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………盾の五

「どうした。なにをしておる」

 声のするほうを見上げれば、そこには、すでに老齢に入った、しかし、頑健な体は少しも衰えていない男の姿があった。その濃い灰色の瞳は、あくまで厳しい。三つの頃から親代わりとなり、そして剣の技を叩き込んでくれた、もっとも尊敬する男の姿だ。

「……先生。フィルスが……」

 その少年の姿が、脳裏に浮かぶ。歳も同じなら、この練成館に預けられたのも同じ頃。同じように血を吐きながら、剣の修練を積んできた。しかし――

「あの子は死んだ。仕方のないことだ」

 子供たちは、剣の修練のためにここにいる。実際に立ち合いをすれば、いくら布を厚く巻いた木剣を使っていても、怪我をすることがある。もちろん治療師が常に控えており、よほどのことがなければすぐに治してしまえるが、それでも時には命を落とす者がいる。

 大木をへし折る力でもって打ち合うのだ、それも仕方がないと、だれもが思っていることは知っているが、それでも、常に一緒に暮らしていた友人が死んでしまうのは、とても悲しい。

「どうした。お前が殺したわけではなかろう」

 フィルスは、ふたつ年下の後輩と打ち合っていたときに死んだ。その少年は、ちょうど力が発現しつつある時期であり、フィルスは、その少年の力がまだ小さいと思い込んでいた。二人がそのことに気づいたのは、フィルスの頭が石榴のように割れ、その金色の髪の毛が、真っ赤に染まったときだった。

「私は、人が死ぬのが悲しいのです」

 先生の吐く、小さなため息が聞こえる。試合で負けたことは、今まで一度もなかったし、力がほぼ発現した今なら、現役の城兵相手でも、負ける気はしない。なのにそんなことを言えば、失望されるのは当たり前だ。乾きかけた涙のあとを、新たな涙が濡らす。

「お前は、ヨウシュみたいなことを言うな。このアロウナには、戦があふれている。戦があれば、人は死ぬ。それはわかるだろう」

「……はい」

「お前がヨウシュなら、法術で人の命を救うこともできよう。だがお前はヨウシュではない。たとえお前が城兵にならず、農民になったとしても、誰かを救えるわけではない。それもわかるな」

 それでも、人が殺されるのを見ることはないだろう。

「来なさい。お前に会わせたい人がいる」

 先生の部屋で待っていたのは、一人の女戦士だった。肩で切りそろえられた髪は、明るい土の色。その瞳は、夜空のような深い青。成熟した女の美しさと、卓越した戦士の強さとを兼ね備えたその女性は、明らかに‘違って’いた。

「お前も知っておろう。アデミア王だ。ご自身の親衛隊にと、お前の噂を聞いて、わざわざ足を運んでこられたのだ」

「――どうした、泣いているのか」

 王と呼ばれた女の眉が、不審げに顰められるのを見て、慌てて涙を拭う。まさかあのアデミア王がいるなんて。恥ずかしさに、顔が赤らむのがわかる。この地方で剣を学ぶキシュの子供たちにとって、アデミア王は、憧れなのだ。

