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………盾の九


 三人は食事を終えて、また町に出た。アルビルは、城兵の契約を結ぶためにそのまま城へと向かい、グルオンとレイスの夫婦は、鎧下を仕立てるために武器商に向かう。そこで職人を紹介してもらい、採寸を済ませて、三日後に引き取りにくることを約束する。

 さらに、薬師の店に向かい、血を造る薬を調合してもらう。薬師というのは、ヨウシュの法術では効き目のない、体力自体の回復や精力増強、滋養強壮に用いる薬、そして戦場における応急処置に用いる薬などを、薬草を使って調合する人のことである。

 カイディア大陸と比べて、植物の生育が異常に早いアロウナ大陸では、カイディアでは薬効を得るまでに三十年かかるといわれる薬草でさえ、二、三年で収穫できる。こういった薬が、大陸間貿易の目玉のひとつになっているくらいなのだ。

「三日ほど時間が空いちゃったね。こんなにゆっくりできるのは、久しぶりだなあ」

 レイスが、にこにこしながら妻に話し掛ける。なんといっても、婚姻契約を交わしてから妻は王の親衛隊長として激務をこなし、自分は軍属の法術師として後方からついていく、そんな暮らしをしていたのだ。ふたりきりで過ごしたことなど、王が討たれるまでは数えるほどしかない。

「私は初めてだ。何をすればいいのかわからないなんて、今までにはなかった」

 今までは、王を護ることだけを考えていれば良かった。それが王の命令だったし、グルオンの生きがいだったし、そのためには何をしなければいけないのかということは、考えるまでもなくわかった。

 自分の着ている王の鎧に手を当てて考え込んでしまった妻を、レイスはやれやれといった感じで見やる。

「やらなきゃいけないことがないんだったら、やりたいことをすればいいんだよ」

「そうなのか?」

「そうだよ。まあ、強いていうなら、今やらなきゃいけないことは、体調を完全に戻すことと、鎧下が出来るのを待つことだね」

 がっくりと肩を落とす妻に、さらにレイスはいった。

「きみに、特にやりたいことがないんだったら、ぼくのやりたいことに付き合ってよ」

「なにをやりたいんだ?」

「きみと二人で、ゆっくりしたい」

 グルオンの頬が、うっすらと染まる。

「何を言ってるんだ」

 そう言って突き出したグルオンの拳を、今度もレイスは、避けることが出来なかった。


「お前か、王に見初められた娘というのは」

 声を掛けてきたのは、赤い頭の男だった。少し見上げる位置にある瞳は、赤茶色。にやけた口元に、白い歯が輝いている。

「王は、そのような趣味をお持ちなのか」

 そのようなために選ばれたのではない。そう言いかけるところを、男がさえぎった。

「まさか。王が好きなのは、強い男だけさ。だからお前の顔を見にきたんだ」

 そう言って、腰に下げた二本の剣を抜く。

「お前も抜け」

「え……」

突然のことに、戸惑う。

「どうした。本当に『そういうつもり』で、王と契約したわけではあるまい?」

「当たり前だ!」

 右手の剣を招くように動かす男に向かって、抜き打ちざまに斬り掛かる。

 背は高いが、筋肉はそれほどついてはおらず、足運びも熟練を感じさせるものではない。この程度の戦士は、錬成館時代にいくらでもあしらってきた。おそらく三合。剣を男の喉に突きつけるところまでが、脳裏に浮かび上がっている。しかし――

