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ランデレイル


「誰もいない……ね」

 高い塀に囲まれた、大きな屋敷の門を見上げて、マーゴはつぶやいた。

「ずいぶんと立派な屋敷だな。フィガンはそれほど裕福だったのか?」

 グルオンが、マーゴに訊いた。

「詳しくは知りませんけど、そのときどきの城主が、かなり援助していたみたいです」

 グルオンは、サニトバやスリークを思い出す。確かにあんな戦士を量産できれば、無敵の軍を作り上げることができるだろう。

「なるほどな。ミューザがフィガンを重用しているのも、そのためか」

 納得して、門をくぐる。

 人通りの多い大通りからかなり中に入った、糧食倉庫の集まる辺りにこの屋敷はある。通りのざわめきはまったく届かず、珍しく雲ひとつない空に輝く月が、人気の絶えた屋敷の庭を、皓々と照らしている。

 ぐうるるる――

 門をくぐったとたん、豹が鼻にしわを寄せて唸りだす。

 誰もが、ロウゼンの足にしがみつくペグさえもが、この屋敷に漂う死の気配を感じていた。

 マーゴにとって馴染みのあるはずのその気配は、生命に満ちあふれた密林で暮らすことによって、異質な気配に変じていた。

 マーゴの部屋。子供たちが寝起きしていた部屋。乳母や下働きの人間が暮らしていた部屋。あの男の配下たちが詰めていた部屋。そして――

 かつては真ん中を、木の格子で区切ってあった部屋。

 今は頑丈な木の寝台がふたつ据え付けられ、床一面に何かのしみが広がっているのが暗闇の中でもはっきりと見える。寝台に掛けられていたものか、布が部屋の片隅に積まれている。

 一万の兵の骸が転がる密林でも、決して感じることの出来ない死の気配。

 獣にも、虫にも、草木にも受け継がれることのない、失われた生命の気配。

「う……あ……」

 マーゴが突然うずくまり、自分の肩を抱き締める。

「どうした?マーゴ」

 グルオンの声が、かすかに聞こえる。

 躰の中で、たくさんの生命が震える。

 心が引き裂かれる……

 ここは駄目だ、居たくない、離れたい、逃げ出したい、痛い、苦しい、助けて、助けて、助けて、助けて……

 だけど――

 大きな暖かい手のひらが、冷汗に濡れそぼる銀色の頭に覆い被さる。その瞬間、激情が去っていった。

 泣き濡れた瞳が、ロウゼンの黒い瞳を見上げた。一瞬視線を合わせて目をそらし、ロウゼンがマーゴを引き上げる。

「ペグ……。火を、着けろ」

「あ……?」

 ペグが戸惑った目でロウゼンを見上げる。火種がないと、火は着けられない。

 しかしロウゼンは片隅に積まれた布をペグの前に投げ出し、もう一度、名を呼ぶ。

「う……う……」

 布の前にしゃがみこみ、助けを求めるようにペグが見上げる。グルオンは訝しげにその様子を見ている。

 そのペグの横に、マーゴがそっと寄り添った。涙で擦れた声で、小さな耳に囁く。

「火を思い浮べて、燃えろって――」

 法術にはさまざまな系統があるが、基本は強い想いだ。術者の力量にもよるが小さな火種で生木に火を着けるペグならば、布程度なら念じるだけで着火できるだろう。そして――

 ぼうっ

 赤い炎が、布を包み込み、黒褐色に染まった床を焦がしはじめた。

「やっぱり。さすがペグさん」

 ペグも、驚いた顔のまま、嬉しそうに顔をくしゃりとしかめる。

「いいのか?城兵が集まってくるぞ」

 グルオンが、ロウゼンに確かめる。

「かまわん」

「どうせお城に行くんなら、少しは兵士を減らして、混乱させておかないと」

 すでに天井まで燃え上がった炎を背に外へと向かいながら、マーゴが言い放つ。その表情には、覚悟だけではなく、確信があった。

 あの男は待っている。

 口にはださないが、ロウゼンもそう思っている。その手を握れば、それがわかる。

 手をつないだまま、屋敷の門をくぐった。ペグが手から背中によじ登ろうとするのを、ロウゼンが肩に抱き上げる。その足に、豹が戯れつく。その後ろにグルオンが続く。

 そのまま城に向かって歩きだすロウゼンに、グルオンが訊いた。

「その子も、まさか連れていくのか?」

 ペグはどこか宿屋に預けていくのだろうと思っていたが、その様子はない。

「俺が死ねば、こいつは生きてはいけん」

 今からこの娘を育ててくれる法術の師を見付けることは当然無理だろう。せめてロイズラインの、あの老婆に預けることができれば。まさか、戦いの場に幼い子供を連れていくとは、グルオンには想像も出来なかった。しかし、いまさらどうしようもない。

 後ろの方で、火事を報せる声が響き、夜空を炎が赤く染める。見上げれば、空高く立ち上った煙が、月を覆い隠している。その月も、すでに半分ほど欠けていた。真夜中の月蝕が、もうすぐなのだ。

 間もなく、月が赤く染まる。



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