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奪われた者


「ひっ」

 表情のないトワロの視線に一撫でされて、ラミアルは地面にしゃがみ込んだままトリウィの背中にしがみつく。トリウィは、顔を腫らし口の端から血を流したまま目の前に立ったトワロを睨みつけるが、その目の中の脅えは隠しきれない。

 生き残ったのは、トワロを別にすれば、子供二人のみ。御者を務めていた者達、それはハンガの店で使われていたヒシュの若者達だが、彼らも戯れに斬り殺されていた。

 トワロは、剣を野盗の服で拭い、鞘に納めて改めて筵で巻く。あれだけの人間を斬ったにもかかわらず、その身に返り血の一滴も浴びていない。その白い顔にも、一雫の汗も浮かんでいない。

「わたしは、このままランデレイルへ向かいます。あなた達はどうします?」

 そう二人に声を掛け、トワロはカーラルに斬り殺されたハンガの傍に屈み込み、彼の腰から、旅の資金を入れた皮袋を取り上げた。そして、それを己れの懐に入れる。

「なっ!?それはお父さまのもの――!」

 震えていたラミアルが、恐れを忘れて声をあげる。

「返しなさいよ!」

 だが、トワロの昏い瞳に見つめられて、言葉を失う。

「このお金は、あなたの父親を殺した、野盗のものです。わたしは野盗を殺した。だから今は、わたしのものです」

 そう言って、牛車を見る。彼女の理屈で言えば、この牛車も彼女の物だ。このまま徒歩で次の城下町まで行けば何とか今日中に辿り着けるだろうが、牛車があれば野盗共の持っていた剣や盾も持っていける。それを迷っていた。牛車に積んである商品はカイディア向けの物だから、港まで持っていかなければあまり高くは売れないのだが。

「ど、どうして……どうしてだよ!?あんた、そんなに強いんだったら、どうして初めっから戦ってくれないんだ!?そうしたら、みんな死ななくて済んだのに!」

 トリウィが、震える声で、トワロを責める。

「そうよ!お父さまも……」

 ラミアルも泣き崩れた。

「どうして?どうしてわたしが戦わなくてはならないのですか?わたしは、あなたのお父さまにこの身体をひさぎ、旅の安全を購ったのです。それなのにあなたは、わたしに戦え、というのですか?」

 しかし、トワロの冷たい問いに、二人の子供は答えることが出来なかった。

 どうするのですか、と重ねての問いにも答えず、ラミアルは父親の死体に縋りついた。その背中をトリウィが擦ってやる。

 その様子を見て、トワロは野盗の剣を諦めた。子供達がどうするつもりなのかは知らない。もう少し待てば、他の隊商がやってくるかもしれない、が、やってこないかもしれない。逆に野盗の仲間が、様子を見にやってくるかもしれない。

 トワロは引き返すつもりがないから、二人はここから引き返すか、彼女と一緒に次の町まで行くか。彼らが引き返すのなら、トワロは徒歩で旅を急ぐが、二人が一緒ならば、特にラミアルはとても歩いて次の町まで行けないから、牛車に乗ってゆっくりと行かなければならない。同じ牛車に父を殺した野盗の剣を積んでは、彼女の気分も晴れないだろう。

