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………剣の九


「ごめんなさい。さっきのは無しにして下さい」

 朝食の代金を払い、預けておいた荷物を背負って店を出たロウゼンを追い掛けながら、マーゴが言った。

「……」

 ロウゼンににらまれるが、彼女は怯まず言葉を続ける。

「だって、あの人はお城の中にいるんですよ。いくらロウゼンさんだって、かないっこないですよ」

 ロウゼンは、構わず歩き続ける。大股でどんどん行くので、マーゴは小走りになり、ペグにいたっては、豹にまたがってついていく。

「そうだ。昨日の怪我だってまだ治っていないのに、きゃっ」

 一軒の店の前で、ロウゼンが急に立ち止まったものだから、彼が背中に担いだ剣の鞘に、おでこを思いっきりぶつけてしまった。

「いったーい」

 額を押さえ、涙目になりながらも、ロウゼンの入っていった店をのぞく。薄暗い店内には、毛皮がうずたかく積み上げられており、中央に並ぶ樽に入っているのは、密林の奥で取れる薬草のようだ。どうやら密林で狩りをする、猟師と取引をしている店らしい。

「おや旦那。いらっしゃい。今回はずいぶん早いですな」

 店の奥から、親父が飛んで出てきて、揉み手をした。頭の禿げ上がった、さえない風体だが、ロウゼンを見ても、それほど怯えた様子はない。いつもロウゼンが利用している店なのだろう。その目の前に、ロウゼンが担いできた荷物を、ガチャン、という音をたてて投げおろすと、親父の目が丸くなった。 

「こりゃまた、大層なもんを。これをお売りになりたいので?」

 ロウゼンがうなずくと、親父が悲しげな顔になる。

「申し訳ございやせん。一本や二本ならともかく、これだけの数の剣は、うちの店じゃ扱い切れませんや」

 そのとたん、ロウゼンは荷物を担ぎなおして、親父に背を向ける。

「わ、わ、旦那、ちょっと待って下さいよ。旦那怪我してるじゃないですか。うちのがとなりの家で治療師やってますんで、どうぞ治していって下さいよ。なあに旦那にゃあ世話になってますから、ロハでやらせていただきます。その剣も、あたしが何とか買わしていただきます。旦那が怪我を治してる間に、きっちり見積もりさせていただきますんで。さあさあ、お嬢さん方もどうぞ、薄汚い店ですが、お入りになって。まあ可愛らしいお嬢さん方だ。おや、こちらの豹もいい毛並みで、もしもの時にはごひいきに、いやいやこれは失言を、おーい、エノア、おまえのお客さんだよー」

 それだけ一気にしゃべり終えると、親父は店の表に駆け出した。さすがのロウゼンも、あっけに取られて動かない。一度に多くの言葉が、頭に飛び込んで、処理が追い付かない感じだ。ロウゼンさんの弱点見つけた、とマーゴがぼんやりと考えていると、すぐに隣の家から、ころころと太った初老の女性を連れて帰ってきた。

「はいはい。おや、ロウジアさんとこの坊っちゃん。久しぶりだねえ。私の所にも少しは顔を出して下さいよ」

 こちらはずいぶんおっとりとした性格のようだ。

「さっさと傷を見てさしあげねえか」

親父は早速剣を仕分けしながら怒鳴る。

「はいはい。どれ、服を脱いで、傷を見せてごらん」

 エノアはロウゼンの上半身を裸にして、そのあちこちに張りついている薬草をはぎ取る。それを見ていたマーゴは、眉をひそめた。ロウゼンは表に出さないので気づかなかったが、かなりひどい。肩から肩甲骨にわたって開いた傷口は、ずっと担いできた荷物と擦れて、うじゃじゃけてしまっている。最も深い右脇腹の傷は膿んでしまっていて、薬草をはがすと、黄色い膿が糸を引く。

「痛くないんですか?」

 思わずマーゴは訊ねるが、ロウゼンは答えない。

「痛くないわけないんだがねえ。辛抱強いのも程々にしておかなくちゃ、取り返しのつかないことになるよ」

 傷口を洗いながら、代わりにエノアが答えた。

「あーあ、膿んじゃって。すぐに治療を受けられないんだったら、薬草はこまめに取り替えなきゃ」

 そう言って、脇の傷に手をかざし、口の中でぶつぶつと、呪文を唱える。傷口が沸き立ち、血の交じった膿が、じゅくじゅくと排出される。膿が出切ってしまうと、呪文の響きが変わり、今度は傷口がふさがりだす。

