………盾の七
「大変申し訳ございません」
実直そうな、中年の女商人に頭を下げられ、二人は困ってしまった。
グルオンの鎧を買うために、武器商を探していたのだが、どのような店でもいいというわけではない。いや、別に店にこだわるわけではないが、命を預ける鎧なのだから、それなりの店で買いたい。
グルオンは、一対一の戦いであれば、鎧など着けなくても相手の剣に触れさせもしない自信がある。しかし戦となれば話は別だ。幾人もが入り乱れて戦えば、いかにすぐれた戦士であろうとも、無傷でいることは難しい。いい防具を着けることで、生き残る確率が少しでも上がるならば、そうする。それはグルオンに限らず、戦士であるならば当たり前のことだ。
もちろん、すべての戦士が、そうできる金銭的余裕があるわけではない。普通は、城から支給される気休め程度の革服や、安価な革鎧で我慢するしかない。たとえば、グルオンが身につけていた吸血ツタの鎧下など、千人隊長級でなければ手に入れることは困難なのである。
当然、キシュのふるう剣をわずかでもさえぎり、なおかつ装着する者の動きを妨げない、そんな鎧は、剣ほどではないにしろ高価だったし、扱う店も限られるのだ。
それで、レイスがロイズライン城下で最も大きいと言う、城門に程近い一等地に店を構える武器商にやってきたのだが。
「鎧が欲しいのだが、ここは武器屋じゃないのか?」
そう聞いたとたんに、店の女主人に頭を下げられてしまった。どうやら、城から大量の注文がきて、倉庫に収めた在庫まで、すべて城に納めてしまったらしい。
「どうにかならないか。こんな時に無理を言うのだから、多少値が張ってもいいんだが」
グルオンは、アデミア王と契約してから今までの報酬を、金の延板にして貯えていた。生活の面倒はすべて軍が見てくれていたし、親衛隊長というのは、城下三軍の長と同じくらいの高給取りだったこともあって、最高級の鎧の十や二十、軽くあつらえるくらいの資金は持っているのである。この申し出は、商人にとっても申し分のないものであるはずだが、女主人はますます申しわけなさそうな顔になる。
「それが、昨日の朝にご用を申しつかりまして、それで、私どもの持ちます、すべての商品を昨日のうちに納めてしまいました。それどころか、鎧職人にも、とりあえず仕上げられるものを徹夜で作業させまして、つい先ほど、それも納めたところなのです」
普通、城主が交替しても、城兵は装備を持ったまま契約を切り替えるだけだから、そこまで需要が高まることはない。だがこの城は、二万ちかくの新しい城兵と契約しなければならないはずだ。
「ということは、他の店に行っても同じことか」
「たぶんそうだろうね」
グルオンのつぶやきに、レイスが答える。
城下の店すべてから掻き集めても、二万の防具は集まらないだろう。まあ、共闘契約の期間中に集めればいいわけだが。
「新しく、職人から上がってくるのはいつになる?」
「それがですねえ、とりあえず数を揃えてくれとのお達しでして」
グルオンの持つ剣のこしらえや篭手の造作を見て、それなりのものを求めていると判断したのだろう。安物の革服なら、明日にでもまた入ってくるのですがと言い置いてから、グルオンに訊ねた。
「お客さまは、名の通った戦士のようにお見受けします。わざわざ当店でお買い求めにならなくても、城で契約なされば、良い鎧を支給してもらえるのではないですか?当店からもかなり良いものを納めさせていただきましたから」
商品があれば、女主人も、口が裂けてもそんなことは言わなかったろうが、今は安物を売り付けるよりも、このロイズラインに見込み客としてつないでおきたい、そういう思惑があるのだ。
もちろんそんな思惑は、グルオンには関係ないから、女主人に礼を言ってから、夫をうながして外に出る。
「弱ったな」
錬成館を出て以来、軍以外の暮らしをグルオンは知らない。こんな時に頼れるのは、夫だけである。
そんな視線を向けられて、レイスは困った。妻に頼られて、嬉しくないわけはないが、レイスはヨウシュである。武器を買うことなどない。今の店は、ロイズラインに暮らしていれば、誰でも知っているところで、武器や防具について詳しいわけではないのだ。
「どうする?念のため、他の店も行ってみる?」
「さっきの話じゃあ、行っても無駄だろう」
「いや、あんなちゃんとしたところじゃなくね。あるらしいんだよ」
「どんな店だ?」
「森の民って呼ばれる人たちがいるよね」
