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黄昏の隙間




 目の細かい簾を通り抜ける光が、赤みを帯びてきた。少しずつ闇が光を駆逐していくこの時間が、フォルビィは好きだ。

 物心ついてからずっと、リーズの城の一室から出ることのなかった彼女は、全身で風を感じることもなかったし、人と触れ合うことも、もちろんなかった。だから、耳がいちばん彼女に世界を鮮明に伝えてくれる。

 だけど、おぼろげにしか世界を映すことのできない瞳は、しかし瞼を閉じても、その裏に光を見る。中途半端な赤い刺激が、雑音となって、彼女が世界と繋がることの邪魔をする。

 黄昏時の柔らかな光は、彼女の薄い瞼に阻まれて、彼女の瞳にたどりつけない。そして耳を通じて捉える彼女の世界は、徐々に広がる。

 すぐ近く、といっても距離を測ることはできないが、この部屋からそれほど離れていない辺りで、木の食器がからからとなっているのは、たぶんフォルビィのための夕食を用意している音だろう。まもなくロフォラが明かりを持って、侍女に料理を運ばせて、フォルビィと一緒に夕食を取るためにやってくるはずだ。

 そして夕暮時のほとんど凪いだ風が、それでもゆっくりと遠くの音を運んでくる。

 王がこの部屋を去ってから間もなく轟いた、城兵達のあげる気勢はすでに遠く、代わりに夕食時の町の騒めきが聞こえてくる。さらに遠くからは、密林に暮らす無数の命の気配。

 リーズにいた頃は、こんなに濃厚な命の息吹を感じたことがなかった。リーズ城は、この大陸で唯一石材を使って築かれている。それはアロウナ山という巨大な火山が噴き出した溶岩が、密林に侵蝕されない高地にリーズがあるから。密林に覆われた下界の地面をいくら掘り返しても、砂利以上に大きな石は出てこない。だから下界の城はみんな木造だ。

 高山の薄い空気の中で息づく淡やかな気配は、リーズ城の堅固な溶岩の壁に遮られて、城の奥深くにあるフォルビィの部屋までは届かない。それなのにこの城は、回りすべてを密林が囲み、そして城下町までが、静謐なリーズの市街と比べてはるかに活気があるようだ。

 ねぐらへ帰るのだろう、烏の群れが鳴き交わす声が聞こえてくる。

 あれは――

 フォルビィの唇が、す、と横に、笑みの形に引かれた。リーズからの旅をともにしていた烏の声も、その中に混じっている。

 その烏は、決して彼女には話し掛けてくることはなかったけど、ロフォラとフェロの兄弟とのやりとりが可笑しくて、印象深く覚えている。もともと一度聞いた人の声は、忘れることはないのだけれど、烏の声を聞き分けられるとは、自分でも思っていなかった。

 ずいぶん長い間、その鳴き声を聞くことがなかったのに、どこに行ってたんだろう。王と同じ日に帰ってきたんだから、あの人と一緒に戦場の空を飛んでいたのだろうか。これから、あの人について飛んでいくのだろうか。だったら、私にあの人のことを話してくれればいいのに。

 木の床を踏みしめる、かたい靴音が聞こえてきた。これはロフォラと侍女達が、この部屋へ食事を運んでくる音だ。侍女二人の足音が、汁物をこぼさないように用心深くなっているから、それがわかる。椀の中で揺れる吸い物の音も聞こえるようだ。あ、箸が転がった。

 足音が鮮明になり、緩く閉じた瞼の合わせ目に、揺らめく橙色の明かりが滲み込んできた。目を開くと、その明かりは影に隠れたり、また現われたりしながら、部屋の壁のあちこちに掛けられた燭台を飛び回り、仲間を増やしていく。それにつれてロフォラと覚しき人影がぼんやりと目に映り、それを目で追っていると、すぐ目の前の食卓に皿が並べられ、軽くなった足音が逃げるように部屋から出ていく。残った影は、フォルビィの向かいの席に腰を下ろした。

 灯心のじりじりと焼ける音、ロフォラの息遣い。フォルビィにはとくに暗い燭台の明かりは、彼女の世界をこの部屋に限定してしまう。そしてその火は、一晩中絶やされることがない。

「烏が帰ってきてたでしょう。どこに行っていたのか知ってる?」

「……あ、ああ。ここに来ていたのか?」

「ううん。声が聞こえただけだけど。彼……彼女?」

「あんなの、バカ烏で十分だ」

「私のところに来てくれたことは、一度もないから」

「お前のところに来なくて幸いだ」

 そう吐き捨てた言葉と同じ辺りから、羹をすする音が聞こえてきた。フォルビィも食卓の上に手を伸ばし、いつも汁物が置いてある辺りに左手をさまよわせる。温かい木の椀に指が触れ、中身がゆらりと波打つのを感じてそれが汁物と知り、椀を掴んで口元に運ぶ。

 それ以上話が弾まないまま、黙々と食事を進めながら、フォルビィはロフォラの息遣いに耳を澄ませた。いつもとは違う不規則な呼吸と、時折洩らす深い溜め息。なにかあったのだろうか。呼吸に表われる表情が、不安に満ちているようだ。

「なにかあったの? フェロ?」

 ロフォラは、彼女に不満や不安を洩らすことはないが、フェロのことを話すときは別だ。あからさまにではないものの、不満と僅かな怖れが声に滲む。王が帰ってきていたということは、フェロも一緒のはずだ。だからかと思ったのだが、ロフォラは首を振る。

「いや、あいつには今日は会っていない。部屋にも帰ってきていなかったよ……」

 そう言うと、まだ食事の途中にもかかわらず、箸を置く。フォルビィも今日はなにか胸がいっぱいで、彼にならった。ロフォラは黙って、二人の湯呑みに茶を注ぐ。

「……なあ、お前は、使命のことを、どう思う?」

 思いもよらないその言葉に、思わずフォルビィは目を閉じ、耳を澄ませる。ロフォラがそんなことを訊くなんて。彼にとって使命とは果たすもの、それ以外のなにものでもなかったはずなのに。

「どうして、そんなことを訊くの?」




いつもありがとうございます。


百回記念に、トワロを主役に据えた外伝でも、と書き始めましたが……



次回予告。


「お願い。私を見守っていて」

フォルビィの言葉に、ロフォラは頷いた。

「大丈夫だ、それが俺の使命だからな」


三幕第六話「ささやかな願い」

10/27 更新予定!


百回記念って何時だっけ?なんて時期に公開となりそうですっ!

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