「同輩の子が、けさがた試合中に死にまして」

「ほう」

「この子は、人が死ぬのを厭います」

「城下に並ぶものなし、とまでいわれる力を持っておるのにか」

 頬にいっそう血が上る。憧れの王に、臆病者と思われるのは堪え難かった。しかし、王の目に、嘲りの色はない。

「人を殺すのが嫌なのか?」

「……人が死ぬのが嫌なんです」

「そうか。ならば人を護るのは構わないわけだな」

「……はい」

「ふん。この子を私に預けてくれ」

「よろしいのですか」

「かまわん。私が探しているのは盾だ。良い盾になってくれるだろう」

 友人が死ぬ悲しみに、慣れることはなかったが、敵を殺すことにも、見も知らぬ味方が死ぬことにも、いつしか慣れた。

 私は王を護る盾だから――


「お早よう。そろそろ起きなよ」

 レイスの声に、きしむ寝台の上に身を起こしたグルオンは、顔を顰めて額に手をやった。

「どうしたの。血が足りないからかな。お酒に弱くなったんじゃないの?」

 さわやかな声が憎らしい。

「頼む。お前の術で治してくれ」

「何いってんだよ、二日酔いくらいで」

「いいじゃないか」

「だめ、二日酔いを治すのは、怪我を治すのよりよっぽど疲れるんだから」

 法術でも、体に入った毒物を消すことは出来ない。出来ることは、体が毒物で傷つけられるのを防ぎ、体外に排出されるのを助けるだけだ。だから二日酔いも、術をかけている間頭痛を抑えることくらいは出来るが、傷を治すようにはいかないのである。

 仕方なく、グルオンは寝台の横の棚に乗せてあった服を手に取る。ふと自分の体を見下ろせば、いつのまにか白い清潔な下着に着替えさせられていた。酔い潰れて、この宿まで運ばれたのはかすかに覚えているが、これは記憶にない。

「これはお前が……」

「うん。血糊でずいぶん汚れていたからね。宿屋の女将さんに譲ってもらったんだ。革鎧と鎧下は、新しいのを買ったほうがいいよ。ご飯を食べたら、買いにいこう」

 これも、宿の女将から調達したのだろう。洗いざらしの麻の服に腕を通し、床の上に置かれた革の鎧を手に取る。目の前にかざすと、背中と脇腹の辺りに開いた裂け目の向こうに、首を傾げたレイスが見える。

「鎧下は、血糊で下着とくっついてたから捨てちゃった」

 鎧下は、密林の中の湿地に生える、吸血ツタの皮を編んで作られる。その生地の上から斬り付けられると、傷からの血に反応して、傷口を締め付ける。それによって出血を抑え、敵を倒し、法術師に癒してもらう時間を少しでも稼ぐのだ。気休め程度ではあるが、グルオンの息がレイスの到着するまで保ったのは、その鎧下のおかげもあったろう。

「さあ、朝ご飯を食べにいこう」

 促されて、腰掛けていた寝台から立ち上がる。アデミア王と契約を交わしてから、革鎧もつけずに外に出たことはなかった。とくにこの服はあちこちが大きく開き、裾もかなり短い。いくぶん心細く感じながら、それでも、篭手を左手に装着し、剣を手に取れば、少し心強い。

 宿の女将に礼を言って外に出ると、明るい空に目が眩む。二日酔いは相変わらずだが、それでも昨日よりは体調がよさそうだ。こんなにいい天気なのに、この辺りはまだ眠っているようだ。飲み屋が多いから仕方ないのだが。昨日の店も、まだ表に戸板を立て掛けてあったが、それを開けて入ると、すでにアルビルが朝食をかきこんでいた。

「おう、遅かったな」

「おはよう」

 アルビルと同じ卓についてお茶をのんでいた老婆も、立ち上がって挨拶をする。

「どうしたね、顔色が悪いようだが」

「二日酔いなんだって」

「そうかい。ちょっと待ってな、いいものがある」

そう言って、老婆が奥に消える。

「なんだよ、あれしきの酒で情けない」

「うるさい」

 アルビルが食べている料理の匂いを嗅ぐだけで、胸がむかむかする。

「そら。これを飲みな」

 老婆が、片手に緑色の液体の入った湯呑みを持って奥から出てきた。グルオンは、それを覗き込み、情けなさそうな顔をする。

「これを飲むのか」

「二日酔いにいいんだよ」

 グルオンは、その不味そうな液体の匂いを嗅ぐと顔をしかめ、一気に喉に流し込み、一層情けない顔になる。

「ありがとう。ぼくの術じゃ、二日酔いは治せなくて」

「なあに、このくらい、なんでもないよ」

 礼を言うレイスにそう応えて、老婆は朝食を運んでくる。

 雉鳥の香辛料煮込みに、米の団子のそぼろあんかけ、酵乳に果物の砂糖煮を垂らしたものが、二人の前に並んだ。

「いただきまぁす」

 さっそくレイスが食べ始める。グルオンも、痛む頭を抱えながら、料理を口に運ぶ。さっき飲んだ液体が効いたのか、食欲だけは戻ったようだ。とりあえず目の前に並んだ料理を平らげる頃には、グルオンの気分も、ずいぶん良くなっていた。

