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美味しき獲物たち

 若鮎寮には、寮生用の冷蔵庫が全部で三つある。南棟二階の階段を上がってすぐの場所にある一台が、俺や吉田のいる階、つまり201~208号室の生徒用なのだが、他に東棟の一階と二階にそれぞれ一台づつ、それぞれの階の生徒が使用する冷蔵庫があり、大きさは、どれも普通だと言っていい。いわゆる一般家庭用の冷凍冷蔵庫で、野菜室まで付いたスリードアタイプ。ちょっと型式が古いのか、夜中にブーンとうるさい音をたてるのは難点だが、食べざかりの男子高校生の胃袋を満たすため、学校側が用意してくれたありがたい家電なのである。大量に買ってきたジュースやアイスや夜食用のおにぎりなどなど、当然食いモンを自由に入れてもいいものだと、俺も吉田も思っていた。

 なのに……。

 今回のアイス消失(略奪?)事件である。諸君、こんなことが、許されてもいいのだろうか!

「次から取られないように『山田のアイス、食うな!』とか書いておけば?」

 腹立ちを抑えきれず息巻く俺に、同じ一年の町田はアイスを取られていないからのんびりと、そう答えた。まったく、おめでたい奴だ。

「アホかオマエ。アイスに名前なんて書いといたら、『おお、こいつのなら食ってもいい』っつって、絶対最優先で食われるぜ」

 と、これは吉田の意見。

 そうだ。吉田の推理はきっと正しい。何しろ相手は上級生だ。しかも、復讐するにしても、今のところ作戦は皆無。敵の正体さえわからない。俺は、あまりの悔しさに、小林先輩のところに相談に行ったのである。

「先輩、俺たちのアイスが全部なくなってるんです!」

 何とかして下さいよ、先輩……ってな、調子だな。しかし、

「あきらめろ」

 先輩は、冷たくも、そう言い放った。

「うちの寮じゃ、こんなことは日常茶飯事だ。俺が入寮した時から脈々と受け継がれている伝統みたいなもんだ。食われたくなかったら、誰かに食われる前に食う。腹をこわしてでも食う。これがこの寮で生き残っていくための鉄則だ。よく覚えとけ」

 まるでサバイバルな戦場ごときな言いっぷりである。

「えーっ! じゃあ、じゃあ、アイスのまとめ買いとか、できないじゃないですかぁ!」

 俺は、心底がっかりした。食われたアイスを取り返せないってだけでも充分悔しいのに、なんの手段もなく、泣き寝入りしろだなんて……。

 すると、

「あー、いい方法が一つだけなら、ある。アイスに『村山タカシ』って書いとけば、たぶん食われない」

 先輩が、いつものように、しれっと言った。

 『村山タカシ』というのは、寮長をしている、空手部の三年生のことである。体格も顔も貫禄充分、ものっすごい威圧感のあるオーラを醸している人で、この寮ではきっと、誰一人として彼には逆らえないだろうと言われている凄い先輩だ。入寮式の日に寮長として挨拶しているときにも、鋭い顔つきで新入生を睥睨していた。ちなみに、空手は県大会で二位の腕前。おお、こえー。

「ただし、村山本人に食われる恐れはある。しかも、『俺の名前を騙る奴は誰だ!』っつって怒られる可能性はなきにしもあらずだが」

「な、なに言っちゃってるんですか、先輩。そんなおっそろしいこと、俺、できませんよ」

「ははは、だろうな」

 そんなやり取りを横で聞いていたのか、

「心配すんな。まとめて買ってきたときは、俺が食ってやるよ」

 と、今度は高橋先輩が口を挟んだ。

「知らない奴に食われるよりはましだろ? あー、もちろん、タダで食わせろとは言わない。俺は、ちゃんと代金は払う。どうだ、手を打たないか?」

 ニヤッと、唇の端をあげて高橋先輩が笑ったのだが、この先輩がこんな風に笑う時にはロクなことがない。

「それじゃ、まるで先輩のパシリじゃないっすか。先輩たちのアイスを俺が買ってきてあげるって構図とまったく一緒ですよ」

「あっ、ばれた? ははは」

「ばれたじゃないっす!」

「まあ、そんなにカッカすんなよ」

 そう。他のことなら、譲ってもいい。洗濯係も甘んじて受けよう。しかし、事アイスに関してだけは譲れない。今後の俺の寮生活がかかっているのだ。簡単に妥協なんてするもんか。

