのとき、後向きに荷台に座っていたラミアルが、小さく叫んだ。トリウィがびくりとトワロを見上げる。
「そう」
トワロは首肯くが、手綱を握ったまま、振り向きもしない。
仕方なくトリウィは、後の方に目を凝らす。隊商ではない。牛車が見えない。だいたい駅にいなかったのだから、今頃追いついてくるはずはない。それに少人数だ。たぶん三人。たぶん流れの戦士が、契約先を求めて旅をしているのだろうか。それにしても追いついてくるのが早すぎる。牛車を使わぬ歩きなら、一日で町から町へと辿り着ける。が、追いつくなら夕方以降になるはずだ。彼らが走ってきたのならもちろん別だが。走ってきたなら、目的はなんだ。
彼らが近づいてきた。トリウィの手が剣に伸びる。ただ怯えを悟られまいとして。
「こんにちは」
ひとりが声をかけてきた。三人とも、褐色の染みで汚れた革鎧や革服を身につけ、歪んだ笑みを顔に浮かべている。
「なんだ、あんたら不用心だな。こんな子供ひとりを護衛につけてよ。野盗に襲われたらどうするんだ」
親切な仮面をかぶっている。その仮面が、二人の子供をおびえさせた。
「そういえば、この道の反対側に、野盗が皆殺しになってたが、あんたら知らないか?」
トリウィの手に力が入る。
「知るわきゃねえか。それよかどうだい。俺達を傭わねえか。この先物騒だぜ。こんなガキひとりに剣を持たせていても、綺麗な雌鶏は守れねえぞ」
トワロは無視しているが。その言葉にトリウィは敏感に反応する。
雌鶏……。やっぱりこいつら――
「いやーっ!!。もういやっ、お父さまを返してっ!」
それはラミアルも同じだった。突然錯乱したかのように喚きだす。
「ラミアルッ!!」
「もういやだっ!帰る!私帰るのっ!!」
三人が顔を見合わせた。
「てめえら、やっぱりなにか知ってやがるな。仲間を殺った奴らをよう」
ひとりが笑う。
「とりあえず、このガキはいらねえな」
「女に訊く方が楽しいからな」
そして、剣を抜く間もなく、トリウィの意識は闇に沈んだ。
とるぅ とるぅ
――なんだ?
トリウィ トリウィ
――だれだ? システィル、ハンガ叔父さん、親父……ラミアル!
「ラミアル!」
トリウィはうつぶせに倒れている身体を起こそうと両手に力を入れるが、背中に激痛が走り、突っ伏してしまう。
「トリウィ――大丈夫?」
ラミアルの泣きそうな声が聞こえる。
そうだ。いきなり背中を斬りつけられたんだ。ゆっくりと首を捻じり、声のするほうへと頭を向ける。ラミアルが、目を赤く腫らして覗き込んでいる。彼女を安心させるように、笑ってみる。実際、痛みは少しずつ退いていた。
「お前は大丈夫だったか?」
「うん。トワロさんが……」
安堵の息を吐いて、ラミアルが視線を上げる。
そういえば奴らは……。トワロさんがやっつけてくれたのか。トリウィはもう一度身体を起こして、ラミアルの視線を追ってみる。少し痛むが、なんとか起き上がれる。牛車の傍に、骸が三つ転がっているのが見える。
「もう少しじっとしてて」
背後から、トワロの声が聞こえる。何をしているのか、賊に斬られた場所が暖かい。この感覚は覚えがある。喧嘩で殴られたところを、ヨウシュの母に治してもらったときの暖かさ。
そのぬくもりに身を委せているうちに、おかしなことに気がついた。トワロはキシュだ。あんなに強いんだから間違いない。だったら癒しが使えるはずがない。思わず後を振り返る。
「あんた、どうして法術を使えるんだ」
「……もう痛みません?」
「あ、ああ。いや、それより、あんたキシュじゃなかったのかよ?」
「この人、ケンシュ、みたいなの」
「ケンシュ!?」
