………瘡蓋(かさぶた)
グルオンとマーゴは、しばらく口を閉ざして、それぞれの思いに沈みこんだ。ロウゼンは眠っているのか、眼を閉じて動かない。
「――あいつが信用できるかどうかはわからないが、フィガンについては、あなたたちはよく知っているんだろう?どう思う」
ロウゼンとマーゴ、どちらにともなくグルオンが訊ねる。
「あの男のことを知っているのは、私だけです」
答えたのは、マーゴ。
「では、フィガンを狙っているのもあなたなのか?」
「……はい。あの男は、私の……父なんです」
そう言って、ロウゼンをちらりと見る。が、ロウゼンは聞いているのかいないのか。
「マーゴ。あなたがヨウシュだろうというのはわかるが、あなたの歳なら、法術師に弟子入りしてるはずだな。ロウゼンの奥様がヨウシュなのか?」
「いえ、ロウゼンさんはまだ独り身ですよ。私はヨウシュじゃないですし、最近まで、あの男から離れたことはないんです」
グルオンは、首を傾げて先を促す。
「ロウゼンさんは、私があの男から逃げ出して、追われていたときに助けてくれました」
「なぜ?」
なぜ逃げ出して、なぜ追われなければならないのか。
「あの男は、ケンシュなんです。ケンシュって――」
「知ってる」
ケンシュとは、ヒシュに生まれた人間が、成長してから稀にキシュやヨウシュの力を発現したものを言う。ただ、生粋のキシュやヨウシュの力には及ばないことが多いし、キシュの強靭な肉体にしろ、ヨウシュの法術にしろ、幼い頃からの修練がものを言う。たいていのケンシュは、個人差はあるものの双方の力を発現するが、大人になってから新しい力を得たとしても、それまでの生き方を変えることは難しい。
ただ、それを聞いてグルオンは納得した。レイスを殺したあの剣の動き。弾きとばした剣が、フィガンの指示で軌道を変えて帰ってきた。それはフィガンの法術によるものなのだろう。
「あの男には、ヨウシュの力が特に強く現れたんです。その力で、歳を取ることをやめてから――」
ある程度力の強いヨウシュなら、加齢を制御することができる。
「自分の手で、ケンシュを造ろうとしたんです」
マーゴは目を伏せた。
「なぜそんなことを。いや、それよりそんなことができるのか?」
細い首が、ゆっくりと振られる。
「……私にはわかりません。ただ、その材料として、あの男は、子供を一人つくりました」
母のことは覚えていない。ただ、母も優れたケンシュだったとあの男が言っていたのを、マーゴは覚えている。
「それが……」
「はい、私です。私が五歳の頃、あの男が大勢の同じ年頃の子供たちをつれてきました。みんなヨウシュの、優しい子たちでした」
きれいな青い目のセイル、大人ぶっていたホーサス、泣き虫のファラ、笑顔を決して絶やさなかったルジョン。たくさんの、たくさんの友達。
「それから五年も経てば、ヨウシュの力がみんな現われてきます。そうやって力を得た子から、あの男は、私の目の前で、殺していきました」
記憶が――
――よみがえる。
「いつも月が赤く染まる、真夜中でした。月の力を受けた想いが月に帰れないからって。本当かどうかは知りません」
グルオンの頬に残る、赤い筋を見つめる。
「レイスさんは、昼間でも、ちゃんと想いを残しましたから」
グルオンの指が、それをなぞる。
「動けないように、手足を縛られて、私の目の前で、私に助けてって、痛いよって、泣き叫びながら」
「なんの……ために」
「月の力の乗った想いを、私に宿らせるために」
そう言って微笑む。
涙が見えないのが、不思議なくらいの微笑み。
「つらい、悲しい想いは、暗い濁った光になるんです。そんな想いを宿したせいかもしれないけど、二十歳になった頃、私の成長がとまりました。そうしたら、あの男はまた子供たちをつれてきました。やっぱり五歳くらいの、キシュの子供たち」
やんちゃなジール、乱暴だけど叱るとすぐ泣きだすカンナ、いつも踊っていたロビイズ。たくさんの子供たち。
「その子たちが大きくなるまでに、残ったヨウシュの友達も、殺されていきました」
「どうして、フィガンのいうなりになっていたんだ?」
グルオンが声を荒げる。
戦いで人が死んでいくのは仕方がない。戦場に生きる戦士として、そのことは自分の心に納得させたし、己自身の手でも、多くの敵を斬ってきた。だが、戦うすべを持たない子供が、戦場ではない場所で死んでいくなんて。
「あの男は、優しかったんです。あの、真夜中の、暗い部屋以外では……」
マーゴがうつむく。