「やです。ってか、俺は毎日アイスが食いたいんです」

「へー、そう。そりゃ残念だな。っつか、はっきり言って、無理だ。毎日定価で買うより他に手はない」

「欲張ってアイスを食いすぎて、腹こわさないようにしろよ!」

 この時の先輩たちの表情が、無駄な抵抗だと言いたげだったのは、言うまでもない。しかし俺には、どうしても納得がいかなかった。

 

 先輩たちの話によると、新入生が入寮してきて一週間目までは、どの二、三年生も冷蔵庫の獲物に手を出さないってのが、うちの寮の暗黙の了解で、悪しき慣習のひとつであるらしい。

「言っとくが、この一週間の猶予ってのは、温情処置なんていう優しい心根からのもんじゃない。いいか。新入生たちが、入寮してすぐに手を出したら、収穫が少ないだろう?」

「まあ、だいたい一週間だ。新入生たちがジュースとかアイスとかを買ってきて、獲物をストックする頃あいを見計らって、奪取する作戦なんだな。言わば奴らにとっては恒例行事なんだが、まったく、性質が悪いだろう?」

 つまり、俺も吉田も、若鮎寮の洗礼を受けたってことだろう。またしても、悔しさがよみがえる。

「っつか、先輩たち、知ってたんなら、どうして教えてくれないんですか!」

 もちろん、俺は憤って見せた。しかし、

「俺らだって一年の時はこっぴどくやられてきたんだ。お前らだけ襲撃から免れるなんてのはムカつくだろ?」

「そうそう。すべては経験だ。もまれて、踏まれて、強くなるんだよ、人間は」

 先輩たちは、再びニヤッといやらしく笑って言った。

 ようするに、この、海千山千の若鮎寮で、先輩たちは伊達に生活してはいないということなのだ。結構したたかにのさばっている。だから、

「俺の知っている中学時代の先輩たちは、もっと優しかったです」

 恨みがましく言う俺に、

「まあ、悪く思うな」

「その代わり、いい事を教えてやるよ」

 声をひそめて、そう言った。

「なんなんっすか? いいことって……」

 つられて俺も、小声で訊き返す。

「うん。オマエにはわかってるだろうが、基本、俺ら野球部は襲撃には加わらない。いつもやってるのは、大体がサッカー部の松本、山崎、谷原と……」

「剣道部の丸山、宮内、元木の六人だ」

「大抵はこの六人が組んで、冷蔵庫を襲撃している」

 つまり、今回の襲撃の主犯は、おそらくこの六人だろうという話なのだ。やっぱり、あいつらか! くそッ!

「今回の襲撃時刻は深夜だったな。消灯を過ぎてから、舎監の見回りが二時にあるだろう? その時間にやってるはずだ」

「先輩、なんで、知ってるんですか?」

「ああ、夜中にションベンがしたくなって起きたんだよ。そしたら、廊下にワキガの臭いが充満してた」

 恐るべし、山崎ワキガ。あいつのワキガは、指紋よりも確実な証拠を残すのだ。うーん、ある意味気の毒な気もするが、だからといって、許せる話ではない。

「あいつらは、ほんとに性質が悪いんだよ。冷蔵庫の獲物が、一年生のアイスだろうと三年生のジュースだろうと、見境なく奪取するんだ」

「だから、俺たちも、仕返ししてやりたいとは思ってたんだよ」

 そこまで言って、小林先輩が、さらに声をひそめた。

「おい、山田。復讐に協力してやろうか?」

 ふふんと、小林先輩は鼻で笑う。

「お、お願いしますッ」

 再びつられて、俺も声をひそめた。

 かくして、俺たちは密かに逆襲計画を練ったのである。もちろん、吉田も道連れに。


 吉田というのは、俺と同じ205号室の住人である。こいつも野球部の一年生で、中学時代は南中でショートをやっていた。随分前から試合なんかで見て顔だけは知っていたから、受験の時にも「あれ、オマエもここを受けるの?」「おお、頑張ろうぜ」なんていう話をしたくらいだ。だから、打ち解けるのにも時間はかからず、今では結構仲のいい友達である。でもって、当然だが、こいつも俺と同じく、洗濯係。まあ、お互い一人でやるよりはいいだろう。

