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………剣と盾

「なんだ、あいつら」

 先頭に立っていた護衛の女戦士が、小さくつぶやいた。

「どうした?」

 その声を聞きとがめたランドウが頭を上げる。

「いえ、前から来る連中なんですが、避けないんです」

 道の幅は、一般的な牛車が、なんとかすれ違えるくらい。道のどちら側を通るのかという決まりはないので、普段は道の真ん中を通っているが、すれ違うときは、お互いに、どちらかに寄らなければならない。しかし――

「おーい。牛車を端に寄せてくれ。通れないじゃないか」

 手綱を握ったまま、ランドウが声を張り上げる。

 それが効いたのか、先頭の御者が手綱を引く。それにしたがって、続く牛車も足を止める。薄汚れた幌をつけた牛車が四台、それぞれに護衛が三人ついている。遠距離を旅する隊商の、標準的な編成である、が――

「なにやってるんだ」

 先頭の御者は、牛車を端に寄せようとせずに荷台の幌をめくって、その中に何事か話しかけた。

 何かおかしい。普通先頭の御者は商人が務めるのに、その男は明らかに鍛えた戦士の体をしている。

 マーゴにはそんなことはわからないが、おかしな雰囲気は感じていた。一瞬ロウゼンを見上げ、そして幌の向こうを見通そうとするかのように、見つめる。

 ペグも牛車から飛び降りて、ロウゼンの足にしがみつく。豹はその足元で、唸り声をあげる。

「なんだ、お前ら?」

 幌の中から、次々と兵士が降りてくる。それと同時に、護衛の兵士がランドウらを取り囲むように、密林に飛び込んでいく。

 ランドウの護衛二人と二台目の御者が、ランドウの下に走る。

 布陣を終えた兵士たちが、剣を抜いた。ランドウが小さく悲鳴を上げた。しかし、ほとんどの切っ先がロウゼンに向けられる。

 だがロウゼンは、剣を抜かぬまま、その身にまとう威圧感も不思議なくらいに抑えこんだまま、立っていた。

 そして、三人の男が、幌の中から姿を現す。

 一人目は、巨漢の戦士。背はロウゼンよりもわずかに高く、横幅は、はるかに広い。身につけた厚手の革鎧をさえ内側から押し上げる筋肉の塊は、異様でさえある。

 その次に出てきたのは、黒い鎧を着けた戦士。キシュの男としては平均的な体格をしているように見えるが、何か違和感を覚える体付きだ。

 そして最後に出てきた男は、白く染めた華奢な鎧を着けた、細身の男。淡い金髪に白い肌。青灰色の瞳。キシュにはあまり見えないが、兵士たちの上に立つのは、この男に間違いない。それだけの雰囲気を纏っている。

 その白い男は、巨漢の戦士と黒い鎧の戦士を後ろに従えて、ロウゼンのところに歩み寄る。――違う。彼が見ているのは――

「久しぶりだな。マーゴ。ずいぶん探した」

 その姿が、幌の中から現れたときから、マーゴは目を離せなかった。心臓が、大きな鼓動をひとつうち、体から力が抜け、地面に膝をついたことにも気づいていない。

 その声がマーゴの名を呼んだときから、体中の皮膚の下でマーゴではないモノが蠢きはじめる。決してひとりだけのものではない、強烈な恨みの念。

 銀色の瞳が、大きく見開かれる。その奥の血の色でさえ、赤を失う。

「お……とう…さ……ま」

「さあ、帰ろう。私たちの家へ」

 そのやさしげでさえある声が、耳の奥にしみ込む。青灰色の目と銀色の目とを結ぶ視線が、心を縛り付ける。

 身体が、意志に反して立ち上がり、男のもとに進もうとする。

 いや、逆だ。

 必死にその場に留まろうとする躰に逆らって、心が男に引き寄せられているのだ。

 この人は、いつも優しかった。いつも優しく撫でてくれた。いつも優しい言葉をかけてくれた。いつも新しい友達をつれてきてくれた。

 ――その友達は、今――

「イ、イヤ」

 躰が、恐怖と憤怒で動かない。

「どうした。父さんの言うことが聞けないのか」

 いつのまにか、辺りの空気は光を失い、虫の声も、鳥の声も、静まり返っている。天蓋を揺らす風の音だけが、辺りを包んでいる。

「この男を、殺せばいいのか」

 低く錆びた声が、マーゴに問い掛ける。空ろな目が、その声を見上げる。そして――

 うなずいた。

 ざわっ!