「それに、みんなの想いには、あの男に対する怒りや恨み以上に、恐怖が込められていたんです。その想いを宿した私は、あの男に逆らうことは出来ませんでした。そして、キシュの子たちが、私と同じくらいの体格に育った頃――」
マーゴの手が、無意識に躰を撫でさする。
「今度は、私と子供たちの躰を切り裂きはじめました。キシュの力は、筋肉に宿るんだそうです。だからあの男は、私の筋肉とキシュの子供の筋肉を入れ替えました」
子供の体をばらばらに切り刻み、マーゴにちょうど合う筋肉のみを移植していく。
痛みはないのに、意識だけはある。躰の自由は効かないのに、体を切り開かれた子供のうめき声だけは聞こえる。
「同じくらいの体格でも、やっぱり筋肉の大きさは違うんですね。一人の子供から、二十箇所も移植されればいいほうでした。だから、何人も、何回も。そして最後には、心臓さえも」
「それに使われた子は――?」
「二度と会うことはありませんでした」
会えるはずがない。みんなが息を引き取るのを、マーゴはその目で見たのだから。
「じゃあ、あなたは剣を持てるのか?」
もし躰がキシュであるならば。
「剣の練習なんてしたことないですし、それに、キシュの力が完全に現われるのは、三十歳過ぎてからなんですよね」
「ああ、それくらいだ」
「私は、これ以上成長しませんし、子供たちのものだった筋肉も、たぶんそれから成長していないんです。普通のヒシュの子よりは力があるかも知れませんけど……。結局、思うように法術も使えないままだし。だからあの男は、私を失敗作だって――」
だがそれは、救いでもあった。それから新しい友達がやってくることはなかったから。
「だけどあの男も、何か学ぶことがあったんだと思います。その後つれてきたのが、あのサニトバとスリークでした。ヒシュにヨウシュとキシュの力を与えることより、キシュの力を単純に高めたほうがいいと思ったんでしょうね。他の人間の筋肉とかを移植して」
サニトバには、人に倍する筋肉を。スリークには、人とは違う関節を。
「それが、あなたがあの男を追う理由か?」
「……ええ。あの二人を強化するのに、どれだけ多くの命が必要だったか。――いえ、最初はそんなことは関係なかったんです。ただあの男から逃げることさえできれば」
大地に転がる、数多くの死体。しがみつき震える、小さなペグの肩。
「でも、私が逃げてもあの男は追ってきます。そのせいで、人が死んでいきます。もし私があの男のもとに帰ったとしても、いえ、私が死んだとしても、あの男が生きているかぎり、犠牲は増え続けます。だったら……」
だったら、私が――
「……この人は――」
グルオンが、視線でロウゼンを指す。
「じゃあ、フィガンとは関係ないのか。どうしてここまで、あなたを助けるんだろう」
「さあ」
マーゴはまた、小さく微笑んだ。少しだけ暖かい微笑み。
「ロウゼンさんは、今は離れていますけど、もともとシュタウズって部族の人なんだそうです。だから普通の人とは違う考え方をするのかも。最初に助けてくれたときから、私のことを娘だって言ってくれて――」
「娘?あなたの話からすると、あなたは見かけどおりの歳じゃないんじゃないのか?」
「一緒に暮らす女は、母親か妻か娘だけだって言うんですよ。歳も最初に言ったんですけどね。ロウゼンさんより年上かも知れませんよって」
「年上なのか?」
グルオンが目を丸くする。ロウゼンの歳を彼女は知らないが、おそらく自分と同じくらいだと思っていた。
「ちゃんと歳を数えてるわけじゃないですけど、五十歳くらいじゃないのかな。それを言うんだったらペグさんもみたいですけど」
そう言って、ロウゼンの膝の上で眠るペグを見る。
「この子も、まさか五十歳なのか?」
グルオンは、驚きを通り越して、あきれた顔でペグを見た。どこからどう見ても、五歳より上には見えない。
「いえ、私が聞いたかぎりでは、二十歳くらいじゃないのかな。両親を目の前で獣に食い殺されて、そのせいでヨウシュの力が目覚めたんだと思います。たまにそういうことがあるって聞いたことがありますし。それでどうして歳を取らなくなったのかはわかりませんけど――」
ふーん、と、グルオンは感心して二人の幼い、少なくともそう見える少女たちを見つめた。そういえば、結局レイスの歳は知らないままだった。
「どっちにしても、この人とは、本当の親子じゃないんだな……」
「ペグとマーゴは、俺の娘だ」
突然ロウゼンが、目と口を開く。
「――眠ってたんじゃないんですか?」
