王位継承者はお前じゃない ~親の葬式帰りに愛人と浮かれていた夫ですが、義父母に見限られた挙句、養女となった私が次期女王になりました。ざまぁみろですわ~
国王陛下と王妃殿下が、北部領の視察中に山津波に巻き込まれ、崩御された。
知らせを受けた私は、喪服の襟元に黒曜石のブローチを留めた。王妃殿下が、嫁いできた日にくださったものだ。
「これを着けているあいだは、あなたもこの家の娘よ」
そう言って笑った王妃殿下の、銀色の髪と青緑の瞳を、今もよく覚えている。
先月の朝食でも、殿下は私の皿に蜂蜜を塗った薄焼きパンを一切れ置いてくださった。国王陛下は、湯気の立つ麦粥を匙でかき混ぜながら、北部の橋の補修について私に尋ねた。
「エレノアはどう思う?」
「橋を直すだけでは、村の人たちが市場へ出られるようになるまで時間がかかります。先に仮橋を架けて、荷車が通れる道も整えては」
私が答えると、陛下は満足そうに頷いた。
「よし。では、その案で進めよう」
王妃殿下は、私の手に温かな茶杯を持たせた。
「あなたがいてくれて、心強いわ」
あの朝が、お二人と囲んだ最後の食卓になるとは思いもしなかった。
凶報が届いてから、悲しみに沈む時間はなかった。国葬の準備、諸外国への通達、被災地への救援指揮。私は昼も夜も報告書に目を通し、国王夫妻の執務室で次々と決裁を下した。
窓の外では、王宮の旗が半旗になっていた。
夫である第一王子ルーファスの姿は、どこにもなかった。
国葬の日、彼は金糸の縁取りがある黒い礼服を着て、形式ばかりの追悼の辞を述べた。淡い金髪はきれいに撫でつけられ、青い目には涙の跡ひとつなかった。
火葬の煙が空に消えきる前に、彼は王宮を抜け出した。
向かった先は、公金で買い与えた別邸。そこには、彼が夢中になっている男爵令嬢がいた。
王室付きの影から届いた報告によれば、ルーファスは深紅の酒を杯に注ぎ、彼女にこう言ったという。
「これで俺が王だ。あの口うるさい親父もお袋も、もう文句は言えない。あんな陰気で子供も産めない女とはすぐに離婚して、お前を正妃にしてやる」
私は報告書を閉じた。机の端に置いていた茶は、すっかり冷めていた。
怒りより先に、呆れが来た。
ルーファスは、両親が亡くなれば自動的に自分が王になれると信じている。私を追い出し、愛人を王妃に据え、国庫を好きなだけ使えると思っているのだ。
だが、彼は知らない。
三か月前、国王夫妻は王室法廷に、特別な手続きを申請されていた。
王家の法には、次期国王が公務を長年怠り、国を託すにふさわしくないと認められた場合、王室法廷の承認を得て直系の養子を迎え、継承順位を変更できる定めがあった。
お二人はその手続きを終え、私を直系の養女とし、次の継承者に指名していた。ただし、決定書は国王夫妻の崩御をもって開封されるよう封印された。存命中に公表すれば、王位を巡って国が割れる恐れがあったからだ。
このことを知るのは、宰相と最高法官、そして国王夫妻だけだった。
――三日後。
喪中だというのに、ルーファスは華美な礼服に身を包み、男爵令嬢を腕に絡ませて玉座の間へ乗り込んできた。
セリアは赤紫の絹のドレスをまとい、耳には大粒の真珠を揺らしていた。彼女の視線が、私の黒曜石のブローチをかすめる。口元には、すでに王妃の座を手に入れたつもりの笑みが浮かんでいた。
「エレノア、話がある。いや、これは命令だ」
ルーファスは、居並ぶ重臣や近衛兵の前で羊皮紙を広げた。
「世継ぎを産まぬ妻は王家に不要。本日をもって貴様との婚姻を破棄する! そして、我が真の伴侶セリアを新たな王妃として迎える!」
私は、彼の顔を見た。
「ルーファス様。ご自身の立場を、本当にお分かりですか?」
「立場だと? 父上も母上も亡くなった今、王位継承順位第一位はこの私だ! この国の頂点は私なのだぞ!」
彼の声が、高い天井に跳ね返った。
けれど、重臣たちから賛同の声は上がらない。近衛兵も動かなかった。窓辺に立つ老宰相だけが、静かに一礼した。
その沈黙に、ルーファスの眉がひそめられる。
「宰相! 貴様からもこの女に言ってやれ! 私は次期国王だ!」
「ルーファス様。こちらをお読みください」
宰相は、革張りの文書筒から一通の公文書を取り出した。国王夫妻の印章に加え、王室法廷と最高法官の承認印が押されている。
「先王陛下ならびに王妃殿下の遺言状、そして三か月前に受理された特別養子縁組と王位継承者変更の決定書でございます」
「養子縁組だと?」
宰相は、文書を読み上げた。
「『第一王子ルーファスは長年にわたり公務を怠り、国庫の濫費を重ねた。王たる器にあらずと認め、王位継承権を剥奪し、臣籍に降す。王室法廷の認可に基づき、エレノア公爵令嬢を我らの直系養女とし、第一位王位継承者に指名する』」
誰かが息を呑む音がした。
ルーファスは口を開いたまま、宰相の手にある文書を見つめていた。
「な……何を言っている! 私は実の息子だぞ! エレノアはただの嫁ではないか!」
「ただの嫁ではありません」
私は、黒曜石のブローチに指を添えた。
「あなたが公務を放り出し、愛人に公金で宝石を買い与えていた間、私はお義父様とお義母様と一緒に政務を担ってきました。橋の補修も、北部の救援も、領民から寄せられた訴えも、あなたが目を通さなかったものを、お二人と一緒に受け止めてきたのです」
「嘘だ! 父上と母上が、そんなことを許すはずがない!」
「お二人は、私を娘と呼んでくださいました」
声がかすれた。私は一度だけ息を継いだ。
「『この国を、あなたに託したい』とおっしゃったのです」
ルーファスは首を振った。
「無効だ! 王位は私のものだ!」
彼は隣のセリアの腕をつかんだ。
「セリア、何とか言え! 俺が王になるんだろう!」
「離してください! 私は、殿下が国王になられるとおっしゃったから……!」
セリアは彼の手を振り払い、真珠の耳飾りを揺らして後ずさった。
近衛兵たちが一斉に踏み出し、二人の両脇を取り押さえる。
「離せ! 不敬だぞ! 私は王だ!」
「いいえ。あなたは王位継承権を剥奪されたルーファス殿下です」
私は、宰相から受け取った別の書類に目を落とした。
「横領した公金の返還請求書は、後ほどお送りします。あの別邸も差し押さえの対象ですわ」
床に押さえつけられ、無様に喚くかつての夫を見下ろした。扇を開き、私は口元に笑みを浮かべる。
「ざまぁみろですわ」
玉座の間の大扉が閉まり、ルーファスの声が遠ざかっていった。
窓の外では、庭師が手入れをしている。敷石の脇、踏まれかけた隙間から、小さな白い花が一輪だけ顔を出していた。
北部の街道で見た花と同じように、誰に見られなくても、そこに咲いている。
私は黒曜石のブローチを握った。お義母様の指の温もりは、もう残っていない。それでも、あの朝の食卓も、お義父様の問いかけも、私の中にある。
悲しみは消えない。
けれど、お二人が愛したこの国を、今度は私が守る。
私は花から目を離し、宰相が差し出す王冠を受け取った。