「で、あんたらはどうするんだ」

 二人が食べおわるのを、お茶をすすりながら待っていたアルビルが、唐突に聞く。

 どうすると聞かれても、昨日からほとんど考える時間のなかったグルオンは、アルビルに聞き返した。

「お前こそどうするんだ」

 アルビルは、困惑を顔に表したまま答える。

「ああ。昨日あんたらと話してみてな、決めたよ。今日にでも城に行って、契約を結ぶ」

 アルビルを見つめるグルオンの目が、厳しさを増す。

「なぜだ」

「そうだよ。奴らがどんな手で、王とサリーンを討ったのか、話してくれたのはあんたじゃないか」レイスも、アルビルに詰め寄る。

「だからだよ。おれたちも、城主も、王も、統一法に縛られて戦っている。だけどよ、奴らは違うんだ。統一法を利用して戦ってるんだ。わかるか。奴らは本当に強いんだ。特に今度の戦いで、奴らの勢力拡大を押さえ込んでいたアデミア王が死んだ。もう奴らをさえぎる勢力はないんだ!」

 アルビルも、二人を交互ににらみすえ、一気にまくしたてる。

「おれも、いまさら城主や王になってやろうなんて思っちゃいねえ。だが城兵以外の生き方をしたいとも思わねえ。そんな俺がこれから先生きていくには、強い奴につくしかねえんだよ!」

「……それなら、どうしてそのまま、新しい城主と契約をしなかったんだよ」

 レイスが問い詰める。

「きのうも言ったじゃねえか。奴らのやりようが、統一法に違反してるんじゃねえかと思って、それを調べてたんだ。もし違反が明らかになっちまえば、まわりの勢力が、すべて敵に回り、一斉に攻め込んでくる。そんなところと契約するわけにはいかねえからな。でもよ、どうやらその心配はなさそうだ。だったら勝つ側につくのがいちばんじゃねえか」

 そう言って、アルビルは、グルオンを探るような目付きで見つめる。

「それでな、ひとつ提案なんだがよ。あんたらも一緒に城に行かねえか?」

 グルオンは、あご先だけで先を促す。

「アデミア王の盾っていやあ、アデミア王の配下だけじゃなく、周辺地域にあまねく知れ渡った名だ。おそらくミューザ王にとっても、かならず手に入れたいはずなんだ。だからな、お前ならすぐにでも、軍を任されるだろう。いや、戦功をたてれば、城を任されるのも夢じゃねえ」

「そして、私を連れていったおまえも、か……」

「いや、さっきも言ったじゃねえか。俺はそこまで望んじゃいねえ。ただ雑兵として安く扱われるんじゃない、少しは旨味もあるようなところで戦いたいだけなんだ」

 ふう、とグルオンはひとつ息を吐き、わかったと答えた。

「グルオン?」

レイスが、驚いて妻を見る。

「そうか!いや、あんたならわかってくれると思ってたよ。それじゃあ、さっそく――」

「その前に」

アルビルが言い掛けるのを、グルオンがさえぎる。

「昨日、お前は、私と手合せをしたいと言っていたな」

「あ、いや、それは……。別に今でなくてもいいじゃないか」

「盾が一人だけ生き残るのか、とも言っていたな。私が、本当にアデミア王の盾なのか、お前は不安じゃないか?」

「いや、そんなことはないって」

「お前の手で確かめてみろ」

そうアルビルに言い放ち、奥で話を聞いていた老婆に問う。

「裏庭はありますか」

「ああ、もちろんあるともね」

「少し借ります」

「かまわんよ」

 グルオンは、篭手に手を通し、剣をその手に持つ。そして、アルビルに、来い、と声をかけて裏口に向かう。アルビルは、仕方ないと、あからさまに面倒臭いという気分を顔に浮かべ、その後に続く。レイスも、やれやれと首を振る老婆にぺこりと頭を下げて、二人のあとを追い掛けた。



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