 声にならない悲鳴を上げて、周囲を取り囲む兵士たちが、数歩後ろに下がった。

 ロウゼンを中心にして、見えない力が渦を巻く。

 しかし、さすがにフィガンら三人は、その力に圧倒されることはない。それどころか、巨漢の戦士――サニトバ――が、フィガンを護るように立ちふさがる。その後ろで、フィガンがはじめてロウゼンを見る。

「お前が誰かは知らん。娘は返してもらう。そして死ね」

 その言葉を受けて、サニトバが、剣を大きく振りかぶった。


「何をやっているんだ?」

 グルオンが、眉をひそめた。

「何だか、ラルカロオからの牛車を止めているみたいだけど」

 見たままをレイスが答える。

 道と密林を分ける薮に隠れて見ている二人の視線の先で、フィガンら三人が姿を現した。わざわざ牛車を仕立てて、隠密行動をしているのに、こんなところで正体を明かしてしまう理由がわからない。

 唯一考えられるのは、彼らの目的がラルカロオではなく、あの商人たちだということだ。

「どういうことだ?」

 二人は顔を見合わせた。

 グルオンは一瞬、囲まれている商人たちの味方をしてやろうかとも考えたが、いくら何でも戦力差がありすぎる。ここから見るかぎり、護衛の戦士はわずか三人。グルオンがそれに加わったとしても、百人相手にどうにかできるわけもない。

 とりあえず、ことの顛末だけでも見届けようと視線を戻した、その時――

「なんだ?」

 すでに、空の半分が、月の影におおわれて薄暗くなってきている。その下の密林を、突然のスコールが大地を叩くかのように、力が叩いた。

 この力は――。一万、いやそれ以上の軍隊が、たったひとつの首を狙っているときの力に似ている。だが、これほど純粋な力は、グルオンは知らない。

 思わず、その力の発現点を見つめる。サニトバが、ひとりの戦士と戦っている。

 あの男か。

 なぜか、その力に惹かれた。身を隠していた場所から、一歩、二歩と、足を踏み出す。

「グルオン。どうしたの?」

 夫のその声を背中に聞きながら、グルオンは駆け出した。


――ぎんっ!

 サニトバの振り下ろした剣を、ロウゼンの、鞘を巻いたままの剣が受けとめる。それだけのことで、サニトバの表情が変わる。

 その異常に発達した筋肉は、精妙な剣の技を使うにはかえって邪魔だろう。だからこそ、この男の振るう剣は、重い。その一撃をまともに受けとめられたことなどないのだ。

「おのれ!」

 サニトバの腕が、さらに太く膨れ上がる。ロウゼンをそのまま押し切ろうと、震える。

 ロウゼンの腕もさらに張り詰める。皮膚の下に、太い血管が浮き出る。その血管が、肩から胸、そして首へと這い上がる。ごつい顎が、歯を食いしばる。大きな鼻から熱い息が吹き出し、太い眉が逆立つ。

 そして、その下にある瞳が火を吹いた。

「があ!」

 剣を合わせた格好のまま、サニトバが吹き飛ぶ。それと同時に、今までとは比べものにならない力が荒れ狂った。

 その力が、マーゴを縛り付けた鎖を断ち切り、彼女を解放する。ペグがその横に駆け寄り、しがみつく。

 すべての兵士の視線が、ロウゼンに捉えられる。視線を逸らせられるわけがない。すべてのキシュが望んでやまない力が、そこにあるのだから。

 ロウゼンはフィガンに向かって、鞘の弾け飛んだ剣を無造作に振るった。

「ひぃ?」

 茫然と眺めていたマーゴが、思わず悲鳴を上げる。辛うじて身をかわしたフィガンの左手が消し飛んだのだ。黒い戦士がフィガンをかばう。ようやく体勢を立て直したサニトバが、ロウゼンに斬り掛かる。