 他には町田が一緒の部屋なのだが、今回こいつは誘わない。だって、アイスを取られていない町田にとって、俺たちの復讐は関係ない。余計な事には巻き込まないのが俺流だ。

「で、作戦は?」

 消灯を過ぎてからのこと。俺のベッドで、吉田が声をひそめて訊いた。

「スーパーカップのチョコチップクッキーが、あいつらの好物らしいんだ。でさ、そのアイスにコーラックを仕込んでおくんだよ」

「そんなことして、ばれないか? ってか、ベタすぎる作戦だぜ?」

「そう、俺もそこは気になったんだが、『ワキガの臭いも平気なあいつらが、仕込んだコーラックに気づくはずはない』っつって、小林先輩が言ってたんだ。それに、単純なあいつらには、ベタな作戦の方が、かえっていいんだよ」

「ああ、なるほど……」

「決行は、次の月曜。小林先輩と高橋先輩が協力してくれる手筈になってる」

「よし!」

 こうして、俺たちの復讐計画は、密かに、着々と進んでいったのである。


 待ちに待った月曜日は、いい天気だった。

 この日はちょうど、学校の都合でどの部も部活が休みだった。なんとおあつらえ向きだろう。俺と吉田は放課後、いそいそと「サンサンスーパー」に出かけ、スーパーカップのチョコチップクッキーを六個仕入れてきたのである。当然、半額。そのまま寮には帰らずに野球部の部室に向かう。寮で細工してて万が一、誰かに見つかってはやばいという小林先輩の指図だ。で、部室に入ると、すでに小林先輩と、高橋先輩がコーラックを買ってきて待っていた。

「買ってきたか?」

「買ってきました」

「よし。じゃあ、アイスがちょっと溶けかけたくらいになったら、砕いたコーラックを上の方に目立たないように混ぜるんだ」

「コーラックは、ビニール袋に入れて鉄アレイで砕く」

 高橋先輩は、用意したコーラックを全部袋の中に出し入れると、棚から鉄アレイを持ちだしてきて、細かく砕き始めた。

「せ、先輩、コーラック、全部入れるんですか?」

「当たり前だろ! あいつらの胃袋は尋常じゃない。このくらい入れなきゃ効き目ないんだよッ!」

 と、高橋先輩は容赦ない。この人は敵にまわさない方がいいと、つくづく俺は思ったのだが、今回は黙っておこう。

「そろそろ、アイスが溶けたころじゃねぇ?」

 そして今度は吉田が慎重にアイスの蓋を開け、粉末になったコーラックを、スプーンで目立たないように混ぜる。

「おお、いい感じ、いい感じ」

 とまあ、いとも簡単にコーラックを仕込んだアイスが六個、完成したのだった。

「これを二つの袋に分けて入れて、冷凍庫に入れるんだ」

「いいか、俺たちが玄関で見張っている間に、お前たち二人で冷凍庫に入れろ。入れるとこを誰かに見られるんじゃないぜ」

「ラジャ!」

 俺たちは、コーラック入りアイスをカバンに隠すと、寮へと向かった。

 幸いなことにその時間帯は、他のみんなも遊びに行っているのか、寮に人影はない。

「今のうちだ!」

「行け!」

 そして俺たちは作戦通り、こっそり冷凍庫の中にアイスを入れることに成功したのである。しめしめ。あとは何食わぬ顔で部屋に戻るだけだ。果報は寝て待てと言った人は偉い! ちゃんと引っかかれよ、犯人め!


 さて、その翌日もいい天気だった。でもって、朝の点呼の時に、例の六人は、みんないなかった。当然と言えば、当然だ。ざまあみろッ!

「201号室の丸山、宮内、元木と、202号室の松本、山崎、谷原の六人は、便所です。腹が痛いと言ってました」

「そうか……。あいつら、なんか悪いモンでも食ったのか?」

「さあ……。でも、あの六人なら、大したことはないでしょう」

「だろうな。ははは」

 そう。やっぱり、あいつらが犯人だったのである。

 舎監のオッサンたちのやり取りを聞きながら、俺と吉田はこっそり目配せをしてほくそ笑んだ。

 これでしばらくは、冷蔵庫の中身も襲撃されずにすむだろうという、淡い期待を抱きながら。



 

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