ヒシュに生まれて、キシュとヨウシュの力を合わせ持つようになった者。
トワロの昏い瞳を見つめるトリウィの目に、希望と羨望の光が宿る。
己れもそんな力を得られるかもしれないという希望と、求めて得られるわけではない力を持っている人に対する羨望。
それを感じてか、トワロの長いまつ毛が伏せられる。
「トリウィ、もう大丈夫なの?」
「ああ、……大丈夫みたいだ」
心配そうなラミアルの問いに、立ち上がってみる。少しふらつくが、もうまったく痛まない。
「あの、トワロさん。ありがとう」
「……ありがとうございました」
ラミアルも頭を下げる。ただ、どうせなら斬られる前に助けてくれればよかったのに、という思いも見て取れた。
「さあ、行きましょう。暗くなる前に、町へ着きたいですから」
トワロは御者台に上り、手綱を手に取った。そして、体をねじり、少年に口を開く。
「トリウィも荷台に乗ってていいですよ」
「でも……」
「どうやらあなたは、護衛には見えないみたいだから」
トリウィは肩を落とし、ラミアルは微妙な表情を見せた。幼なじみをかばってやりたいが、戦士の真似もやめてほしいのだ。
二人が荷台に乗り込んだのを確認すると、トワロは手綱を軽く振った。牛車がぎしぎしと動き始める。賊の死体は、日が落ちるまでに密林が始末してくれるだろう。
「痛くない?」
ラミアルがトリウィに向かって手を伸ばした。心配そうに、眉をひそめている。
「ああ。全然。ちょっとふらふらするけど。それより、俺、どの位気を失ってたんだ?」
「四半巡時も経ってないと思う。トリウィが斬りつけられてから、あの三人をトワロさんがあっという間にやっつけて、それからすぐに癒しをかけてくれたから」
「ふーん」
トリウィは、恐る恐る背中の傷跡に右手を回した。肩甲骨の下辺りで、革鎧がざっくりと真横に口を開けている。指を差し入れると、直接肌に触れる。一瞬傷口に触れた気がして、体がびくりと動くが、やはり痛みはない。
それを確かめると、トリウィは荷台から御者台へと体を乗り出す。
「あのさあ。トワロさんは本当にケンシュなの?」
「……どうして?」
「俺、ケンシュの人って、三人ほど知ってるんだけど、確かに力も強いし、法術も使えたけど、そんなに大したことなかったからさ。とてもキシュ相手には勝てそうにないし、大怪我をこんなにあっさり治したりは出来なかったからさ」
「……」
「まあ、俺みたいに剣の修業をしてたら、力が顕れたらすげえ強くなれると思うんだけど、普通はそんなことしないだろ。だからトワロさんも、実はケンシュじゃなくて、ヨウシュじゃないのかなーと……」
「馬鹿ね。ヨウシュが剣で戦えるわけないじゃない」
ラミアルが割り込む。己れの思いに沈むことより、幼なじみへの心配が上回ったのだろう。
「法剣士っていうのがいるんだ」
「なによそれ」
「法術と剣を組合せて戦う戦士のことさ。ケンシュの戦士をそう呼ぶこともあるけど、本当は生粋のヨウシュのことをいうんだ。どんな仕組みなのかは知らないけど、短時間ならキシュの戦士より強いっていうぜ」
「まさか」
「……よく知っていますね」
ラミアルの疑う声をさえぎるように、トワロがトリウィの顔を振り返った。ちょっとした驚きがその声に現れていた。誰でも知っていることではない。
「やっぱりそうなんだ!?」
「いいえ、違います」
しかし、少し嬉しそうなトリウィの言葉を、あっさりと否定する。
「……じゃあ、なんでそんなに強いのさ」
「幼い頃から剣の修業をするヒシュは、あなただけではない、ということです」
「あんたも? じゃあ、俺もケンシュになれるかな!?」
