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一幕・剣の一

    剣


 サ――――

 日蝕明けの激しいスコールが、ようやく東の方へ去っていき、雲の間から陽が射し込みはじめた。

 とはいえ、密林の中をまるで隧道のように貫いているこの道には、ほとんど光は届くことはない。だけど、スコールの間はおとなしかった密林の様々な動物たちも、互いに呼び掛けを始めている。

 ラルカレニからラルカロオに向かう、密林を貫く道。その木々の隧道を進む牛車が三台いた。

カイディア大陸から来た商人だろう。密林を行く隊商にしては、牛車の数が少ないが、かなり高価な品を運んでいるのか、護衛の戦士は、一台に四人、あわせて二十人がついている。そして、相談役兼案内人として、ヒシュの商人が一人。

 ちなみにヒシュとは、このアロウナ大陸で、主に商人として身をたてている者たちのことだ。ほかに、戦士であるキシュや法術という力を使うヨウシュという者たちがいるが、それらは、獅子と虎と豹が違うように、別の者である。

 そのソイルという名の相談役は、先頭の牛車の御者台に座っていた。

「バスキン、雨が上がりましたよ」

 幌の中に声を掛ける。

「ああ、そのようだ。君のおかげで、この旅も順調だね」

 幌から顔を出したこのバスキンという男が、カイディア大陸からの商人だろうか。

「今朝の話ですが」

 そうソイルに話を切り出されると、バスキンは嫌な顔をする。

「はじめに言ったように、商売の旅をするには、決して安全な土地ではないのですよ。あなたと契約をかわした以上、私にはあなたを危険から遠ざける義務があります。それなのに、あんなのを拾って。厄介ごとに巻き込まれたらどうするのです」

「あんなの、ってそんな、女の子が助けを求めてるのに、見て見ぬ振りは出来ないよ」

「この大陸では女だからって、油断しないでください。大体助けてくれっていうのは、誰かに追われているんじゃないですか」

「追われてるんなら助けなきゃ」

「このアロウナで商売しようと思うのなら、甘いことを言っていては駄目です」

 そんなことを言いながらも、この道沿いでは現在戦が起きてはいないせいか、皆も気が楽なようだ。力を抜いて、あまり辺りに気を配る様子もなく進んでいる。が――

「全隊、止まれ!」

 先頭を進んでいた護衛頭が声を上げた。牛車の御者が手綱を絞り、一同が停止する。

 護衛たちも、何らかの気配を感じたのか、全員抜剣する。

「なんだ。どうした」

 ソイルが声をひそめて、護衛頭に訊いた。その時、道沿いの薮を揺らして、何者かが数人走り出た。

「野盗か?」

「いや、あれは城兵だ。あの頭冠は……ランデレイル城のもの」

「切り抜けられるか」

 最後の問いには答えず、護衛頭は、前方の兵に顔を向けたまま、油断無く剣を構えている。と、さらに薮をかきわけ、幾人か姿を現した。

 ソイルの顔が歪む。護衛たちも動揺しているようだ。

 城兵というのは、その名の通り、城に仕える兵だ。キシュが成人するとき、特に腕の立つものだけが、城主と契約を交わすことが出来る。

もちろん護衛たちもそれぞれ腕に覚えのある戦士だし、契約を守ることを義とするこの大陸で、商人と荷物を護るという契約を交わした以上、全力を尽くし、命を懸けても戦うが、それでもこの場を切り抜けることは難しい。相手の練度にもよるが、二対一の人数差でなんとか互角というところ。それなのにこちらと同数ではもうどうにもならない。いや、牛車の列の後方から、さらに数人が駆けて来ている。

 くう、と呻きながらソイルは御者台に立ち上がった。

「ランデレイルの方が、何の御用でしょうか」

 前方に立つ、指揮官らしき男に声をかける。

 が、その男はその場にとどまり、辺りの気配を探っている。そして、さらに幾人かの兵士が追い付いてくると、初めてソイルの方に視線をやった。

「足止めして申し訳ない。我等の主の命により、ひと一人探しておりまして。もしあなたがたのなかに、銀の髪をした娘がおりましたら、引き渡していただきたいのですが」

 ソイルが後ろをふり向き何かを言おうとする。その手をバスキンが押さえた。

「待て、まさか彼女を渡すのか」

「仕方ありません。大体彼らがあの娘に危害を加えるとは限りません」

「本当にそう思うか」

 ソイルはもう一度、兵士たちの方に目を遣る。ランデレイルはミューザ配下の城、そしてミューザは今、ランデから『右』の地域に急速に勢力を伸ばしている。かなりあくどい、統一法すれすれの戦いを繰り広げているという。だからその支配地を避けて進むようにバスキンにも進言したのだが。

「……仮に違っても、私はこの荷物を無事送り届けなければなりません。そして、あの娘は荷物のなかに入ってはいません」

 ランデレイルを含めて、ミューザは全面に戦線を広げている。それなのに、これほどの戦力を、敵対しているといっていいラルカ地方に密かに送ってきている。あの娘は、よほど重要な存在なのだろう。

「どうした。まさかいないというつもりじゃあないだろ」

 言葉遣いがぞんざいになってきた。時間がない。

「待て、もしその娘がこの牛車に乗っているとして、彼女を渡せば、我々は無事通してくれるのか」

「もちろんだ」

 バスキンは力なく首を振っている。そしてソイルは二台目の御者の女に娘を出すように命じた。その女は幌をかき分けて、すまないね、とその中に声をかける。

 そして娘が出てきた。

 城兵の指揮官が言ったとおりの銀の髪、そして白い肌。特にヨウシュにはアルビノも珍しくないが、その瞳は血の色ではなくこれも銀灰色。歳はまだ二十才くらい、娘というよりは少女、いや、女の子といったほうがしっくりくる年齢だ。差し伸べられた護衛の手につかまって牛車からおりたが、その銀の瞳は、怯えを含んで、伏せられている。