「何をしている!戦え!」

 鮮血を吹き出す左手を押さえながら、フィガンが叫ぶ。その声に我に返った兵士たちが、それぞれの剣を握りなおす。が――

「うわあ」

 突然悲鳴が交錯した。

 それまで、ペグを護るかのように少女の横で構えていた豹が、兵士たちに襲いかかる。

 すでに闇に包まれようとしている天蓋の下で、喉元を襲う金色の光をかわすことは、城兵たちには出来なかった。

「ぎゃあ」

 ロイズラインの方から走り込んできた女戦士が、ロウゼンに向かって足を踏み出しかけた兵士たちを、つぎつぎと切り倒す。

 すべての意識をロウゼンに奪われている状態で、突然乱入してきたグルオンの剣を避けることは、城兵たちには出来なかった。

「サニトバ?」

 黒い鎧の戦士が叫ぶ。

 剣を握ったまま立ち尽くすサニトバの頭頂から股間にかけて、一直線に血が吹き出し、ふたつに分かれながら倒れていく。

「馬鹿な?」

 左手の傷口を縛り付け、なんとか血を止めたフィガンがかすれた声で叫ぶ。その顔から完全に血の気が引き、ついさっきまで見せていた傲岸とも言える表情は、すでにない。

「きゃあ」

 マーゴの目の前に、ロウゼンが切り捨てた兵士が倒れこみ、しぶいた血が銀色の髪に赤い斑点を飛ばす。

 幼い子供と抱き合って震えている娘を、フィガンは狂おしい目でにらみつけ、黒い鎧の戦士に指示をだす。

「退くぞ。半個小隊に俺を担がせろ。残りの奴らは捨てる。スリーク。お前は俺を護れ」

「はっ」

「逃がすかあ!」

 兵たちに命令を叫ぼうとした黒い鎧の男に、グルオンが斬り掛かる。

「貴様は?」

 その、スリークと呼ばれた男の目が、グルオンの鎧に釘づけになった。

――馬鹿な?殺したはずだ。その驚きに、スリークの剣が鈍る。だが、彼の振るう蝶の燐粉に似た虹色の光を放つ剣に、グルオンの目も奪われる。それは――

「王の剣を、貴様ごときが使うなあ!」

 激情が、グルオンから溢れ出る。しかし、その隙にスリークがなんとか立直った。スリークの操る王の剣が、グルオンを襲う。二本の剣、二つの力がぶつかり合い、火花の雨を降らせる。

――なんだ?この男は?

 町でこの男を見たときの違和感が、グルオンによみがえる。その正体がわかった。

 関節の可動範囲が、常人とは違う。思いもよらないところから斬り付けてくる剣に、グルオンは惑った。よく見れば、顔の肌の色と、剣を操る腕の肌の色が違う。日に焼けたための違いではない。まるで別人の肌だ。

 戸惑いが、グルオンの剣から鋭さを奪っていた。

「ぎゃあ」

 ランドウの護衛のひとりが、血しぶきをあげて倒れこんだ。

「助けてくれぇ」

 ランドウと御者が牛車の影に隠れて震えている。

 ほとんどの兵士がグルオンに剣を向けてはいるが、指揮官はすでに負傷し、自分たちは豹にかき回されている。見境をなくした兵士が、ランドウらに襲いかかるところを、残ったもうひとりの護衛がなんとか防いでいる

 マーゴらに切っ先が向かないのは、おそらく彼女を傷つけてはならないと命じられているのだろう。もしくは、無力に見える少女らをかまう余裕などないのか。

 どちらにしても、抱き合って震えているマーゴとペグのまわりを、城兵たちの足が駆け回り、その足元に、血を吹き出しながら腕や首や胴が落ちてきて踏みにじられる。

 ペグさん……

 密林の住居で、ランデレイル兵に襲われたのは、わずか三日前だ。続け様の戦いに、ペグは小さく悲鳴をあげ続け、涙を流し続けている。幼子らしくない、筋張った腕がマーゴをつかみ、震えている。

 ぼさぼさの、焦茶の髪を撫でながら、マーゴは辺りを見回した。

 体中を血に染めながら、ロウゼンが戦っている。大地を睥睨する大木の威容は、すべてを圧倒していた。この戦士に斬り掛かる段階で、城兵はすでに気死してしまっている。信じられないことに、その剣が届いたとしても、切っ先がわずかに食い込むのみで、それ以上通らない。。次の瞬間には、胴がふたつにわかれ、地に倒れる。

 そのむこうに、見知らぬ女戦士と、スリークが戦っている。その足元に、ふたつに別れたサニトバが転がっている。

 あの二人のことは知っていた。ずいぶん前になるが、あの家に、マーゴの友達としてではなくやってきた男たちだ。別の棟で暮らしていたから話をしたこともないし、ここ何年かは見ていないが、顔はよく覚えていた。

 その向こうでは、フィガンが数人の城兵に体を支えられたまま、何かを叫んでいる。

 マーゴにとって、絶対者であったあの男。彼女の心を恐怖で縛り、躰を怨嗟で焦がしたあの男。その左腕が、ロウゼンに斬り飛ばされたとき、あの男がマーゴに対して持っていた影響力そのものが斬り飛ばされたようだ。

