表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
113/119

罅割(ひびわ)れた心




「ここだよ。――おーい。トワロさん、いまひま……じゃあないか」

 治療院の戸口をくぐったトリウィは、トワロの姿を見て、たたらを踏んだ。

 彼女は、診療台に横たわっている男の前で、たすきがけにした着物から伸びた両手を、肘まで血に濡らして立っていた。トリウィに目配せをしてから、小屋の奥に声をかける。

「傷はふさぎました。ただ、ずいぶん血が流れてしまいましたから、しばらく休ませてあげてください」

「おう。いつも世話をかけるな」

 奥の暗がりから、太った男が歩み寄ってきた。台の上の男は、なんとか体を起こそうとする。

「すみません、親方」

「馬鹿野郎が。頭を下げる相手が違うだろうが。けえるぞ」

 親方と呼ばれた男は、患者を肩に担ぐと、トワロに笑いかけてから、出ていった。

「エイルさんとこの人?」

「ええ、喧嘩で刺されて。十日ほど前にも、運び込まれてきたばかりなのに。――それより、どうしたんですか?こんな時間に」

「ああ、うん。トワロさんに、お客さんなんだ」

「お客様?誰です?」

「入っておいでよ」

 トリウィに呼ばれて入ってきた、小さな客の姿を見て、トワロの目が大きく見開かれる。

「ああ、ちょっと――すぐに手を拭きますから」

 慌てて濡らした手拭いで血糊を拭き取り、たすきを解く。

「ごめんなさい。いま椅子を――」

「いえ、いいんです。あの……助けてほしいんです」

 マーゴは、両手を固く握り締め、トワロを見上げて言った。

「ペグさんが、軍を追い掛けて出ていっちゃったんです。でも、サルトさんは誰も捜索に出してくれなくて、わたし一人じゃあ、密林に捜しにいけないし――」

「でも、ペグちゃん、いつも遊びにいってるんだろう?俺も何度か見たぜ」

「絶対、夜までには帰ってきてたもの。それにいま、お父さん達と一緒に剣の修業の真似事をしているから、それで戦えるなんて勘違いして――」

「マーゴちゃん。それ、ちょっと、俺には痛い――」

「どうして、わたしなら、あなたを助けると思ったんです」

 トリウィをさえぎって、トワロが言った。その表情が、トリウィには見覚えがあるものに変わる。

――どうして助けてくれなかったんだ――

 かつて、彼がトワロに問い掛けたときに見せた表情。光を吸い込む、昏い瞳。

「そのペグと言う子が、戦場にいったかもしれない。ならばその子を助けるために、多くの戦士を殺さなければならないかもしれない。それだけの価値が、その子にあるのですか?」

「だって……」

「たしかにわたしは、あなたを助けました。そのために、多くの人を斬りました。でもそれは、あなたがわたしの娘だから。あなたはわたしにとって、この大陸すべての人を殺しても助けるだけの価値があるから」

 トワロの頭が、くっと傾げられて、漆黒の髪の毛が、ゆらりと揺れる。

「でも、その子のことは知らない。わたしには何の価値もない子供を助けるために、わたしに戦え、と?」

「トワロさん、ちょっと待てよ」

 顔を強ばらせたマーゴを見かねて、トリウィが口を挿んだ。

「あんたが言いたいことは、ちょっとはわかるような気がしないでもないけど、でも、いまそれはないだろう。せっかく娘さんが、あんたを頼ってきてんのに」

「トリウィは黙ってて」

「そりゃあ、あんたは誰かを助けるために、誰かを殺すことはしないって言ってた。その理屈はわかるけど、あんたはこうも言ってたよな――」

「トリウィ!」

「あんたが殺すのは、殺したいからだって。だったらマーゴちゃんのため……に……」

 トリウィの口が凍った。

「ごめん……」

 それは、トワロがすべてを消してでも忘れ去りたい言葉だった。彼女が誰のためにも戦わないというのは、己れの忌まわしい本性を覆い隠すために他ならない。

 やばい。トワロさんには、絶対に言っちゃいけない言葉だった。トリウィの背中を冷汗が流れる。前に彼女がそれを口にしたときには、トリウィもラミアルも、殺されるところだった。この口は、どうしてこんなに軽いんだ。

「ごめんなさい」

 マーゴが、頭を垂れた。どうして、この人なら助けてくれるって思ったんだろう。

「わたしひとりで、探してみます。おじゃましてすいませんでした」

「わあ、マーゴちゃん、ちょっと待って。トワロさんもさあ、子供一人探すだけなんだから、戦わなきゃいけないとは、限らないじゃないか。何をムキになってんだよ」

「わたしは別に、ムキになんて――」

 抗弁しかけて、トワロは溜め息を吐いた。闇の瞳が揺らぐ。娘がお父さんと呼ぶのが、かつての自分の夫じゃない。それは仕方がないことだけれども、自分までもが母親じゃないと否定されているような気がした。だが、それも仕方のないことだ。赤子を奪われてから今まで、母親であったことはないのだから。

「――わかりました」

「トワロさん!」

 トリウィが安堵の声をあげ、マーゴも再び振り向いた。

 トワロは、小屋の奥の壁に立て掛けてあった二本の剣を拾い、筵で巻き込む。

 錬成館で、同輩の誰よりも先に授けられ、とても誇らしかった二本の剣。

 お前は戦士にはなれない、そう告げられてからも、ずっと手放さなかった二本の剣。

 刻みの甘い後付けの量産品だが、敵の剣に咬ませることは滅多にないから、刃毀れはほとんどない。手入れは常に欠かさなかったから、赤錆ひとつ浮いていない。

 それを胸に抱けば、ひび割れ、欠け落ちた己れの殼の隙間が、塞がれるような気がする。

「行きましょう」

「は、はい」

 この子を胸に抱ければ、すべての隙間が埋まるのだろうか。いつか、罪が赦される刻がくるのならば――――





いつもありがとうございます。

……あれ? 何か書こうと思ったんだけどな。

忘れるってことはたいしたことじゃないかな。


次回予告。


闇が天の月を喰らうとき、戦気は森を揺るがせる。

残虐なる王と野蛮なる王。

激突の瞬間ときは近い。


四幕第十話「臨戦」

12/8更新予定。


うまく行ったら、クリスマスが三部の幕になるのかな?

どうか奇跡が我が頭上に……

更新中断なんてことになりませんように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