「ああ、シュタウズとかシェルミとか、統一王の御代に、その支配を逃れて密林に隠れすんだもののことだろう。統一法に従わないが、捨てておいても構わない、そんな奴らだと聞いているが。まさか、そいつらの店なのか」
「そんなはずないじゃない。もちろん町の人間がやってる店なんだけど。その森の民が、密林で取った毛皮や薬草を売りに、町に出てくるんだけど」
「そうなのか?」
思わずグルオンは、通りを歩く人々を振り返る。そんな人々が町に出てきていることを、彼女は知らなかった。
「そうだよ。吸血ツタなんて、誰が取ってくると思ってるんだよ」
「ふーん」
「それで、そんな人たちが、戦で死んだ城兵の持っていた剣や防具を拾って、一緒に売りにくるらしいんだ」
その話に、グルオンは、眉をひそめる。たしかに剣を作る鋼は貴重だ。戦の最中でも、余裕があれば、戦死者の剣を持ち帰ることはよくある。しかし、戦士でないものが死者の剣を奪い、それを金に変えるということが、非常に不愉快に感じられたのだ。
「――しかし、それは無理じゃないか。戦って死んだものの剣や盾が残るのはわかるが、戦死するということは、鎧も斬られるということだろう」
「うーん、まあね。剣と違って鎧はかさばるし、高くも売れないだろうから期待はあまり出来ないけど、それでも良いものは拾ってきてるかもしれないじゃないか」
グルオンは気が進まない様子だったが、鎧は欲しかったので、仕方なく頷く。
「わかった。行ってみよう。どこにあるんだ」
「知らない」
「おい!」
「だって、ぼくは鎧なんて買うことないから――。大丈夫。毛皮や薬草を扱う店は、森の民から仕入れているはずだから、そこで聞けばわかるよ。きっと」
そう言って、城と反対、ランデレイルに向かう方向に歩き始める。そのレイスの腕を、グルオンがつかみ止めた。
「待て」
「どうしたの?」
「あいつらを見ろ」
グルオンがそっと指差した方には、立派な鎧を着けた、三人の戦士が歩いてきている。おそらく城から出てきたのだろう。どこへ向かうのか、何やら話しながら、通りを真っすぐ歩いていく。
「まさか、あの人たちの鎧を奪おうなんて……」
「馬鹿、そうじゃない。真ん中の奴に見覚えがあるんだ」
三人の中央を歩くのは、キシュには珍しい、淡い色の金髪に白い肌をした、細身の男だ。身につけた鎧も華奢なもので、腰に下げた二本の剣は、これもめずらしく、ゆるく湾曲している。
「あいつは、王を追撃してきた、ランデレイル兵の指揮を取っていた奴だ」
そう言われれば、レイスにも見覚えがある。
「本当だ。あ、そのとなりの黒い奴。王の首を取った奴だ」
さらに厳しい目でにらみつけるグルオンの前を、三人が通り過ぎる。三人とも、グルオンとレイスには、目もくれない。もし見たとしても、アデミア王の配下だった者たちだと、気づいたか。もし気づいても、気にしたかどうかはわからないが。
グルオンの手が剣の柄を握り締めるのを見て、レイスは不安そうに妻を見つめる。だが、さすがにこの状況で、王の仇を取ろうなどとは思わないようだ。
「ねえ、もう一人のあのごつい奴、もしかして……」
その男は、となりを歩く白い男より、さらに頭ひとつ背が高く、横幅と厚みは、三倍はあった。しかし、決して不様に太っているわけではなく、袖のない鎧から伸びるその腕は、大木の根のような筋肉が巻き付いている。多くの戦士を知っているグルオンも、見たことのないほどの筋肉だ。
「アルビルの言ってた、サニトバって奴じゃあ」
あの筋肉が見かけだけでないのなら、アルビルが一撃で吹き飛ばされた、という話も、無理はないように思える。
「あいつ、なにかおかしくないか」その巨漢戦士の背中を見送って、グルオンは言った。
「おかしいって、何が?」
「なんだろう。体付きか、歩き方か、身のこなしか……。いや、あいつだけじゃない、黒い奴もなんか変だ」そう言って、三人の後を追って、歩きだす。
「どうしたのさ」
「あいつらは、どうも気に食わない」
そんなことを言いだすグルオンに、レイスがあわてる。
「まさか、こんな町中で」
「するわけないだろう。だが、せめて奴らの名前くらいは知っておきたい」
「わかったよ。だけど、絶対手を出したりしないでよ」
「わかってる」
言葉を交わしながら、それでも、三人に向けた目をそらさない。
しばらく後をつけるが、話す内容までは聞き取れない。そんな距離に近づくには、人通りが少なかった。
「ねえ、あのごついの、やっぱりサニトバじゃあないかもしれないね。なんか、仲良さそうだよ」
