………剣の六
密林を抜けて、ラルカレニとラルカロオとをつなぐ道に出たのは、日が暮れるまであと三巡時というところ、空は青く輝いているが、道の上にはすでに陽は射してこない。大きな荷物を通すため道を切り開きながら進んだために、ずいぶん時間がかかってしまった。
元気なペグもさすがに疲れたのか、豹をつかまえて、またがって運んでもらっている。 道に出てから、ロウゼンの歩みはかなり速くなったが、豹に乗っているペグはもちろん、ここ数日間密林を歩き回って体力がついたのか、マーゴも途中小走りになりながら、なんとかついていっている。
しかしそれは、ラルカロオに向けてゆっくりと進む牛車の列を追い抜いて、しばらく進むまでだった。突然、マーゴは足を止めた。道に刻まれた轍の上でうつむいている。彼女の足が震えているのが見える。
「……どうした」
少し先を歩いていたロウゼンがその場で振り向いて、マーゴに声を掛ける。
マーゴは、ロウゼンを見上げて言った。
「駄目なんです」
マーゴの瞳から、涙があふれる。
「私は、町へは行けない……あんなことがまた起きたら、今度はどれだけの人が死んじゃうか。今度はあなたやペグさんが……死んでしまうかもしれないのに」
まもなく町に着いて、多くの人たちに囲まれてしまう。誰があの男の回し者かわからない。もしかすれば、無関係な人を巻き込んでしまうかもしれない。人の命を奪うまいという意志に従わない、自分の力。それらのことに対する怖れが、彼女の心を締め付ける。
ロウゼンが護ってくれる、そんなかすかな希望だけでは、その怖れを押さえ付けることができなかった。
足が震えて、これ以上歩けない。
「きゃっ」
突然視界が高くなった。ロウゼンがマーゴを抱き上げて、肩の上に乗せたのだ。急なことにびっくりして、ロウゼンの頭にしがみつく。そのままロウゼンは歩き始めた。マーゴを恐がらせないためか、幾分ゆっくりとした歩調で。
「……何を怖れている」
木々の間を通り抜ける風のような低い声。決して聞き取りやすくはないが、すぐ横で発せられたせいか、耳の奥までしっかりと届いた。
「何って……」
絡み付き、縄のようになった強い毛を腕に感じながら、マーゴは言い返す。
「だって、ロウゼンさんも見たじゃないですか!もしかしたら、あなたたちも死んでいたのかもしれないのに」
「おまえがやったのだろう?」
ロウゼンの声に不審が混じる。
マーゴを連れ去りにきた兵士たちが死んだのだ。当然ロウゼンは、マーゴが強力な法術か何かで敵を倒したのだ、そう思っているのだろう。
だから、平気で私と一緒にいられるんだ。マーゴは震える心でそう思った。ロウゼンが剣を振るうように、私が力を振るっただけ、そう思っているんだ。
「違うんです……。いえ、私のせいなのは本当なんですけど、違うんです。みんな死んじゃうんです!」
断末魔の苦しみに、絶叫する友達。みんな死んでほしくなかった。何としても、助けたかった。逃げ出した私を捕まえようとした人たち。死んでほしいと願ったわけでは、決してなかった。でもみんな死んだ。
「……俺は死ななかった。何故だ」
何故だろうか。
「わからない……ですけど」
「……なら、大丈夫だ」
「……?」
ロウゼンやペグを意識して除いて、力を行使したのであれば、意識してロウゼンを殺すこともできるかもしれない。しかし、無意識に彼らを殺さなかったのであれば、意識的にも殺すことはできない。きっとそういうことなのだろう。
「でも……他の人が……」
「ならば、俺がすべての人を殺そう」
「ダメです!なんてことを言うんですか!」
「……」
「……人が死ぬのは、悲しいことなんです」
ロウゼンにしてみれば、自分や親しい人間に仇なすものにたいして、それを排除するというのは当然のことである。自分の「娘」がそれをためらうのであれば、自らが手を下す。彼にすれば当然のことだったが、これは、食べないものは狩らない、縄張りを犯すものだけが敵であるという、獣の論理とは別だ。愛する人のために、といえば聞こえがいいが、自分を含んだ集団の利益のために、他の集団を先制的に攻撃する。言うなれば、人の論理だろう。
しばらく沈黙がつづき、自分で歩きますと、マーゴが口にしようとしたとき、彼女の体が小さく揺れた。ロウゼンが歩きながら、手元を見たのだ。マーゴがその視線をたどると、豹にまたがったままのペグが、何か言いたげな顔で、ロウゼンの手をつかんでいた。
「きゃあっ」
マーゴの体がさらに大きく揺れる。すぐ横にある大きな頭にしがみつくと、今度は大きく沈み込み、そしてまた持ち上がった。気付くと、反対側の肩にペグがのっている。ペグも目を閉じて、ロウゼンの頭にしがみついていた。ペグは、このように抱き上げられたことが、今までにないのだろう。恐る恐る目を開けると、今まで見たことのない景色に、小さく歓声をあげる。そして、きょろきょろと辺りを見回して、マーゴと目があったとき、突然満面の笑みを浮かべた。ロウゼンが歩き始めると、彼の頭をぺしぺしと叩きながら、きゃあきゃあ言っている。
その、マーゴには初めて見せてくれる笑顔を見ながら、自分にとってペグやロウゼンが大事なものになっていることに、改めて気付いた。もし今朝の戦いで、敵の兵士たちと一緒に二人が死んでいたら、今のように自分を取り戻すことは難しかっただろう。自分から人を傷つけることは、決してしたくはないが、この笑顔を守るためならばそれもできる。そう思わせるような笑顔だった。結局マーゴも人であり、人である以上、人の論理で動くことも仕方がない。そう思った。