目を輝かせて、トリウィが訊く。キシュとしての修練を重ねれば、その力が宿るのだろうか。だがトワロは、目を伏せて首を振った。
「わたしもケンシュを何人も知っています。でも、力を得て幸せになった人はいません」
「……そんなはずない。すべての力を持ってるのに、幸せじゃないなんて、そんなの嘘だ!」
「望んでケンシュになれた人もいません。この力は望まぬ者、諦めた者に与えられる。例外をわたしは知りません」
「じゃあ、あんたはどうなんだよ。子供の頃から剣を学んでたんだろ。戦士になりたいからじゃないのかよ!? だったら――」
「あなたは自分がヒシュだと知っていたのでしょう?」
「当たり前じゃないか」
「わたしは、みんなの力が顕れるまで、それを知りませんでした」
トワロの表情が、ぼう、と煙る。
「どういうことだよ?」
「わたしはキシュとして、錬成館で育ちました。力が顕れず、そこを追われるまで」
トリウィもラミアルも、奉公に出たときから、ヒシュとしての能力を磨き続けている。算術や記憶術などは、幼いうちに基礎を身に付けなければ、ヒシュといえどその力を完全に発揮するのは難しい。それはケンシュが力を得てから修練を積んでも、戦士としても法術師としても、中途半端にならざるをえないのと一緒だ。
ヒシュとしての道筋から落伍したものの末路は、二人とも知っている。城や商家で最下層の下人としてこき使われるか、色街に売られるか。初めからヒシュとしての素養を与えられなかった、そして見目のよいトワロがどの道筋をたどったのか、ラミアルには、考えなくてもわかる。
トリウィも複雑な表情をしている。彼が今まで落後者として扱われずにすんだのは、親の友人であるハンガの下で奉公していたからだ。ヒシュとして、商人として身を立てるつもりのない彼も、ハンガの庇護なしに、剣の修業にうつつを抜かせたとは思わない。そのハンガも今はいない。
「でも……。どうして間違ってるって、錬成館に入ってからでも、すぐにわからなかったの?」
ラミアルが訊いた。幼いうちは、キシュ、ヨウシュ、ヒシュの区別がつきにくいので、間違えてしまうことがたまにある。それでも奉公に出るなり、錬成館に入るなりしてしばらく暮らせば、普通はわかるし、やり直せるものだ。
「剣で負けたことはありませんから」
あっさりとトワロが言った。確かに強ければ、疑われるわけがない。
「でもさあ、結局力が顕れたんだろ。だったら……」
「そうね。みんなの力が顕れて、わたしだけがとり残されていたときに顕れてくれていればよかったのだけれど――」
「でも、でも、あんたは力を得たんだ。同じヒシュに生まれて、ケンシュになれる奴となれない奴がいる。そりゃ、力は人の自由にならないっていうけど、力が顕れる理由がなにかあるはずなんだ。望んだ者に力が顕れないなんて、絶対嘘だ。俺は絶対に力を得る。その力で戦士になる。ラミアルも俺が守る。絶対幸せになってやる」
「……トリウィ」
「そう……ね」
――この少年は、わたしとは似ていない。似ているのはあの男の方だ。自らの境遇に甘んじない、その意志の力――
今回もお付き合いいただき、ありがとうございます。
ちょっと長めでした。次もおんなじくらいかな。
次回予告
最後の扉の前でついに追い詰められてしまった勇者トリウィは、とうとう禁断の呪文を唱えてしまった。呪の響きに呼応するように、シャイニングマンティスが、闇に包まれてゆく。
そして、すべての盗賊を皆殺しにしたダークマンティスの鎌が、トリウィにも向けられる!!
「命の価値」
3/10更新予定
……こんな嘘っぱちの次回予告はありですか?
いや、でも今回はちょっとはホントも混じって……る様な気がしないでも。
お楽しみに♪