終焉、そして……
その夜、城は眠っていなかった。ランデロウガを囲む四つの城のうち、ふたつまでが敵の手に落ちたと報せが来た。それなのに、ミューザ王と連絡が取れない。
蜂の巣をつついたような騒ぎになってもおかしくないのに、蜂がいない。僅かな城兵は、すべて城を飛びだしていき、残った役人や下人は、蜂の仔のように息を潜めていた。
戦う力を持たない民を、徒に殺めることは、統一法によって禁じられている。しかし、その禁を破ったミューザの城に拠る者を、断罪人を気取った敵がどう扱うのか、知れたものではない。
「大丈夫か?」
「……ええ」
自分の部屋の寝台に横たわったまま、答えるフォルビィの息は荒い。今日の朝食前に、ロフォラが部屋を訪れたときには、唯一赤かった唇までも、すでに血の気を失っていた。
彼女の身体の中で何が起こっているのか、ロフォラにはわかった。今までは、治癒の力によって、毒が体を傷つけるのを防いでいたのに、いまは毒が傷つけた組織を、彼女の力が癒しているのだ。
彼女の力が失われたわけではない。おそらく一瞬だけ、彼女の力が途切れたのだ。一度完全に回復させられれば……。体の回復と防毒を同時にこなすには、彼女の力は明らかに足りない。しかし、外から力を加えたときに何が起きるのか、ロフォラには判断できないから、彼にできるのは、ただ額の汗を拭ってやることくらいだ。
昨日の夜、なにかあったのだろうか。彼女の力を、想いを揺らがせる、なにかが。
突然、フォルビィがなにかに耳を澄ませた。そして、体を起こそうと、身を捩る。
「どうした」
「聞こえるの。烏が、鳴いてる」
「烏?」
もし、この城に帰ってきているにしても、こんな時間に鳴くはずがない。もう真夜中近い。天空では、月蝕が始まろうとしているはずだ。それでも、フォルビィはこぼれるように、寝台から体を離す。敷布が、どす黒く染まっている。
「どこへ……くっ――」
思わず彼女の体をささえた腕に、灼ける痛みがはしる。それと同時に、強烈な目眩に魘われた。一日中、彼女の側に付き添っていたせいだろう。ロフォラの体にも、荒い息と汗を拭く手拭いを通して、毒が入っている。彼が長年力を溜め込んだ符の紙縒りや呪い紐は、己れを癒すためだけに、すでに半数以上が解けて、床に落ちていた。
ロフォラは、己れの体に何度目だろうか、癒しをかけ、部屋を出たフォルビィを追う。
本来ならば、主人の妻を護るために人数を割くのが当然なのだろうが、部屋の外には、誰もいない。毒の噂が恐れられているのか、フォルビィを妻に迎えたことが、ミューザの戯れと思われているのか。それとも、そんな余裕がないのか。
さらにフォルビィを追って、主殿に向かう。大広間にひとつだけ灯された燭台の明かりの輪の端に、彼女は座っていた。
フォル……
声をかけようとしたとき、木板が突然、けたたましく打ち鳴らされ、街に火が放たれたと、悲鳴に似た叫びが聞こえてきた。
城の者達が怖れていたことが、現実になりつつある。だれもがとっくに気づいていたはずだ。ミューザは滅びをもたらすものだと。
しかし、キシュである戦士達は、それを望み、キシュでも戦士でもない者達は、それから目を逸らしてきた。
ダンッ!
大広間の扉が、蹴り開けられた。何かを担いだ人影が、飛び込んでくる。
「兄貴ッ! 頼む。こいつの傷を、癒してくれっ!」
「フェロ!?」
フェロは息も絶え絶えに、ロフォラに駆け寄る。すでに汗も絞り尽くしたのか、やつれた、乾ききった顔で、肩の荷を兄の前に投げ下ろした。
「ミューザ……さま?」
立ち上がる力も失せたのか、フォルビィがミューザににじり寄る。手を延ばせば届く距離まで近づいて、そこで思い止まり、耳を澄ませる。浅く速い呼吸と、喉の鳴る音だけが聞こえてくる。鼓動の音は、フォルビィにすら聞こえないほど、弱い。
「ロフォラ……お願い」
「兄貴。頼む」
「これが、最後だから。――もう一度だけ」
「このままじゃあ終われねえんだ。もう一度!」
いつもありがとうございます……
赤天第三部もあと二回の更新分を残すのみとなりました……
ううううう……
次回予告……
静寂の支配するその場所に、命の絶える音が響いた。
兄弟の流す涙が、それが床を叩く音だけが、すべての終わりを告げていた。
四幕第十四話「月は惑う」
12/22 更新予定。
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