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師弟の契約




 薄まりつつある朝靄を、顔を出したばかりの太陽の赤みがかった光が照らしている。その下を、やはり銀の頭を薄い橙に色づかせた少女が歩いていた。彼女の前方からは、まだ少し涼しい空気を切り裂く剣の音と、大地を踏みしめる音、そして気合いを発する声が聞こえてくる。

 低く腹の底を揺さ振るのは、ロウゼンの声。猛々しく、しかし弾んで聞こえるのはグルオンの声。そして、やあ、とお、と可愛らしく響くのは――

「ペグさん!? 何してるんですか?」

 細い木の枝を右手に持って、たどたどしくロウゼンの動きの真似をしているペグの声。

 マーゴの呼び掛けに応えたのは、ペグではなく、中庭の端で顔を洗っていた豹だった。かまってもらえないのが不満なのか、なぁ、と鳴きながら、マーゴに体をぶつけてくる。

 ロウゼンとグルオンが婚姻契約を交わしてから、ペグは密林へ遊びにいかなくなった。それはいいのだが、ロウゼンにまとわりついて離れない。早朝の剣の鍛練にまで、ここ数日顔を出していると聞いて、マーゴも早起きして様子をみにきたのだが、まさか、キシュの真似事をしているとは思わなかった。

 なおも体を押しつけてくる豹をあやしながら、マーゴは仕方なく、鍛練が一段落するのを待つ。そして、一生懸命に枝を振り回しているペグをみて、少し驚いた。二人の卓越した戦士ですら、うっすらと汗を掻くほど続けているはずなのに、ペグは顔を真っ赤にしながら、それでも頑張っている。

 突然、風を裂く音が高まり、ロウゼンの叩きつけるようなものとは違う流麗な型を、グルオンが組み上げる。数瞬間静止し、そして少しだけ息を整えて剣を収めた。マーゴに笑顔を見せて歩み寄る。

「なかなかいい筋をしているだろう」

 マーゴの横、豹と反対側に腰を下ろして言った。

「ペグさんですか?」

 そんなことを言われても、マーゴには剣筋など全然わからない。わかるのは、ペグがグルオンに対抗心を燃やしていることだけだ。

「でもペグさん、ヨウシュなのに、体力ありますよねぇ」

「そうだな。密林に遊びにいったりしているからかな。でもいいじゃないか。体を動かすのは気持ちいいぞ」

 ヨウシュはあまり運動をしない。息が切れれば呪文を唱えられなくなるし、体の疲れは精神の集中を妨げるという。だがそれは、体を動かしたくないヨウシュの言い訳だと、グルオンは思っている。息が切れたり疲れたりするのが厭なら、そうならないように素振りでもなんでもして鍛えればいいのだ。以前レイスにそう言ったら、笑われた。キシュに法術が使えないように、ヨウシュに剣は使えないと。

 そんなことはないだろうと、ペグをみて思う。法剣術というものもあるし。あれはヨウシュの使う術だ。なにも剣を持って戦場で戦えというわけじゃない。それはキシュの役目だ。要はレイスを含めたヨウシュ達は、体を動かすのが嫌いなだけだろう。

「わたしもやってみようかな」

「ん?」

「わたしに剣を教えてくれませんか? 明日からわたしも早起きしてきますから」

 グルオンは肩を落とした。

 また言いだした。あの赤い光の力で味方を殺してしまってから、戦場に立つのは諦めたと思っていたのに。

「でもあなたは、キシュの力もほとんど思い通りにならないのだろう? それなのに剣を習ってどうするんだ」

「たまには力が顕れることもありましたし。でも、剣が使えないと、いくらキシュの力が顕れても、意味がないじゃないですか。それに――」

 マーゴは俯く。ランデレイルでミューザの手の者に襲われたとき、彼女の護衛を務めてくれていた森の民の戦士の命を奪ってしまったことは、彼女の心に決して小さくない傷を穿っていた。

「剣は、味方を殺したりしないですから」

 グルオンは密かに息を吐いた。マーゴは彼女なりに修羅場をくぐり抜けてはいるが、まだ戦場がなにかということを知らない。生死の境に我を忘れれば、剣は容易に敵と味方を見失う。そうはならなくても、剣は命を奪う手応えを、明確に己れの腕に伝えてくる。マーゴがそれに耐えられるとは思えない。

「止したほうがいい」

「どうしてですか?」

 止められるのがわかっていたのか、冷静にマーゴは問う。

「たとえあなたにキシュの力が完全に顕れたとしても、それがどれほど強いものであっても、あなたのその体では、決して大人の戦士には勝てない。剣は刃の届く相手しか、斬ることが出来ないんだ」

 そう言われて、マーゴは己れの躰を見下ろした。これ以上成長することのない、小さな躰。同じような体格の子供と比べても決して手足は短いわけではないが、それでも大人と比べれば、絶対的に短く細い。

「体が小さくても、強い人はいますよね」

 グルオンを見る。この城で、彼女はロウゼンの次に剣の腕がたつ。キシュの女としては平均的な体格の彼女は、強者共の集う城兵の中では小柄なほうだ。

「それに、まったく剣を使えないよりましじゃないですか?」

「剣は、中途半端に使えるよりも、まったく使えないほうがましなんだ。剣を持っていなければ、逃げることが出来るからな」

 そう言うと、グルオンは立ち上がり、中庭の片隅に芽吹いた若木の枝を、抜き打ちざまに切り落とす。そして、葉や小枝を削いで一本の棒にすると、マーゴに差し出した。

「え?」

「だけど、体は鍛えないより鍛えたほうがましだからな。それにあなたが大人になれないと決まったわけじゃないし、私が許可するまで剣を持たないって約束してくれるんだったら、教えてやってもいい」

「はい!」

 銀色の目を輝かせ、マーゴは首肯いた。

「ただし、これは師弟の契約だ。守れなかったら、あなたの腕は、私が切り落とすからな」

「…………」

 厳しい口調に思わず言葉を失ったマーゴを、大きな影が覆う。いつのまにか稽古を終えたロウゼンとペグが、近づいてきていたのだ。

「飯だ」「めしだ」

 ロウゼンの言葉を真似たペグに、豹が戯れかかった。一転してグルオンの口調が砕ける。

「だ、そうだ。明日からだな」

「はい」

「朝の光が大屋根にかかるまでに、ここにくること。遅刻はするなよ」

「え……はーい」

 明日から早起きしなきゃ。マーゴは少し後悔しながら、返事した。でも、家族なんだから、わたしだけ朝寝坊してたらいけないよね。朝ご飯も、一緒に食べて……


いつもありがとうございます。


ただいま、現実逃避実行中につき、あとがきはありません。ご了承くださいませ。


次回予告。


「せんそう?」

「うん」

「なに?」

 なんだろう、戦争って。

「わたしにも、わからないの」


四幕第二話「戦争って?」

11/10更新予定。


パソコンの中には、第二十部までの完成稿がきっちりと……(泣)


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