「はい、もういいよ」

 うっすらと傷跡の残る背中を一度叩き、エノアは薬草の樽に歩み寄った。

「ヨウシュがいないところで怪我をするかもしれないんだったら、ちゃんとした薬草を持っていかなくちゃね。お嬢さんは、法術はまだ使えないのかい?」

「わ、私ですか」

と、マーゴ。

「いえ、私は……」

 困惑した顔で、視線をそらす。

「そうかい、まあ今、力が使えるかどうかに関係なく、小さいうちから法術は勉強しておいたほうがいいんだけどねえ。密林で暮らしていると、なかなかいい先生もいないだろ」

 薬草を入れた蝋引きの袋を、ロウゼンに渡した。

「この剣ですがねえ」

剣を油のしみた布でぬぐっていた親父が、治療が終わったとみて、口を開いた。

「ずいぶん錆が浮いていますし、元打ちの剣は一本もないですし……」

 刃に付いた血はすぐに拭わないと、すぐに錆を呼ぶ。

「元打ちって何ですか?」

とマーゴが口を挟む。

「それはですねえ、いくら鋼の剣でも、キシュの馬鹿力で打ち合わせたら、刃毀れどころか、あっという間にへし折れちゃいますからね。それでヨウシュが、剣に力を封じるんですよ。それで、鋼自体に力を封じるのが元打ちで、あとから剣に力の紋様を刻むのが後付けって言うんですわ。数が少ないんで、えらく良い値が付くんです。商人たるもの、一度くらいは扱ってみたい剣なんですわ」

「ふーん」

「それで、申し訳ないんですが、せいぜいこれくらいで勘弁してください」

 親父が腰に付けた丈夫そうな革袋から、数枚の金貨を取り出すのを見て、マーゴは目を見張る。金貨なんて今まで見たことがない。

 戦いが絶えないうえに、鉄分の多い木を焼いて作る以外は――その名もずばり鋼の木というものがあり、農具などに使われている――、カイディアからの輸入に頼るしかないので、鋼は非常に高価なのだ。

「すごい。剣ってすごく高いんですね」

感心するマーゴ。

「いやあ、小さいお嬢さんの金色のお友達なら、この十倍は出すんですが、っとっと……。ま、まあ、戦には不可欠なものですからね。ここラルカロオみたいに、しばらく戦から離れている城はともかく、ロイズラインみたいに新しく戦士を雇わなきゃいけない城は、いくらでも欲しがるんです。」

「じゃあ、この剣はロイズラインに持っていくんですか」

マーゴの声が険しくなる。

「ええ、まあ、その方が高く売れますから」

「でも、ロイズラインは、この城の人の敵なんじゃ……」

「戦うのは私たちじゃないですからね。私等ヒシュの商人にとっちゃ、いいものを持ってきてくれる人と、それを高く買ってくれる人が味方なんですよ」

「行くぞ」

 納得できない顔のマーゴに、金貨を懐に入れたロウゼンが声を掛けた。

 またのお越しを、という声を背中に、三人と一匹は店を出る。


「あの、ロイズラインには、行きませんよね」

 すでに、空に日は高く、蒸し暑い空気が、地面から立ち上ってくる。まだ日の陰る様子はないが、日蝕の時間も近いようだ。

 ロウゼンは返事もしないで歩き続ける。そして気がつけば、朝に出てきた食堂の前である。朝にはなかった、様々な惣菜が、店の前に並べられていた。

「わあっ!また来たっ」

 店の下働きなのか、さっぱりとした麻の前掛けを付けた少年が、店の奥に飛び込む。昨日も今朝も見覚えはないが、おそらく奥に隠れていたのだろう。彼に呼ばれて、すぐに主人が飛び出してきた。