「それこそ、ランデレイルと通じていた証拠じゃないか」
そんな目で見れば、巨漢の戦士は、白い戦士に対して、ずいぶん腰が低いように見える。それは黒い戦士も同じことだ。巨漢は城主の首を取り、黒いのにいたっては、王の首を取っているにもかかわらず、頭が上がらないということは――
「あの白いのは、ランデレイルの城主じゃないか?ずいぶん態度がでかいしな」
「もしかして、ミューザ王だったりして」
「いや、私は戦場でまみえたことがあるが、あんなひょろっとした奴じゃあなかった――っと、ちょっと待て」
そう言ったグルオンは、二人を見て踵を返し、歩き去ろうとした一人の男に駆け寄り、その襟首を掴まえる。
「なんだよ。てめえらみたいな恩知らずにゃあ、かかわりたくねえんだ。放しやがれ」
「あれ、アルビルじゃない」
レイスが、今朝別れたばかりのその男の名前を呼ぶ。さすがはキシュの戦士である。あれだけ脅された相手にあっても、その目に怯えの色は、ほとんどない。治療師に掛かってきたのか、顔と胸の傷も、すでに跡形もない。
「恩知らずとは、どういうことだ」
「あれだけいろいろ教えてやったのによ」
「だからお礼に、手合せをしてやっただろう」
「な……」
グルオンのあまりの言い草に、アルビルが言葉を失う。
「それより、あいつらは誰だ。名前を知ってるか?」
そう尋ねるが、すでに三人は、ずいぶん先にまで進んでいる。
「来い」
そう言って、グルオンはアルビルを引っ張って、三人の後を追う。仕方なくついていくアルビルに、レイスが声を掛けた。
「大丈夫だった?」
にこやかに問い掛けるレイスの顔を、アルビルはにらみつけるが、ふう、とひとつ息を吐き、
「くそばばあに免じて、てめえは許してやるよ」
どうやら、あの老婆になにか言われたらしい。
「あいつらだ」
そうこうしてるうちに追い付いて、グルオンが、三人の後ろ姿を指差す。
「……ああ。ありゃあ、あのでっかいのが、昨日言ったサニトバだ。真ん中の細っこいのが、あれだよ、城主代理のフィガンだ」
「やっぱりサニトバだったんだ」
「フィガンというのは?」
「ランデレイルの、何軍だったか、とにかく軍長だそうだ。もう一人は、知らないな」
「あいつは、アデミア王の首を取った奴だ」
「へえ、じゃあ、あの三人のうちの誰かが、ここの城主になるのは確実だな」
アルビルか、感心したように三人を見る。
「それにしては、あの白いのに、後の二人がずいぶん遠慮をしていると思わないか」
戦の目的が、敵の頭を取ることである以上、いちばんの手柄は、王の首を取った、黒い鎧の戦士、二番目は、名目上、統一法に基づいて、城主の首を取ったサニトバであるはずだ。いくら攻め手の指揮官だったとしても、その二人がフィガンに遠慮する理由がない。
城兵は、城主のもとに平等であるのが建前であり、軍の序列は、厳格なものではない。兵士が、階級が上の者に敬意を払い、命令に従うとすれば、その上官が事実強いからだ。そして、大きな手柄をたてた部下には、上官といえど敬意を払う、それが普通なのである。
「そういやそうだ。――おかしいな」
「おかしいといえば、サニトバと黒いのと、動きがなんかおかしくないか」
「そうか?――そうだな、いわれてみりゃあ、なにか不自然だ」
「それよりさあ」
戦士の身のこなしなどまったくわからないレイスが、二人の会話に割り込む。
「あの三人、どこに行くんだろう」
これには、アルビルが答えた。
「この先に、農業組合の長の家がある。そこに向かうんじゃないか?」
「そうか。なら、これ以上ついていっても意味はないか」
そう言って、グルオンは足を止め、アルビルに目を遣る。
「実は、鎧を買いたいのだが、品切れでな。森の民の出入りしている店ならあるかもしれないと思って、探してるんだ。お前、知らないか」
「なんでてめえに教えなきゃいけねえんだ」
アルビルの声には、すでにあまり力がない。
「教えてくれれば、お礼に剣を買ってやってもいいぞ」
今朝、アルビルの剣をへし折ったことに、さすがに気が咎めていたのかもしれない。
「い、いいのか」
アルビルが驚いた顔になる。そう簡単に言えるほど、安い買物ではないのだ。
「構わないよ。どうせ拾い物ばかりを集めた店なんだから、折れた剣を下取りに出せば、それほど高いことにはならないでしょ。それに、手合せで剣を折るなんて、グルオンもやりすぎだったからね」
くすくすと笑いながら、レイスも言い足した。
「そういうことならいいぜ。こっちだ。ついてきな」