 右から切りつけた剣は、小剣に軽く受け流された。袈裟掛けに斬りつけられる大剣を、左手の篭手で受けとめた、そう思った瞬間、軽い衝撃だけを残して、剣がひるがえる。

 喉元に剣を突きつけられたのは、次の瞬間だった。

 男は剣を腰に戻すと、ふん、と鼻で笑う。

「お前程度の者を側に置こうとは、王も物好きなことだ」

そう言い捨てて、男は踵を返す。

 剣の師にさえ、ここまであっさりと敗れたことはない。男に問い掛ける声が、思わず上ずってしまう。

「どうして。あなたは」

 男は、振り返り、答える。

「俺は王の親衛隊を束ねている者だ。その程度で、王のお役に立てると思っていたのか?」

 もちろん自信はあった。

「……い……いえ」

 この男と、剣を合わせるまでは。

「城にいる間ならば、少しは時間がつくれる。王のお役に立ちたいのなら付き合ってやるが、来るか?」

「は、はい!」

 力が欲しかった。

「そうか。俺の名はサリーン。お前は?」

「グルオン」

「グルオンか。良い名だ」


 グルオンは、誰かに呼ばれたような気がして、目が覚めた。すぐ横に眠っているレイスは、軽くいびきをかいている。彼が呼んだわけではなさそうだ。

「おい、グルオン、起きろよ」

 部屋の入り口からだ。聞き覚えのある声が呼んでいる。

 グルオンは、夫を起こさないように寝台から下りると、布を体に巻きつけて、入り口に向かって問い掛ける。

「誰だ」

「おお、起きたか。俺だよ。アルビルだ」

 その答えを聞いて、やっと、夢と現実が切り替わった。

「なんだ、お前か。どうしたんだ、こんな夜遅くに」

「なに言ってるんだ。もうすぐ夜明けだぜ。それよりおもしろい話がある。入っていいか」

「待て、ちょっと待ってろ!」

 慌ててそう言って、レイスを叩き起こし、急いで服に頭を通す。

「なに……」

ぼやきながら体を起こす夫に、下着を投げておいて、アルビルを迎え入れる。

「わあ、ちょっと待って」

 大急ぎで下着を身につけるレイスと、まだ髪が寝乱れたままのグルオンを見て、アルビルはちょっとにやけたが、そのグルオンににらみつけられて顔を引き締める。

「どうしたんだよ。あんたはもう、城に行ったんじゃないの」

 レイスが、目をこすりながらぼやく。

「いやなに、おもしろいっていうか、変な話があってな。あんたら、昼間の三人のことを気にしてただろう。それで来てやったんだ」

「なにかあったのか」

「ああ、その前に、正式な城主が決まったのは知っているか?」

 今までは、フィガンが城主代理を務めていたことは知っているのだが。

「いや、知らん。誰だ?」

おそらく、昼間の三人のうちの誰かだろうと思っていた。

「サミアスっていう奴だ。昨日、ランデレイルから到着した。直衛軍の軍長だったらしい」

「どんな手柄をたてた人なんだい」

「なにもない。少なくとも、ロイズラインを落とすためには、あの三人ほどは働いていないことは確かだ」

「じゃあ、その三人は、おさまらないだろう」

「それが、そうでもないらしいんだ」

 城を治めることは、キシュと生まれた人間にとって、誉れの第一だ。城兵として生きている戦士は、城主になるために戦っているといっても過言ではない。グルオンでさえ、いつかは王から、城を任せてもらえることを望んでいたのだ。

「どうやらミューザ王は、使える戦士は城主にはしないらしい」

「なんだそれは?」

「城主にしてしまえば、戦で自由に使いにくいからな。城主になる奴はそれなりに有能なんだろうが、どうやら戦で特に手柄をたてているわけではないらしい」

 グルオンは、呆れた。

「それで、手柄をたてた連中は、納得するのか?」

「どうやら、しているようだ」

 グルオンとレイスは、目を見合わせる。どうやら、常識外れなのは、戦い方だけではないらしい。

「で、おもしろい話って何?それだけなら、こんな時間じゃなくてもいいんじゃない?」

「いやあ、あんたらが、いつまでこの町にいるかわかんなかったからな。確実に捕まえられるのは、この時間だと思ったんだ。俺も朝になれば、なんか命令を受けるかもしれないし。それとな、あの三人が、変な動きをしているんだ」

