二幕・万事窮す
「マーゴ姉ちゃん。ごはん」
「あ、ペグさん。いま行きます。お父さんは?」
ランデレイル城の奥殿で、ペグに声をかけられたマーゴは、読んでいた本から顔をあげた。
「いつものところ」
「そう……」
ロウゼンが、このランデレイルの城主になってから、すでに百日近くが経っていた。
城兵としての経験がまったくない、密林で暮らしていた男が突然ひとつの城の主人になったのだ。ロウゼンに城主として城の運営など出来るわけが無く、今の彼は、飯を食い、剣を振り回し、城の主座で何事かを考えているのか座り込む、ということを繰り返している。この時間も、主殿でどこかを睨みつけたまま座っているのだろう。食事でさえ、そこで取る。相変わらず極端に無口なので、何を考えているのかわからない。
それでも、城兵の募集や農業組合との交渉は、アデミア王の親衛隊長だったグルオンがロウゼンにかわって何とかこなしているし、城の経営については、それぞれの城に隣接している役所に軍とは関係なく存在している官僚機構があるから、ロウゼンが何もしなくてもなんとかなっている、のだが――
「あ、グルオンさん」
厨房に隣接する大部屋に、グルオンがただひとり胡坐を掻き、目の前の膳を睨んでいた。
「ああ、マーゴ。勉強は進んでいるか」
そう訊く表情も、何か気に掛かることがあるのか、元気がない。
「ええ、何とか……」
マーゴは今、統一法を初めとする、城主として必要な様々な事柄について学んでいた。戦場に立つつもりはもちろんなかったから、せめてロウゼンに助言できるだけの知識が欲しかったのだ。もともとヒシュとして生まれたマーゴだから、知識を得るという行為自体は結構楽しいことだった。
「グルオンさんの方は……?」
グルオンは、険しい顔のまま、首を振る。
今この城の最大の課題は、兵力の不足だ。フィガンとカクテスを討ち、この城を手に入れたあの日の前日、この城の兵力の大半はロイズラインへと送られていた。だからこそロウゼンはこの城を盗ることが出来たともいえるのだが、ロイズラインへと向かった兵は、そのままロイズラインで契約し、戻ってこない。
残っていた二千に足りない兵は、その半数をマーゴが殺してしまっている。生き残った千のうち、ロウゼンの強さに魅了され、彼と主従契約を結んだ兵は三百。残りはマーゴの力を怖れて、逃げ出した。
その後ロウゼンは、グルオンに城主の代行を委せて農業組合と共闘契約を結び、城兵の募集をかけたのだが、思ったように集まらない。城兵になりたいものはいくらでもいるのだが、弱兵ばかり集めても仕方ないし、てぶらで来る農民上がりに支給する、剣も鎧も不足している。装備を購うための軍資金も底を突いた。
共闘契約を結んでいる城と戦えば、たとえその城を手に入れたとしてもその後の支配が難しくなる。おそらくそのおかげで、ミューザを初めとする諸勢力が攻め込んでこないのだろうが、その期限はあと二百日余り。その間に何とか態勢を整えなければならないのだが、グルオンにはもう、どうすればいいかわからなかった。すでに癖になっているのだろう、指で頬の赤い筋に触る。
部屋の外で、豹、おいでー、と、ペグの呼ぶ声が聞こえる。その声に惹かれたわけではないだろうが、二人の男女が入ってきた。
小柄な初老の女性は、この城の官僚をまとめる管理官のジェイフィア、そして、赤茶色の髪をした大柄な戦士が、この城の千人隊長のうち、唯一ロウゼンと契約した、というか生き残ったサルト。これで、ロウゼンをのぞいたランデレイルの中枢が揃った。マーゴを入れてもわずか四人。
未だに前衛軍、直衛軍、後衛軍の三軍揃えるどころか、そのうち一軍さえも編成できないのだから仕方ない。グルオンを補佐し、城兵の募集に係わっているサルトの表情が暗いのはともかく、ジェイフィアも負けていない。本来なら武具の二万やそこらは購入することの出来る程度の軍資金の貯えがあるはずだが、城兵をロイズラインへと移動させたときに、軍資金もほとんど持っていってしまったのだ。それにこのところの価格の高騰で、満足に剣も盾も鎧も買い入れることが出来ないでいる。
暗い雰囲気のまま食事を終える。ペグはこの雰囲気を嫌って、ロウゼンのところで一緒に食べているのだろう。と言ってもロウゼンが明るいわけではないが。
「グルオン様。今日の報告を」
