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………盾の六

 普通このような食事を出す店の裏手には、水樽を置いたり薪を保管したりするために、裏庭が設えてある。試合をするには少し狭いその場所に、グルオンとアルビルが向かい合っていた。

 アルビルが装備している武具は、両刃の直剣に、小振りな丸い盾。その構えは、統一王が流祖だといわれる、もっとも一般的な流儀のものだ。しかし、長い戦場生活の中で、まず自分が生き残るように戦ううちに、型が崩れたのだろう。重心を後に置き、守りに比重を置いた構えになってしまっている。

「いいのかい、そんな可愛らしい服のままでよ」

 そう言うアルビルの着ているものは、鎧代わりにもなる、厚い革の上衣だ。

 一方、グルオンの身につけているものは、左手の鋼造りの篭手に、両手でも扱えるような、柄も刃も長めの両刃の剣。密林仕様のごつい革の編み上げ靴を除けば、あとは宿で手に入れた、麻の服である。動きを妨げなければ、守備力のわずかな差が、勝敗に結びつくことは常識である。しかし――

「お前ごときの剣が、私に触れるものか」

 冷たい光を両目に浮かべたまま、グルオンが言い放つ。その光に射られて、アルビルがたじろぐ。

 うわあ、怒ってるよ。横で見つめるレイスが、つぶやいた。

 グルオンは、意味もなく人の命を奪うことを何よりも嫌うが、それだけに、怒ったときには容赦がない。徹底的にたたきのめし、歯向かおうなどという気を二度と起こさせないようにするのだ。

 それは、人が死ぬのが嫌だといった彼女が、戦場だけではなく、城兵同士の喧嘩でさえ容易く命が失われていくこの地で、それでも剣で生きていくための処世術でもあったろう。

「言ってくれるな。けど、俺もそう捨てたもんじゃないぜ」

 二人は、一歩踏み込めば剣が届く位置で向かい合っているが、すぐには斬り結ぼうとしない。

「よお。真剣でいいのかい」

 アルビルは、さすがに戦場で長く生きてきただけあって、その構えに、たやすく突ける隙はない。

 一方のグルオンは、右足を軽く踏み出しているだけで、両手はだらりと垂らされている。隙だらけにしか見えないが、アルビルは、グルオンの名を怖れて、すぐには手を出せない。

「どうした。恐くなったのか」

「いやなに、そんな服を着てると、結構きれいじゃないか。その肌を傷つけてしまうのも気が引けるんでね」

 たしかに、剣を片手に対峙するグルオンは、美しかった。背中辺りまで伸びた、金の混じった栗色の髪は飾り紐で編み込まれ、整った形をした眉の下の、切れ長の目の中には、やはり金粉をちりばめた、褐色の瞳がある。彼女の糠色をした体を包む生成りの麻の服は、胸と脇が大きく開いたもので、膝上までしかないその服を、帯を使って腰の辺りで締めているために、豊かな胸と、しまった腰の形が露になっている。そして、その服から伸びる長い手足の先に、剣や篭手があり、ごつい革の長靴を履いている、そのアンバランスさに、倒錯した魅力さえ感じられる。

「どうだい、俺が勝ったら、抱かせてくれねえか。あんたも、あんなヨウシュのひょろひょろ亭主じゃ、満足できねえだろ」

 おそらく、剣を持って向かい合った時点で、グルオンを連れて城に行こうという目論見が潰えたことを悟ったのだろう。せめてグルオンに勝つことで、己れの名前をあげようというのか、挑発を口にするが、それは明らかに逆効果だった。

 グルオンの眉間に、一瞬稲妻が走り、その瞳が、すうっと細められる。そして彼女は、無造作に一歩を踏み出した。

「ぐう?」

 斬り上げられてきたグルオンの剣を、左の盾で受けとめたアルビルは、そのまま左手ごと持っていかれそうになり呻いた。よろめく足を踏みしめて、それでも剣をグルオンに向けて振り上げるが、軽く払われてしまう。

 すっと持ち上がる切っ先に目を奪われたとたん、アルビルの眼前に火花が散る。懐に一瞬で潜り込んできたグルオンに、篭手で顔面を殴られた、そう認識する前に、胸元に伸びる光が目に入る。思わず飛びずさった背中に、太い柱が激しくぶつかる。

「いつの間に?」

 追い詰められたんだ。その思いが頭をよぎった瞬間、胸元に、鋭い痛みが走る。

 鼻血を流し、顔中を冷汗で濡らしているアルビルとは対称的に、グルオンは汗ひとつかかずに、アルビルの胸元に剣を水平に突き付けている。その剣が、革の上衣を貫いて、彼の胸にわずかに食い込んでいた。

