疑いの芽
烏は、艶やかな翼をたたみなおして、小さく、アァと鳴いた。
「……フィガンの娘が、その封印された術で造られたということか。それはわかるが、他に法剣術の使い手がいたところで、何の問題がある。奴らは今、大陸中にいるだろう。それにシュタウズだと? ランデレイルを乗っ取った者が森の民だと聞いたが、そいつのことか? だが、密林の蛮族に成り下がった奴らに、何が出来る」
「お前は知らぬか。王もシュタウズの生まれであられた」
「陛下の声はよせ……!?」
ロフォラは、烏を怒鳴りかけて気がついた。リーズ法王の声が王と呼ぶのは、もちろんベルカルク統一王以外にない。
「統一王もシュタウズの出身だと? ……彼らは、何か特別な力を持っているというのか?」
「そのようなものはない。だが、王と同じ部族の戦士が、盾と称される戦士をともなって戦っている。その符合は、重大だ」
統一王が盾と呼んだ戦士のことは、たしかに有名な逸話だが……
「彼の地では、その男を王と同一視する声も聞かれはじめている」
「それは……まずい気がするな」
統一法の権威は、統一王が制定したことに由来する。その権威が軽んじられる危険がある。
「だが、たかが城一つを治めているだけだろう? その程度の男、粛正することなど容易いだろう。たとえ統一王と同じシュタウズとはいえ、たかが下界のキシュだ。法の子を差し向ければ――」
「俺じゃあ、奴に勝てそうもねえ」
「お前は、フェロの力を知らないだろう!」
弟の声で言う烏に、怒鳴り返す。
「仲がいいのね」
「なっ!」
「あの子では、勝てないわ」
また、女の声。
「力と強さは違うもの。あの子はまだそれを知らない。それにあの女」
「それは……法剣術士のことか? なんとかという里を滅ぼしたという」
「スルクローサだ。各地に法剣術士を傭兵として派遣していた。それを滅ぼしたのが、ひとりのケンシュの女」
法王の声。ロフォラはそれを咎めるのを忘れた。
「ケンシュだと? だが、その里で学んだと」
「法剣術は、ヨウシュのものだ。だが、ヨウシュが剣を使う意味はないと、我らは見限った。ケンシュが修めればどうなるかということを、考えなかったわけではない。だが、それは不可能だと結論したのだ。キシュの力に法剣術を重ねることは出来ないと。呪われた術を究めようとした者共でさえ、それを断念したゆえに」
だが、それをなし得た者がいたというのか。ならばそれはどれほどの――
「どれほどの力なんだ? そいつらは。フィガンの娘は、千の城兵を一瞬で殺したという――」
「烏が見たときの敵は百もおらなんだが、百が千でも、あの力は変わるまい」
「ケンシュの女は?」
「ミューザの軍の追撃を、ひとりで半日食い止めてみせた」
「シュタウズの男は……」
「一万の軍に護られたロイズラインの城主を、盾と二人で討ち取った」
「……何だそれは!? そんな与太話を、誰が信じるというんだ!!」
「我は信じた」
「すでにリーズに報せたというのか」
「ロフォラ・フェイディ・シフィル。汝に命じる。使命を果たすにあたっての怠慢は問わぬ。ミューザと行動を共にし、奴をロイズラインへと導け」
ロフォラの金髪が渦巻いた。法術師の左手の指が、首から下げられた飾り紐を握り、右手の指が印を結び、美しい口元から、呪が溢れだす。
暗い部屋の澱んだ空気が捻れ、烏の翼が捩れ、嘴から床に叩きつけられる。薄れゆく赤い光に照らされた黒い羽根が舞い散る下で、烏は力なく、ガァと鳴いた。
「陛下の声はやめろと言ったんだ! 自分の声で話せっ!!」
「りーず法王陛下ノ御言葉ニ逆ラウノカ」
酷く嗄れた、決して人のものではない声で、烏が喋る。
「陛下が下された言葉は、使命を果たせ、それだけだ。烏ごときの言葉に従う理由はない」
「このものの言葉は、我の言葉――」
「まだ言うかっ!!」
突風が烏の軽い体を、壁に叩きつける。
「ならばその証を示せ。俺は陛下から直接下された言葉以外には従わん」
「ナラバ、ナゼみゅーざヲ殺サヌ」
「それは、俺の役目ではない」
「ナゼ、みゅーざヲ助ケル」
「使命は果たす! 貴様にとやかく言われる筋合いはない!」
「使命ガ変ワッタノダ」
「陛下から直接言葉を頂かねば、信じぬ! 第一、使命が変わるはずがない!!」
烏はよたよたと体を起こし、傷ついた翼で窓へと飛び上がった。そしてまた小さく、しかし嘲るように、ガァと鳴く。
「では、好きなようになさい。可愛い子。軛から逃れるのは喜ぶべきことだけど、法王の覗く未来を避けられるとは思わないことね」
女の声を残して飛び去る烏を見送ることもせず、ロフォラは寝台に身体を投げ出した。
いずぼありがどうございばず。
連載百回目でございばず……
体調不良で、記念を祝う気力もございません。更新もいつもよりすこし遅れてしまって。
リアルタイムで付き合ってくれている方、申し訳ありませんでした……
だもんで。
じがいよごぐ。
目の細かい簾を通り抜ける光が、赤みを帯びてきた。
少しずつ闇が光を駆逐していくこの時間が、
フォルビィは好きだ。
三幕第五話「黄昏の隙間」
10/23更新予定
ずびずば〜
なにがなにやら(泣)