サルトがグルオンに向き直る。彼はロウゼン達がこの城に乗り込んだときの戦いを、その場で見ている。ロウゼンの力に惹かれたのはもちろんだが、グルオンの戦いぶりも見て、彼女が高名なアデミア王の盾であったことを知ると、すぐさま心服してしまったのだ。
「本日新たに契約した城兵は、十二名。武具を持っているものは、その内四名のみです」
「知ってる。さっき剣を振らせてみたが、だめだ、あれでは」
グルオンが首を振る。
「しかし、今はひとりでも多くの兵を集めなくては」
「わかっている!ジェイフィアは?」
「はい。明日、百日税が入りますが、今の剣の相場からすれば、百二十購うのがせいぜいでしょう。それよりは兵糧を処分してそれを購入代金にあてれば。この様子であれば、一万程度を養えられるだけあれば……」
「それで、どれぐらいになる?」
「そうですね。今回備蓄分を放出するとして三百。その後は、百日ごとに四十というところですか」
グルオンは、大きく溜息を吐く。
「とても足りない。とりあえず戦力を整えなければならないのに、これでは」
そして、マーゴに向けて、半ば本気でぼやく。
「マーゴが戦ってくれるんだったらな、城を守るくらいどうにでもなるだろうに」
グルオンはマーゴの力を知っている。この城に詰めていた二千の城兵のうち、一瞬で千名近くの兵の命を奪ったのだ。うまく使えば、一万の軍ほどの力はあるかもしれない。
「……ごめんなさい。でも復讐を果たしてしまいましたから、あの力が出せるかどうかわからないし、それに、もし力を使えたとしても、よく知らない味方の城兵さんを殺さずに済むかどうか――」
それに、たとえ力が自在に使えるとしても、戦場にはもう立ちたくない。それがマーゴの本心だった。
「わかってる。言っただけだ。とりあえずミューザも他の城も攻めてこないのが、救いだな」
どの勢力も今のこの窮状を知っていて、何も農業組合との共闘契約を結んでいるこの時期に攻めなくても、契約が切れてからゆっくり攻めようと、そういうことなのだろう。そして、その攻勢を防ぐ手立てはない。
四人は揃って溜息を吐いた。
次の日、マーゴは朝食の膳を持って、ロウゼンの所へと向かった。主殿の広間の奥、城主の座る主座に胡坐を掻いて、ロウゼンはペグと一緒に食事を取っていた。剣の鍛練をしたあとなのか、上半身裸で、うっすらと汗を掻いたままだ。
マーゴがここで食事を取るのは、実は初めてだ。あの日、確かに繋がったと思った絆は、もう見えない。
ロウゼンの正面に座った銀髪の娘を、ロウゼンはちらりと見て、すぐ食事に戻る。彼と並んで食べているペグは、突然やってきたマーゴを不思議そうに見た。その小さな娘は、以前とかわらず、いや、以前にもましてロウゼンと近しくなっている。瀕死のロウゼンを想いの力だけで癒すという、いわば奇跡にも等しい出来事を経験してから、彼女を縛りつけていた何かがなくなくなったのだろうか。ロウゼンやマーゴに対しては少しずつ話すようになっている。成長を止めていた身体も、伸び始めたようだ。
しかしマーゴは、口も利かずに食事をはじめる。
「私もいいか」
マーゴの横に、グルオンもやってきた。彼女も朝食の膳を持っている。そしてそのまま食事の輪の中に入った。
「あの……。久しぶりですね」
マーゴが小さな声で言った。今いる四人と、ペグの横で毛づくろいをしている豹は、あの日この城に乗り込んだ者達だ。しかしその後、グルオンは城の建直しに奔走していたし、マーゴは、何といってもロウゼンがこの城の城主になった、そもそものきっかけだ。だから何か役に立ちたいと、グルオンと同行し、ジェイフィアに教えを請うていた。だから、みんな揃って食事をする機会が本当になかったのだ。ここ数日、やっとその余裕が出来た。というよりは、グルオンもマーゴも、なすべきことが見つからない、そういったほうが正しいか。
「ロウゼンさんは……、今、何をしているんですか?」
ペグと話すとき以外は、ロウゼンをお父さんとは呼ばなくなった。
「グルオンさんも、サルトさんやジェイフィアさんも、みんなロウゼンさんの為に頑張って、苦労しているのに――」
ロウゼンに睨まれて、マーゴの声が小さくなる。
「そりゃあ、この城に来たのはわたしのせいだから、もしかしたら迷惑だったかもしれないし、城主なんかになるつもりもなかったかもしれないけど」