 ロウゼンの足元にも及ばぬ哀れな男。どうしてあんな男を、今まで怖れていたのだろう。

 日蝕も終わりに近づき、空気が明るさを取り戻してきた。

「グルオン?」

 スリークの剣が、グルオンの左の二の腕を切り裂き、そこに巻いていた飾り紐を飛ばす。いつのまにか近くまでやってきて、妻の戦いを茫然と見ていたレイスが、思わず叫ぶ。

 軍属の法術師として戦の後方に控え、死体が埋め尽くした道を進んだことはあっても、戦いで人が死んでいくのを目の当たりにしたことはない。それが愛する妻であるなら、なおさらだ。

「何をしている!隠れていろ!」

 なぜ出て来たんだ。

 自分が勝手に飛び出した事を忘れて、グルオンは叫んだ。法術師は、戦場に置いてはならない。そんなのは当たり前のことだ。

 その叫び声に、フィガンらの注目が集まる。グルオンは焦った。レイスを護らなければ。

 血を流す左手をかばうことなく、スリークに剣を叩きつける。が、蜘蛛の巣を払うほどの手応えもなく、受け流される。体勢の崩れたところに襲いかかるスリークの剣を、身体をひねってなんとか受けとめた。

「ちぃっ!」

 フィガンを支えていた城兵のひとりが、レイスに向かって走っていくのが見えた。

 大振りした剣でスリークを牽制しておいて、レイスの頭上に剣を振り上げた城兵を斬り捨てる。

「後ろっ!」

 レイスが叫ぶより早く、グルオンは振り向き、スリークの剣をはねかえす。そのときフィガンが、足をふらつかせながらも、腰の曲刀を抜いて、グルオンに向けて投げ放った。

「くっ」

 思いもよらない攻撃に驚きながらも、なんとか剣で弾き飛ばし、続けて斬り込んでくるスリークの剣を、篭手で受け止める。キシュの反射神経をもってすれば、直線的に飛んでくるだけの武器になど、当たるはずもない。

 が、視界の片隅に、薄ら笑いを浮かべながら、腕を振り回しているフィガンが映る。

 なんだ?

 そう思うひまもなく、スリークの攻撃を捌く。

「危ない!」「何?」

 弾き飛ばした曲刀が、回転しながらグルオン目掛けて戻ってきた。

 それに合わせて、スリークが剣を繰り出す。

 駄目かっ。ならば、曲刀を受けてでも――

「!」

 曲刀と、グルオンの間に、レイスが立ちふさがった。

「レイスッ?」

 腹から曲刀を生やしたレイスが倒れる。

 レイスの血が吹き出す音を背中に聞きながら、グルオンは剣を振るう。

 大丈夫だ、あいつはヨウシュだ、いつものようにあっという間に治してしまう、それなのに、私が負けるわけにはいかない。

 グルオンの剣に力が篭もる。

 打ち合わされる剣の間に、更に激しく火花が散る。

「なんだ?」

 スリークは焦っていた。

 フィガンとの連携攻撃に、ヨウシュの邪魔が入ったのは仕方がない。それでも相手の動揺は誘えるだろうから、その機に乗じれば、勝ちは間違いないと思ったのだが……

 腕に力が入らない。

 フィガン様に戴いたこの腕から力が抜けていく。アデミア王から奪ったこの剣が重い。フィガン様、助けてください。

 強力な元打ちの剣は、後付けの剣に比べてより多くの力を使い手から奪う。己れのものではない腕を持ったスリークには、それだけの力を剣に送り込み続けることが出来なかった。