マーゴが、驚いて訊ねた。
「寝る。宿はどこだ」
眠そうなその口調に、グルオンは小さく吹き出す。
「案内する。支払いをするから、表で待っててくれ」
眠ったままのペグを担いだロウゼンと、マーゴと豹を送り出して、老婆に話しかけた。
「迷惑をかけたみたいで――。でも、あいつ……レイスは、この店に久しぶりに来たのが嬉しかったようなので、他の店に行く気がしなかったんだ……」
「とんでもない。いつでもおいで。あの子が最後に来たのも、何かの縁だよ。……まあ、あの大きな人はちょっと恐いけどね」
「はい。また……」
来ることができるだろうか……。明日中には、ランデレイルに到着しているだろう。
「マーゴ。お前の友達だ。これから仲良くしなさい」
優しげな表情と声で、男が後ろを指し示した。幾人かの兵士に囲まれて、小さな子供たちが不安そうに身を寄せあっている。
男にそっくりの淡い金髪の女の子が、男の足元に駆け寄った。
「お父さま……?」
「さあ、あいさつをしなさい」
優しい右手が、女の子の頭を撫でる。
「はいっ」
女の子は、灰色に近い空色の瞳を輝かせて、子供たちに笑いかける。
「こんにちは。あたしはマーゴ。仲良くしようね」
その明るい笑顔に、子供たちもおずおずと笑い返す。
眠っているマーゴの顔が歪む。それは、彼女にとってもっとも幸せな、それ故にもっともつらい記憶だから。
優しい父と、優しい乳母、たくさんの優しい友達。
それも、だれも理由を知らないままに、一人、また一人と、子供たちの姿が消えていくまでのことだった。
高い塀に囲まれた、だれも出て行くことの出来ないこの家から。
もちろん、女の子は知っていた。やわらかな金色の髪も、空の霞の色を映した瞳も、子供たちが一人消えるたびにその色を失い、もともと白かった肌さえも透明感を増していく。
だんだんと、明るさと、陽気さと、色を失っていく女の子を、疑う者もいたかもしれない。しかし子供たちは、優しい友達は、口数も笑顔も少なくなった女の子に対する気遣いと、優しさ以外の表情を見せることはなかった。
「お父さま、私は力なんていらない、いらないの。もうやめて」
「何を言っている。お前のためなんだよ」
――私は、あの子たちを助けることが出来なかった!――
スコールが、後ろで束ねた髪の毛を濡らす。
重く首筋にまとわりつく感触を、頭を大きく振って払うが、すぐにまた絡み付く。
あの人が、長い髪が好きだと言ったから伸ばしているのに。
王がこの城を落としてから、あの人が城主に任じられた。その後を継いで、親衛隊長を任された。以前から望んでいたはずの地位なのに、喜びなど欠けらもない。
城にいる間は日課となっていた、あの人との剣の稽古も、できるのはあと数回、いや、今日が最後かもしれない。
剣の腕はずいぶん上がった。少しでも長く打ち合っていたかったから、逢えない時でも修練を欠かしたことはなかった。
このころでは、二本に一本は取れるようになった。今日など、三回手合せをして三回とも勝った。
だから、嬉しくてもいいはずなのに――
王にも、誉めていただいたのに――
王と二人で笑いながら、歩き去っていくあの人の姿が、頭から離れない。
「くそっ!」
もう一度、大きく頭を振る。
「お帰りなさい」
親衛隊に割り振られた兵舎の中から、城内では珍しい、ひょろっとした男が出てきた。この城の元の城主に仕えていた法術師だ。この城が落ちてから、すぐに王と契約を結び直した。
傷を癒せる法術師はいくらでも欲しい人材だから、王と契約してくれたことには感謝しているが、それでも、主人を替えて恥じないその性根が気に入らない。
だが、あの人とはまったく違う、人懐っこい笑顔を見ているうちに心が動いた。
「来い」
自分の部屋に入り、男に小柄を渡す。
「お前、私の髪を切ってくれないか」
後ろで髪を束ねる紐をほどいて、男に背を向け、椅子に腰をおろす。
「どうして?とってもきれいな髪なのに」
男が、驚いた声で訊く。
「それに、どうしてぼくに?」
「戦うのに、邪魔だからな。それに、刃物を持ったキシュが背後にいるのは気に入らない」
「そう……。でも、切るのはちょっと待ってよ」
そう言って、男が髪の毛を引っ張る。
「何をしている」
目のすみに、鮮やかな色の飾り紐が揺れる。
「いいから」
朗らかなその声に、なぜか逆らえず、男の手に身を委ねる。
王と契約を結んでから初めて経験する、穏やかな時が流れた。
だけど――
――私は、その男を護ることが出来なかった――