 部屋の中が、ぼんやりと明るくなってくる。

「今日の夜中すぎにラルカロオ方面から伝令が到着したんだがな。その後、ランデレイルから来た奴らの動きが、慌ただしくなってよ、どうやら、出兵するらしいんだ」

 二人は驚いた。共闘契約を結んですぐ戦をするとは。統一法で禁じられてはいないが、共闘契約が破棄される。今のロイズラインの状況で、共闘契約の破棄は命取りだ。

「まさか、そんな余裕はないはずだろう」

「それがな、出撃するのは、百人程度なんだ。幌つきの牛車に分乗させて、乗らない奴らは、護衛を装わせて、あの三人が指揮を取るらしい」

 もう一度、夫婦は目を見合わせた。

「ということは、ここの城を落としたのと、同じようなことをするんじゃないのか」

 夜中に敵の城に乗り込んで、身内に城主の首を討たせる。そんな行動に出たということは、すでにラルカロオの城に内通者がいるのだろう。

「それは無理だ」

アルビルが、あっさりと否定する。

「……そうか、宣戦布告か」

「そう言うことだ。それをしていない以上、奴らはただの侵入者にすぎねえからな。あっという間に討ち取られて終わりだ」

「じゃあ、何をするつもりなんだ」

 アルビルの話に、グルオンは腕を組んで考え込む。

「そいつらは、いつ出発したの?」

「いや、まだだ。でも、夜明けと同時に出発するそうだから、そろそろ出ているかもな」

「よし。あとをつけよう」

「グルオン?」

いきなり立ち上がって宣言した妻を、レイスが驚いて見上げる。

「どうしたんだよ、いきなり」

「どうせいつかは戦う相手だ。いい機会じゃないか」

「何言ってんの。相手は百人だよ」

「わかってる。だったらせめて、相手の手の内くらいは見ておきたいじゃないか」

 二人はしばらくにらみあっていたが、レイスはあきらめて小さく首を振る。さすがにそこまで無茶はしないだろう。

「アルビル、ありがとう。面白い話だった。――どうして私たちに、教えてくれたんだ?」

 アルビルは、頭を掻きながら答えた。

「いやあ、あんたは、俺のことを気に食わないといってたけどよ、俺はあんたのことが気に入ってんだ」

 グルオンは、にやついているアルビルに笑いかける。

「そうか。じゃあもし、戦場で私に会ったらな」

「ん?」

「さっさと逃げれば、殺さないでやるよ」

「は、そうかい。ありがとうよ」

そういうと、アルビルは左手を上げて出ていった。


 二人が身仕度を終えて、ラルカロオへの道を進みだしたのは、アルビルが立ち去ってから、二巡時ほども過ぎた頃だった。すでに大通りには、多くの人々が、出歩いている。

 なぜ、そんなに時間がかかったのかというと――

「お前は、もうちょっと、朝飯を早く食べられなかったのか!」

グルオンが、夫を非難する。

 もちろん、レイスだって負けてはいない。確かに食事を取る速さは、グルオンにはかなわないが、そんな遅れは、わずかなものなのである。

「何言ってるんだよ。宿屋を出るのが遅くなったのは、きみのせいじゃないか。急がなきゃいけないのがわかっているんだから、髪の毛くらい、簡単に束ねておけばいいじゃないか」

 グルオンは、いつも背中まで伸びた髪の毛を、色鮮やかな飾り紐を使って、きっちりと編み込んでいる。その髪型が彼女の少しきつめの顔立ちに良く似合っていたし、戦いの場では邪魔にならず、雨に濡れても煩くないことから、とても気に入っていた。

 ただ、一度ほどいてしまうと、もう一度編みなおすのに時間がかかってしまうのが難点である。もちろんグルオンも、以前はこんな面倒な髪型はやっていなかったのだが――

「そんなことを言うんなら、お前も手伝ってくれればいいじゃないか。これはお前がやれって言った髪型だろう」

 そう、二人が出会った頃に、レイスが自らの手で、グルオンの髪の毛を編み上げたのが始まりなのである。

「それがなんだ。結婚したとたんに、手のひらを返すように。お前はサリーンのことを、女誑しだなんだといっていたが、それはお前のことじゃないのか!」

「そんなことを言うんだったら、あいつと契約したら良かったじゃないか。遠くから、いじいじ見てるだけで。ベルカルクの盾の名が泣くね!」

 いつのまにか立ち止まって言い争っている二人を、通行人が横目で見ながら通り過ぎる。

「仕方ないじゃないか。あいつは王しか見てなかったんだ。私が割り込む隙などなかった……」

 突然目を伏せるグルオンに、レイスはあせる。もちろん、こんなことで涙を見せるような女ではないし、言っていることは、夫にとってはとんでもないことなのだが――

「あ、あのね、終わったことは仕方ないしね、とりあえず先に進まない?ずいぶん遅れちゃたっし……」

大きく一歩、後に下がって妻をなだめる。

 グルオンは、もう一度瞳をあげ夫をにらみつけるが、自分の拳の間合いから夫が出ていることに気づくと、そのまま大股で歩いていった。

 ふうっ。レイスは、大きく息を吐くと、妻のあとを小走りで追っていった。


 だいたいちょっと考えてみれば、牛車で進む一行に徒歩で追いつくことは、決して難しいことではない。ヨウシュの足でも、隣の城下町まで一日でたどり着くことが出来るが、牛車は途中一泊しなければならないのだ。