「はいっ。なんでございましょう」

「メシだ」

「ええっ?」

 思わずマーゴは、ロウゼンを見上げる。ペグも首を傾げている。

「食べられます?」

 マーゴがペグに訊く。ペグが首を振る。さっき腹いっぱい食べたばかりである。

 もちろん、ロウゼンは、構わず店に入る。ついていく主人が、悲しげな顔になる。なんといっても、いまから昼飯時、稼ぎ時なのである。

「晩飯もここで食う」

 ロウゼンに、そう告げられた主人の顔が、悲哀から諦めに変わる。しかしその目の前に、金色の硬貨が転がった。

「それで頼む」

 主人の顔が一気に明るくなる。

「あ、ありがとうございます。何をお持ちしましょう」

 ロウゼンの前に、惣菜が並ぶ。主人が急に愛想よくなったのは、今日と明日、店を閉めたとしても、十分もとが取れるとふんだからだろう。ロウゼンだけでなく、マーゴとペグにも愛想をみせる。そしてまた、多くの料理が、ロウゼンの腹の中に納まっていった。

 日蝕明けのスコールが上がる頃、さっきの店の親父が食堂を訪れてきた。

 ロウゼンは、スコールの中、日課の剣振りを裏庭でこなし、ペグとマーゴは、軽く果物をつまんだあと、豹をからかって遊んでいた。密林の中での暮らしでは、なかなかもつことのない、退屈な時間を、とくにペグはもてあましているようだ。豹も町中では勝手が違うのか、外を出歩かず、ペグにまとわりついている。

「あの、こちらに、ロウゼンさまがいらっしゃると……」

 雨がっぱを左手にもち、店の主人に声をかける。

「ああ、その方なら……」

 ロウゼンは、お茶を飲みながら、一息入れているところだった。まだびしょぬれで、足下には剣を立て掛けている。

「あ、旦那、さっきはどうも」

 満面の笑みを浮かべてロウゼンの傍に寄る。

「先ほど売っていただいた剣なのですが、この城で今、商品がだぶついているものですから、よそへ持っていこうと思っているんです。ところが昨日、ロイズラインの城主が変わってしまいましたんで、普段なら、隣の町へ行くくらいなら護衛無しでもなんとかなるんですが、今の状況ですと契約から外れた連中がうろついてることが多くて、どうしても護衛が必要なんですわ」

 そこまで言って、様子をうかがう。

「それでですね、ぜひ旦那に、ロイズラインまでの護衛をお願いしたいと……」

「だめです!」

 思いもかけないところからの反論に、親父が腰を抜かしかける。

「な、なな、なんです?」

「絶対だめです。ロウゼンさんはロイズラインには行きません」

 マーゴはそう言い切って、不安そうにロウゼンを見やる。

「行かないですよね?」

「いつ出る」

ロウゼンが訊く。

「ロウゼンさんっ!」

「ありがとうございます。明日の朝、夜明けの一巡時後に、この店の前まで迎えに来ますんで」

 そう言うと、親父は喜んで店を出て行った。

「どうしてなんですか」

 マーゴがロウゼンに駆け寄る。

「私は、あの男を殺してくれなんて、頼んでいません」

 ロウゼンは、耳を貸さず、剣を持って、再び裏庭に向かう。

「ロウゼンさんっ!」

 裏口を抜け、四方を壁や水樽、薪の束などで囲まれた裏庭で、ロウゼンは、剣の鞘をほどいた。そして、ぬかるむ足元も気にせずに、剣の型をはじめる。

 しかたなしに、マーゴは裏庭の端にしゃがみこみ、ロウゼンが剣を振り回すのを眺めていた。

「あ……」

 密林の中で振り回していたときと、ロウゼンの動きが違う。そんな気がする。その時はただ、型のまま剣を振っている、そんな感じだったが、いまは違う。剣術など、まったくわからないマーゴにも、戦う相手を想定して剣を振っているのがわかる。そこには、今まで感じられていた力だけではなく、殺気さえも、こもっていた。明らかに、人と戦うための鍛練に切り替えたのだ。

「だいじょうぶ」

 いつのまにか、傍にきていたペグが、そっとつぶやいた。

 大丈夫だよと、言ってくれたのか、それとも、大丈夫かと、気遣ってくれたのか。

「ありがとう」

 傍に立つペグの腰に腕をまわし、その肩に頭を預ける。

 私に出来ることはなんだろう。



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