 そして……。城兵二人に担がれ、ロイズラインへ退いていくフィガンの背中が、スリークの見た最後の光景だった。

「レイス……」

 フィガンが退いたことで、戦いは、終わりに近づいた。まだ剣を握っている城兵は、十人ほど。なんとかロウゼンに剣を向けているが、まったくの逃げ腰だ。

「レイス。大丈夫か?」

 グルオンは、夫の横にひざまずく。すでに剣は抜かれ、身体の下には大きな血溜りが出来ているが、傷口にあてたレイスの掌からは、淡い光が発せられ、出血はおさまっている。

 グルオンは、安堵のため息をひとつ吐き、レイスに話しかけた。

「どうしてお前は、そんな無茶をするんだ。お前の力が役に立つのは戦いの後なんだから、それまで隠れていなくては駄目だろうが」

「きみは強いね。思ったとおりだ。きみが戦うところを、はじめてみたよ」

 自分のことを棚にあげて文句を言うグルオンに、レイスは、血の気を失った顔に薄いほほ笑みを浮かべてささやいた。

「知ってる?みんなきみのことが好きだったんだよ……」

「レイス?」

 何を言っている――。そう言って近づけたグルオンの頬に、レイスが自分の血に染まった両手を差し伸べる。

「みんな言ってた。戦っているきみは、きれいだって……。ぼくは戦いが好きじゃないけど――」

「レ……イス……?」

 なぜか溢れる涙を、レイスの指が拭う。その指が、淡い光を放ち、グルオンの頬に深紅の筋を残す。

「きみが……戦っている姿は……」

 レイスの身体から、命が抜けた。


 最後のひとりが、血しぶきをあげて地に伏した。

「ペグさん。大丈夫、もう終わりましたよ」

 マーゴは、まだ震えているペグの背中をさすりながら言った。

 豹が、ペグに血で濡れた毛皮をすりつけ、ようやく涙でくしゃくしゃになった顔をあげた。

「大丈夫ですから」

 そう言うと、改めて抱きついてくる。

「逃げちゃいましたね」

 マーゴが見上げる先には、血塗れのロウゼンが立っていた。

「追うか?」

 その言葉に、マーゴはフィガンらが逃げ去ったロイズラインの方を見る。そこには残された四台の牛車と、その先にひざまずく女戦士の姿が見える。

 彼女の前に横たわっている男が差し伸べた指先が、淡く光った。

 ……あの光は

 胸を悲しみが締め付ける。法術を使うときの光とは違う、しかしよく知っている耀き。

「やめておきましょう。ロウゼンさんも、手当てをしないと」

 ロウゼンは、深傷こそ負ってないものの、身体のあちこちの傷口から、血を流している。

「わかった」

 そう答えたものの、薬草を取り出そうともせずに、グルオンに近づいていった。

 マーゴも、ペグを促して、後を追う。

 近づく人影に気付き、グルオンは顔を拭った。ほほ笑みの残る夫の頬を軽く撫でて、立ち上がる。

 すでにその目に涙はない。

「あなたの戦いを邪魔したのでなければいいが」

 ロウゼンの目を真っすぐ見つめて、グルオンが言う。

「いや。――ロウゼンだ」

 ぶっきらぼうに名乗るロウゼンを、マーゴは、驚いたように見上げる。彼が自分から名乗るなんて、ロウゼンらしくない。

「グルオンだ。あなたは強いな」

 そう言って、二人の少女を見下ろす。

「あの、マーゴって言います。で、この子はペグさん」

 そう紹介されたペグは、涙で濡れたままの頬を膨らませて、ロウゼンの足にしがみついた。

 ペグさん、鋭い。ロウゼンさん、強い女の人が好き、みたいなことを言ってたし。

「そうか。よろしく」

 グルオンは、二人に小さく笑いかける。

「あ……あの、この人は?」

 そう言って、明らかにヨウシュとわかる死体を見下ろす。最後に見たあの光が気になっていた。

「ああ……。レイス。私の、夫だ」

 そう言って、また、笑う。

 泣かないのなら、笑うしかないから。

 その表情を見て、マーゴの胸が痛む。

「あの――」

 これだけは、絶対に言ってあげないといけない。

 軽く首を傾げて見下ろすグルオンに、マーゴは言った。

「ヨウシュの人が死ぬときに、強い想いを持っていれば、その想いを伝えたい人が側にいれば、その想いは光になって、その人に宿るんです」

 そう言って、拭ったはずのグルオンの頬にまだ残る、赤い筋を見つめる。

「ヨウシュは、その想いに、月の力を受けるといいます。思い残すことのない人の想いは月に帰り、恨みや怒りを抱いた人の想いは、赤く濁った光になります」

 マーゴの脳裏を、暗い記憶がよぎるが、それには囚われず、横たわる男を見下ろす。

「この人の光は……、とてもきれいでした」

「そうか」

 はじめて会った少女の言葉を、グルオンは信じた。

 自分の頬に、手をあてる。何かここだけ暖かい。

「護るのは、盾の役目なのに……。護ってもらってばかりだ……」

 そう言って、もう一筋だけ、涙を流す。

 降りだしたスコールが、その涙を、隠した。



ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

年内の更新は、この回で最後になります。

クライマックスまで持ってこれて、ほっとしました。

次回更新は、新年4日を予定しております。

新たなる年も、赤天をよろしくお願いいたします。

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