 たとえ昼すぎに町を出たとしても、駅で追いつけることは間違いない。それどころか一日遅れで出ても、目的地に着く頃にはなんとか追いつくことが出来るだろう。

 二人がそのことに気がついたのは、なんと密林に入って、ずいぶん経ってからだった。

「良く考えたら、追いつくどころか追い抜いちゃうよ。どうしよう」

 考えが浅いのは、相変わらずである。

「どうしようといったって、徒歩の人間が、牛車のあとをゆっくりついていったら、怪しまれてしまうじゃないか。どうせ、行き先はわかってるんだ。さっさと追い抜いて、ラルカロオに一足先に入ってしまおう」

「……本当にもう。何も考えずに行動するんだから。――いつものことだけど」

「お前には言われたくないぞ。大体、急がなきゃ、なんて急かしていたのは、お前の方だろう」

 お互い様、なんである。

 そんなこんなで、わいわいと騒ぎながら、城兵たちのあとをのんびりと追う。百人相手に戦うことは、さすがのグルオンも考えていないから、戦いに臨む緊張感もほとんどない。

 婚姻契約を交わしてから、これほど長い時間を二人で過ごしたのは初めてだ。二人の距離がいっそう近づいていることを、二人ともはっきりと感じていた。

「ねえ、あれを見てよ」

 レイスが、道の先を指差す。幌つきの牛車を列ねた一行が見えてきた。轍に生えた草を牛車の車輪が踏み倒した跡が、だんだんとはっきりしてきたから、もうすぐ追いつくことはわかっていた。あとはさっさと追い抜けばいいだけなのだが、ここで障害になっているのが、グルオンの着けている鎧である。城兵たちも、ただの旅人が追い越していくだけなら、自ら正体を明らかにするようなことはないはずだが。

「その鎧、あいつらに見られたら、絶対にばれちゃうよ」

「やっぱり、そう思うか」

 グルオンは、自分の身につけている、王の鎧を見下ろした。昨日の店の主人が染み抜きをしたせいだろうか、王が身につけていたときよりも色褪せて見えるが、それでもつややかな革を銀で縁取りしたその鎧は、一度見たものなら見間違いようもない。

 王が死んでいるのは間違いないのだから、その鎧を誰が着けていようが普段なら誰も気にしないが、奴らのように隠密性の高い作戦の最中は話が別だ。アデミア王の鎧を着ているのが王の親衛隊長だった戦士だと奴らの誰かが見知っていれば、ラルカロオに彼女が向かうのを許しはしないだろう。

「仕方がない。このまま間をあけたままついていって、あいつらが駅に泊まっているうちに、密林の中を抜けよう」

「ええ?ぼくたち二人で?そんな危ないよ。だいたい食糧だって持ってきてないのに」

 通常城兵たちが密林の中を進むときには、一個小隊、十人で進むのが普通である。最低でも半個小隊、三人はいないと、生きて密林を抜けることは難しい。夜は交互に不寝番に立ち、火を焚いて獣を寄せつけないようにするのが常識なのである。食料については、兵糧というものを気にする立場にいなかったとはいえ、そして密林に入れば、食べられる果物を見つけることは難しいことではないとはいえ……考えが浅かったことは、間違いない。

「そんな危ないことをしなくても、いったん町まで引き返そうよ。明日の朝また出なおしても、ラルカロオで追いつけるんだからさあ」

 虫の鳴く声が、少し響きを変える。梢を跳び交う猿たちの呼び合う声も、少し低くなる。まだ空の色は変わらないが、今日も日蝕の刻が近づいている。

「ねえったら、もう少しで日蝕だし、お腹空いちゃったよ。さっさと町へ帰ろうよ」

「待て」

グルオンが、レイスを制止した。

「奴らが止まった」

「……気づかれたの?」

「いや、どうやら、反対側から来た連中と、何か話しているみたいだ」

「様子を見る?」

「そうだな」

 二人の見つめる先では、幌をつけた荷台の中から、次々と兵士が飛び降りていた。



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