――まあいいわ。お金はありすぎて困ることはないけど、無ければ無いで、別に構わない。そういう生き方を、今までしてきたんだし。

「なあ、ラミアル」

 ようやく落ち着いてきた彼女の背中を、それでも擦りながら、トリウィは言った。

「俺……、このまま旅を続けるよ」

 ラミアルが、泣き腫らした目を幼なじみに向ける。その目が、どうして、と問い掛ける。

「旦那様は死んじまったし、ああ、ごめん……」

 再び涙をあふれさせるラミアルを見て、慌てて謝る。

「でも、だから俺、もう帰るところがないし」

「そんなこと……ないじゃない。あなたの家には、おじさんもおばさんもいるんだから」

「ああ……。でもそんなんじゃないんだ。今日はっきりわかったよ。俺、強くなりたい」

――せめて、おまえを守れるくらいに。

「でも……」

「そりゃあ、俺はキシュじゃないから、どうしても越えられない壁がある。だったら、壁のないところに行けばいいんだ」

 それは、このアロウナ大陸を捨てて、カイディア大陸へと旅立つこと。

「……だからさあ、おまえにも、一緒に来てほしいんだ」

 それはトリウィにとって、精一杯の告白であったろう。だが、彼の気持ちは、ラミアルには決して理解できるものではなかった。

「いやよっ!行くんだったら、勝手に行けばいいじゃないっ!」

 そんな言葉を投げつけるが、しかし、その言葉がトリウィを傷つけたことだけはわかった。

「違う。嘘、嘘だよ。トリウィも、一緒にレイクロウヴに帰ろうよ」

 それまでこらえていた涙が、今にも溢れだしそうなトリウィの表情に、ラミアルは言い換える。

「いやだっ!俺は行く。おまえこそ一人で帰ればいいじゃないか」

「そんなのって……」

 涙を流すことすら忘れて、ラミアルはトリウィを見つめる。そのまま二人は言葉を失い、その場に立ち尽くした。

「そろそろ出発しないと、駅に着く前に陽が暮れてしまいますから、次の町までか、せめて駅で道連れになってくれる隊商を見つけるまで、一緒に行きませんか」

 みかねたトワロが、助け船を出す。二人の言い争いを聞いているうちに、彼女の目に宿っていた仄昏い闇が、消えていた。

「それとも、あなた達だけで、この密林を抜けます?」

「……でも、お父さまを――」

 幼なじみに見捨てられるという不安が、トワロに対する脅えと怒りに打ち克ったのか、自分よりわずかに高い位置にある黒い瞳をラミアルは見上げる。そして再び、父親の傍にしゃがみこんだ。

「レイクロウヴに連れてかえって、お墓を……」

「密林で死んだ人は、密林に帰してあげましょう。大きな木の下に運んであげなさい。さあ、トリウィ、あなたも手伝って」

「でも……」

「さあ」

 二人がハンガの亡骸を道から少し入ったところにある大木の根元に横たえ、別れを告げている間、トワロは牛車の牽牛を撫でてやっていた。

 もともと密林に住む、獰猛な三角牛であった獣。獣にも人のように月の力を受けるものは多いが、全ての個体が力を受けるのは、人をのぞけばこの三角牛のみ。草を食み、獣を狩り、密林の生態系の頂点を占める巨獣。

 それが幼獣のうちに、力を受けるための額の角を折られ、人の命のみに従うように、目を潰され、耳を塞がれ、穏やかな質にするために、稲藁のみを与えられる。そして一生を、車を牽くためだけに過ごす獣。このまま密林に放っておかれれば、身の回りの草を食べ尽くし、そのまま飢え死にする。いや、その前に密林の獣に襲われるか。己れの意志で歩くことすらない。

 この牛のようであることは、どういうことなんだろう。初めから自由を知らなければ、それを求めることもないのだろうか。他の生命を奪うこともなく、ただ役目を果たし、餌を与えられて生きていく存在。

 トワロは周りに折り重なって倒れる野盗共の骸をみて溜息を吐く。他人の生命を奪い、何の役目も持たず、財産を奪って生きていく存在。

 そのような存在には二度となりたくはない。一人で密林を旅すれば、野盗に襲われる危険が高いから、そうなれば、無意味に人の命を奪ってしまうから、その危険を避けるためにこの隊商に身を寄せたのだけど。

 まあいいわ。たとえ百や二百の命を奪わずにすんだところで、この身に染み込んだ血の匂いが、死臭が、消えるわけじゃない。

(どうして初めっから戦ってくれないんだ!?)

(みんな死ななくて済んだのに!)

 どうして戦わなければならない。襲われた人を助けるために、襲った人を殺す。そこに何の意味も違いもない。わたしが戦うのは、わたしの身を護る為だけ。

「もういいですか?」

 うつむいて密林から出てきたトリウィとラミアルに声を掛け、先頭の牛車の御者台にあがる。

 どうやら獣に襲われずにすんだみたい。そろそろ血の匂いに誘われて集まってくるはずだけど。

「あの、残りの牛車は……?」

 この状況でも、商品のことを忘れないのは、ラミアルもさすが商人の卵ということか。

「運がよければ、明日にでも隊商が通り掛かって、連れていってくれます」

 そう言うと牽牛に鞭を当てた。ラミアルが慌てて荷台に飛び乗る。

「トリウィは歩いて」

「どうしてだよ!?」

「護衛が一人くらいいないと、おかしいですから」

 そうトワロに言われて、トリウィは不満顔になった。

「また襲われるって?みんなあんたが殺しちまったじゃないか!」

「仲間がまだいるかも知れませんし、それに野盗じゃなくても、無防備な旅人がいれば襲いたくなる人というのは、いますから」

 荷台で膝を抱えて座り込んでいたラメアルが、頭をあげて、不安そうにまわりを見回す。

「じゃあ、あんたがまたやっつければいいだろ」

 動きだした牛車について行きながら、トリウィは大きな声でぼやく。

「今度は、わたしは、あなた達を助けません」

「えっ、どうして!?」

 少年が、とたんに怯えた瞳でトワロを見上げる。

「今度は、というより、今度も、ですね。わたしはあなた達を助けたつもりはありませんから。それともあなたは、わたしに助けられたのですか?」

 トリウィの脳裏に、野盗に殺された主人や仲間達の姿が浮かんだ。俺達を助けるつもりがあったのなら、みんなのことも助けてくれたはずだ。そうだ、今度こそ、俺がラミアルを守らないと。