「そんなことはないだろう。キシュに生まれて、城主になることを迷惑に思うなんて!」
グルオンが口を挟む。
「だって、シュタウズの生まれなんですよ」
「シュタウズだって、名誉は名誉だ! ……それに私は、ロウゼンの為に働くことを、苦労だなんて思ったことはない!」
「……考えていた」
突然ロウゼンが、口を開いた。
突然のその言葉に、マーゴとグルオンは呆気に取られる。考えるという言葉ほど、ロウゼンに似合わないものはない。マーゴは恐る恐る疑問を口にした。
「考えていたって、……何を?」
「城主とは、何だ」
ロウゼンの問いにグルオンが答える。
「城主とは、城下町の民、農民、城に頼って生きている全ての人々を、守り導いていくものだ」
「本当に?」
これはマーゴ。
「……いや、私はそう王に聞いたが」
「俺は、城主など、必要なかった。ならば、だれもが必要なかろう」
「そんなことはない。統一法にも記されているし」
「法などなくても、俺は困らん」
「いや、それは……」
グルオンは、何も言えなくなる。城兵として生きていかないのであれば、法などいらない。確かにそうだ。口を閉ざしたグルオンの後を、マーゴが引き継ぐ。
「でもそれは、ロウゼンさんが強いから。弱い人にはやっぱり、守ってくれる人や、法が必要ですよ。それが城主や統一法かどうかはともかく。それにシュタウズだって、法はなくても掟はあるでしょう」
「誰がつくった」
「それは、統一王ですよね」
グルオンが首肯く。
「人がつくれるものならば、俺がつくろう」
グルオンとマーゴは驚いた。
「それは、統一王を目指すということか!? どうやって!?」
「どんな法をつくるつもりなんですか!?」
ペグはひとりキョトンとしている。
「それを考えている」
「なんだ……」
マーゴは、肩を落とした。
しかしグルオンの目は嬉しそうに輝いている。
――統一王!アデミア王でさえそのようなものを目指そうとはしていなかった。
「わかった。あなたがそのつもりなら、私もできる限りのことをしよう」
「そんな、今この城がどんな状況なのか、グルオンさんがいちばん知っているはずです」
「もちろんだ。城兵が集まらないのは、この城があっさりミューザあたりに奪われると思われているからだ。一度戦ってロウゼンの力を見せてやれば、きっと兵が集まる」
「勝てるんですか?」
「…………」
返事がない。
ふう。マーゴがもう一度肩を落とす。
ロウゼンが統一王を目指そうが、どうしようがマーゴにはあまり関心がない。ただ、彼が城主になったときから、マーゴは悩んでいた。ロウゼンは彼女を助けてくれたから、その恩を返したい気持ちはある。しかし彼が城主である以上、いや、戦士である以上、どうしても戦いから離れることはできないだろう。つまり、グルオンを手助けするということは、人を殺す手伝いをするということではないのか。
マーゴ自身、自ら望んだことではないとはいえ、数えきれないほどの生命を奪い、最後には、実の父親さえ殺した。だから綺麗事を言うつもりはないが、それでも戦が正しいことだとは思えない。
――本当。わたしに何が出来るんだろう。
「どっちにしても、ロウゼンさんは一応このお城の城主なんですから。何かグルオンさんの手伝いでもしてください」
その言い草に、ロウゼンは眉をひそめ、グルオンは慌てた。だがマーゴは恩は恩として、グルオンのおかれている状況がわかるだけに、黙っていられない。そしてグルオンが何か言おうと口を開きかけたとき――
「グルオン様!」
サルトが駆け込んできた。ロウゼンの姿を見て一瞬足を止めるが、すぐにグルオンの傍に膝をつく。
「どうした」
「はい。あの、城門の前に怪しげな風体の者どもが。――ロウゼン様に会わせろと」
グルオンはロウゼンを思わず見るが、彼も心当たりのあるような顔はしていない。
「どんな奴らだ」
「それが、どうも町の人間ではなく、森の民といわれる者どもかと」
グルオンはもう一度ロウゼンを見た。
「どうする?」
「会おう」
ロウゼンは立ち上がった。
お付き合いいただきありがとうございます。
今回は状況の整理が大部分で、盛り上がりに欠けますね(泣)
次回にご期待ください!
「血族」(仮)
2/17更新予定です。
もりあがれ〜
もりあがれ〜(笑)