 アルビルの手には、まだ剣が握られている。だが、彼がそれを意識したとたん、グルオンの剣がさらに食い込む。もしグルオンに切り掛かったとしても、篭手で防がれるよりも先に、白刃がアルビルの胸を貫くだろう。

「わかったよ。俺の負けだ」

アルビルが喚く。

 その顔を、グルオンはひとにらみしたあと、剣を引く。

 ふう、とアルビルが、肩の力を抜いたその時、彼の右手の辺りで、チン、と乾いた音がした。グルオンが振るった剣が、アルビルの剣をへし折ったのだ。

 ヨウシュが紋様を刻み込んだ剣は、キシュの手の中にあって、初めて力を発揮する。キシュの体に満ちる力を、紋様は刃の硬さに変えるのだ。だから、キシュの手から離れた剣は、たやすく、というか、ただの鋼の剣と同じように折れやすい。アルビルが持ったままの剣が簡単に折れたということは、アルビルが完全に戦意を失った証なのである。

「ひ、ひでえ。なんてことをしやがる」

 剣は非常に高価なものであり、当然戦士にとって、大事なものである。剣を持たずに城に行っても、腕が良ければ契約は出来ようし、剣も支給はしてもらえるが、それこそ雑兵として扱われることは、まず間違いない。

「あ、あんたにここまでされる覚えはねえぞ。なんだってんだ」

 顔を真っ赤にして喚くアルビルに、グルオンが冷めた一瞥をくれる。

「私は、お前が気に食わない」

「な、そんな……」

「お前はこの城で契約するのか。だったら気を付けろ。もし戦場でお前と会ったら、かならず殺す」

 グルオンの目の光に、アルビルの顔から、血の気が引く。

「ひ……」

「きみは運がいいよ」

 勝負が終わったと見て、グルオンの背後に歩み寄っていたレイスが、アルビルに声をかけた。

「グルオンの体調が万全だったら、そんなもんじゃすまない。普通なら、体中を寸刻みにされて、手足の骨をばらばらにされてるはずだよ。それでも殺さないんだから、優しいもんだと思うけどね」

 あくまでも真面目な顔で言うレイスに、真実を見たのか、アルビルの腰が砕ける。

「いこうか」

 そして二人は、放心したままのアルビルを中庭に残し、店内に向かった。

「おばさん。ありがとうね」

「アルビルはどうしたね」

 老婆は落ち着いたものだ。城兵同士の喧嘩が切り合いに発展するのは、この界隈ではめずらしくない。店の中で暴れられることを思えば、グルオンはたしかに行儀が良かった。

「大丈夫、たいしたことはないよ」

「あの子もそんなに悪い子じゃないんだよ。ちょっと臆病なだけで」

 いい歳をした男を、あの子呼ばわりである。たしかにこの店の常連なのだろう。

 レイスは、懐から、数枚の硬貨を取り出して、卓の上に置いた。

「じゃあ、ぼくたちは行くよ。しばらくまた来れないと思うけど、元気でね」

 レイスは、老婆に軽く抱きつき、グルオンも、頭を下げる。

「あんたたちも達者でな」

 老婆の別れの言葉を背中に聞きながら、二人は店を出た。

「だけど、さっきのあれはなんだ。あそこまで脅すことはないんじゃないか」

 グルオンがレイスに、非難がましい声で言う。どうやら、最後にレイスがアルビルに言った脅しが、気に入らなかったようだ。

 レイスは、グルオンを呆れたような目で見た。

「なに言ってるの。似たようなことをやってるじゃない」

「そんなことはない」

「剣まで折っちゃって。どうするんだよ」

「剣を置かないからだ。置いていたら、あんなことはしなかった」

「どうだか」

 レイスは、疑いの目をまだ向けている。

「そうだ。あんな奴の剣よりも、私の鎧だ。鎧を買いにいこう」

 ごまかすグルオンに、レイスが追い打ちをかける。

「せっかく可愛いんだから、そのままでいたら」

 グルオンは頭を抱える。なぜ夫の機嫌が悪いのか、突然わかったのだ。

「すまん。久しぶりに、馴染みの店にきたのに……」

 妻の謝罪に、レイスはやっと笑みを浮かべる。

「いいよ。さあ、鎧を買いにいこう」

 そうグルオンを促した。

 でも、契約を外れた今くらい、そんな格好をしたきみと、ゆっくりしたいな――レイスが言葉にならない思いをつぶやく。

「どうした」

「ん、なんでもない」

「そうか」



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