 少年は、腰に提げた役には立たなかった剣を、それでも握り締めた。

――商売でもないのに、こんなに人と話したのは、久しぶりだ。わたしも、ずいぶん親切になったわ。

 トリウィに聞こえれば、どこがだよ、とつっこまれそうな思いを、言葉にせぬままつぶやいて、トワロは道の先を見る。

 陽が暮れるまでに、駅に着けるかしら。そういえば、あの男は、最後にわたしの名を呼んだあの男は、誰だったろう。わたしと同じ剣を使う、捨てて久しい名を知るあの男は――

 まあいいわ。死んだ人間を気に掛けても仕方がない。


 次の町へと向かう道の中間点である駅には、誰もいなかった。このまま真っすぐ海へ向かえば、ランデやラルカといった、今非常に不安定な地方を通らなくてはならないから、この道の通行量が少ないのも仕方ないかもしれない。おそらくハンガも次の町辺りから、迂回路を通るつもりだったのだろう。

 火を焚いて、牛車に積んであった食料で簡単な食事を取る。ラミアルは火を見て安心したのか、それまで一言も口を聞かなかったのが、再び嗚咽しはじめた。落ち着くのを待って、トリウィが彼女に食事を与え、眠りにつくまで傍に付き添っていた。

 トワロが牛の世話を済ませ、焚火を見つめているその火を挟んで反対側に、トリウィは腰を下ろす。

「……」

 しばらく二人は無言で、薪が崩れていくのを見つめていた。トリウィは最初、トワロが声を掛けてくれるのを待っていた。しかし、彼女が彼に関心を払わないのにいらついて何度か声を掛けようとするが、あーとかうーとか、口の中でつぶやくだけでなにもできない。そして、火とトワロを交互に見つめて、小さく溜息を吐く。

 突然、くすくすという忍び笑いが聞こえた。トリウィの様子に我慢できずに、トワロが笑っているのだ。それに勇気を得てやっと話し掛けた。

「あのさあ、あんた、いやトワロ……さん。トワロさんは、強いよな」

「そうね」

 あっさり肯定されて、トリウィは少し口篭もるが、気を取り直して続ける。

「……トワロさんは、その力で、何をやってるんだ?」

「何って?」

「だから、それだけ強いんだったら、城主を目指すとか、自分の流派を興すとか、何かを守るために戦うとか、色々あるじゃねえか」

「普通のキシュの人なら、そうでしょうね」

「……普通の?」

「あなたは、どうして戦士になりたいの?」

 トワロは逆に訊き返す。

「えっ、俺は――別に理由なんて……。ただ、かっこいいなあって思ってたし、それに子供の頃は、キシュの奴らより俺の方が強かったし」

(とるぅ、つよーい)

幼い少女の声。

「ずっと前から、俺は戦士になるって決めてたんだ」

「あの娘を守るため?」

 少年の顔が、見る見る赤くなる。

「え、ち、違うよ……」

 大きく首を振る少年を見ても、トワロはニコリともせずに言う。

「ヒシュは戦士にはなれないわ」

「そんなこと!あんたに言われなくてもわかってるよ!だから俺は――」

「カイディアに渡っても無理よ」

「どうしてだよ!?」

「このアロウナから離れると、ヨウシュは意識を失い、キシュは動くことすら出来なくなり、ヒシュは全ての記憶を失う。わたし達は、あの月から離れられない」

 そういう噂があるのは知っていた。だけど信じることは出来なかった。

 トリウィは頭上に輝く月を仰ぐ。

「だったら、俺はどうしたらいいんだよ」

――わたしにわかるわけがない。でも、この少年のことは、何だか気に掛かる。それは、わたしに似ているからなのだろうか――



今回もお付き合いいただきありがとうございます。

次回は久々、ロウゼン一行に戻ります。

 「窮す」(仮)

2/10(土)更新予定です。

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