「やっと見つけましたよ、マーゴ様。フィガン様がお探しです。心配しておられましたよ」

 その慇懃無礼な口調とは裏腹に、何を恐れているのか、すぐには近づこうとしない。

「さあランデレイルに帰りましょう。これ以上、親切な方を巻き込みたくはないでしょう」

「……分かりました」

 マーゴが声を震わせながら答えると、指揮官は安堵したように笑みを浮かべた。そのとき、兵士が道の先の方に向かって声をかける。

「止まれ!」

皆の視線が向かうその先に――

 男が立っていた。

 その男は、左肩に大きな米俵、右手に酒でも入っているのだろうか、木の樽を抱えている。剣を構えた兵士が自分に向かって走りよってくるのを見ると、米俵と樽を道端に下ろし、背負った荷物も下に置く。そして腰に提げた両刃の剣を抜くと、ちょうど走り寄ってきた二人の兵を、一振りで切り捨てた。

「なっ」

 指揮官は驚き、慌てた。城主に仕える兵として、いや、アロウナに生きる戦士として、剣を持った相手に対して油断するなどありえない。ましてや、それが剣を合わせるまもなく切られるなど。

 その間にも、男は悠然とこちらに歩み寄ってくる。指揮官はマーゴに目を遣ると、悔しそうに顔を歪め、退くぞと、叫ぶ。

 そしてランデレイルの兵は、道の先にふたつの死体を残して走り去った。


「助かりました」

バスキンが明るい声で、男に呼び掛けた。

 男は、兵士たちが退いたのを見ると、いったん引き返し、荷物を再び担いでいた。

かなり大きな体格である。背丈や横幅で比べれば護衛団の中にも彼に匹敵するものはいるが、骨の太さが人の倍はありそうだ。そのまわりに筋肉がみっちりと巻き付いている。それも筋肉が山のように連なっているのではなくて、山と山の間をさらに筋肉が埋めている。褐色の肌に、黒くちぢれ、もつれた髪、広い額に太く吊り上がった眉、その下の一重ながらも切れ長の目、赤子の握りこぶしのような鼻、そして不機嫌そうに結んだ口。その顔の下にすら筋肉が満ち満ちているようだ。

 その顔を向けられると、バスキンの声は小さくなり、助けを求めるようにソイルを目で探す。なにか恐ろしくて、まともに目を合わせることができない。

 そのソイルは、護衛頭と何やら話していたが、男が牛車の傍に来たことに気付くと、彼に向かって言った。

「ありがとうございます。助かりました。で、お願いがあるのですが、この子を保護してやっていただけませんか」

 と、やはり男の方を恐ろしげに見ているマーゴを指し示す。その声も、少し震えている。

「な、何を言ってるんだ」

 慌てて言ったのはバスキンだ。その彼の肘を引っ張って、ソイルが耳打ちをする。

「いいですか。奴らはあの娘を諦めたわけじゃない。あの娘と、あなたの商品と、どっちが大事なんですか?」

「しかし……」

「それにあの人はシュタウズ、森の民です。もしこの近くに彼らの集落があるなら、そこに匿ってもらったほうが、あの娘にとっても安全です」

「シュタウズとはなんだ……」

「いまより一万年の昔、ベルカルクがこの大陸の統一王になったとき、その法を受け入れず、密林で生きることを選んだ連中です。狩りをして暮らしていて、たまに獲物を売りに町に出て来ます。彼はその帰りだったのでしょう。強力な戦士が多いと聞いています。大丈夫ですよ」

「……わかった」

 バスキンがそう言うと、ソイルは男に紐に通した硬貨を一本取り出した。

「これで、この子を護ってやってくれませんか」

「すまない。私達では、君を護れない」

バスキンが、マーゴに詫びる。

「来い」

 男は硬貨を受け取ると、先に歩きだした。

「お世話になりました」

 マーゴは二人に頭を下げると、男の後を追っていった。


 マーゴは男に追い付くと、そのまま彼の後をついていく。そのまま半巡時ほど歩くとようやく男は脚を止めた。その機会を捉まえて、ようやくマーゴが口を開く。

「あの……私、マーゴ・サキエ・フィガンといいます。――よろしくお願いします……」

「……ロウゼン、だ」

 吃りながら名乗る。その低く錆びた声といい、普段よほどしゃべる事がないのだろうか。一言ずつ、声の出し方を思い出しながら話している感じだ。

 ロウゼンはマーゴの頭の先から爪先まで見詰めると、続けて言った。

「お前は……俺の娘になれ」

「――え、そんな、突然」

「……一つの家で寝ていい女は、母と、妻と、娘だけだ」

「……聞いたことありませんけど。もしかして、一族の掟とか」

 見た目の恐さには、少し慣れてきたようだ。

「母さまが言った」

「……娘でなくてはいけないんですか。私はこう見えても結構年を取ってるんですよ。もしかしたらあなたより年上かも」

「母さまくらいか」

「い、いえ、さすがにそんなには……せめて妻にするとか」

 ロウゼンがジロリとにらむ。マーゴはちょっと後悔した。

「俺より弱い女は、妻にしない」

 マーゴはほっとしながら、

「それもお母さんに?」

「そうだ」

 ふう、と一つため息を吐いて、娘でいいですと言った。そんなに悪い人じゃあないかも、と淡い期待を抱きながら。


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