第六話 ガルドの沈黙
前話:第五話「レオンの言い分」
ガルドへの聞き取り通知は、二度送った。
一度目は返事がなかった。伝達係に確認すると、届いたことは確認できたが受取人からの応答がないという。
二度目は、紙切れ一枚が戻ってきた。
出席しません。
それだけだった。署名もなかった。だが筆跡を登録情報と照合すると、ガルドのものだった。大きく角張った文字。筆圧が強い。
リーゼは通知を机の上に置いて、考えた。
規約上、聞き取りへの出席は強制ではない。拒否する権利がある。だが審判における証言の機会を自ら放棄するということは、ガルドの立場が審判に反映されないまま裁定が下される可能性があるということだ。
それを分かっていて、出席しない。
なぜか。
リーゼはギルドの登録情報を改めて確認した。ガルド。盾役。Bランク。年齢三十四。家族構成——妻一名、子二名、妹一名。住所は冒険者街ではなく、西区の住宅地。
冒険者街に住んでいないということは、生活の基盤が家族の側にあるということだ。アキラの日誌に書かれていた通り、家族への仕送りがガルドの行動原理の中心にある。
蒼雷の解散後、ガルドはBランクの別パーティに加入していた。盾役の需要は高い。仕事には困っていないはずだ。
出席しない理由は、忙しいからではない。
◇
リーゼは西区に向かった。
聞き取り通知の拒否を受けて、審判官が自ら出向くのは異例だ。だが証人が来ないなら、こちらから行くしかない。正式な聞き取りではなく、任意の訪問として。
西区はギルド本部から歩いて二十分ほどの距離にある。冒険者街の喧騒から離れた、静かな住宅地だった。石畳の通りに低い屋根の家が並び、庭先に洗濯物が干してある。子どもの声が聞こえる。
ガルドの家は通りの奥にあった。他の家より少し小さい。壁は白く塗られているが、ところどころ塗りが剥げている。庭先に木の剣が二本、地面に刺さっていた。子どもが遊んだ跡だ。
扉を叩いた。
開けたのはガルドではなく、エプロン姿の女性だった。妻だろう。穏やかな顔立ちで、リーゼを見て少し驚いた表情をした。
「ギルド労務官のリーゼと申します。ガルドさんにお会いできますか」
「あの人は——裏にいます。少々お待ちを」
女性が奥に消えた。しばらくして、裏庭から重い足音が近づいてきた。
ガルドはレオンとは違う種類の大きさを持った男だった。背はレオンより低いが、横幅がある。厚い胸板。太い首。顔の半分を覆う黒い髭。手には木を削るための小刀を持っていた。何かを作っている途中だったらしい。
「労務官さんか」
低い声だった。敵意はない。だが歓迎もない。
「通知を拒否されたのは承知しています。正式な聞き取りではなく、少しお話を伺えればと」
「話すことはない」
「それでも構いません。聞いていただくだけでも」
ガルドは小刀を腰の帯に差した。黒い目がリーゼを見た。見定めるような視線だった。
「……庭でいいか。家の中は散らかっている」
裏庭には小さな作業台があり、木屑が散らばっていた。削りかけの木片が置いてある。形からして子どもの玩具のようだった。
ガルドは作業台の横に立ったまま、座らなかった。リーゼも立ったままにした。座る側と立つ側ができると、力関係が生まれる。同じ高さにいた方がいい。
「アキラさんの労働審判の件でお訪ねしています」
「知っている」
「出席されない理由を伺ってもいいですか」
ガルドは黙った。
風が吹いた。庭の隅に植えられた細い木が揺れた。隣の家から子どもの笑い声が聞こえた。
「俺が出たら、どっちの味方をすればいい」
リーゼは目を瞬いた。
「レオンの味方をすれば、アキラに申し訳が立たない。アキラの味方をすれば、レオンを裏切ることになる。どっちに転んでも、俺は誰かを裏切る」
ガルドの声は平坦だった。感情を押し殺しているのではなく、何度も考え抜いた末の結論を、そのまま口にしている声だった。
「だから出ない。それが一番誰も傷つけない」
「誰も傷つけない代わりに、ガルドさんの声が審判に反映されません」
「俺の声なんか要らないだろう。アキラの日誌があるなら」
リーゼは息を呑んだ。
「日誌のことをご存じなんですか」
「セレナから聞いた。三年分、全部書いてあるんだろう。俺のこともか」
「はい」
「盾の話か」
「……はい」
ガルドが初めて目を伏せた。太い指が作業台の上の木片を触った。
「あのとき、アキラがレオンに盾を替えろと言ったのは知っていた。後から聞いた。盾が割れた後に。もっと早く知っていたら——いや、知っていても同じだったかもしれない。レオンが要らないと言えば、俺は従っていた」
「なぜですか」
「レオンに逆らったら、パーティを出される。パーティを出されたら、Aランクの報酬がなくなる。報酬がなくなったら、家族に仕送りができない。妹の学費が払えない」
ガルドの手が止まった。
「アキラも同じだったはずだ。一割しかもらえなくても、パーティにいる方がマシだった。辞めたら仕事がない。鑑定士のCランクで一人で食える依頼なんてほとんどないからな。だからアキラは黙って耐えた。俺も黙って従った。同じ理由で」
リーゼは何も書かなかった。ペンは持っていたが、紙には触れなかった。
ガルドの言葉は記録ではなく、告白だった。記録に残すべきものではない。
「ひとつだけ聞いていいですか」
「何だ?」
「日誌に、ガルドさんの食事量が減っているという記述がありました。妹さんの学費のために仕送りを増やしたと。その時期に、アキラさんが報酬の高い依頼を提案していたことは覚えていますか」
ガルドの黒い目が、リーゼを見た。
「覚えていない」
「アキラさんは、同情だと思われないように、難度と報酬のバランスが良いという理由で依頼を出したと日誌に書いています」
ガルドは何も言わなかった。
長い沈黙だった。
裏庭の木が風に揺れていた。木漏れ日がガルドの大きな肩に落ちて、ゆらゆらと揺れた。
「……覚えていない」
同じ言葉を繰り返した。だが声の質が変わっていた。低く、掠れていた。
「あいつは、そういう奴だった」
リーゼは頷いた。
「記録を見る限り、そうです」
ガルドは作業台の上の木片を手に取った。子どもの玩具。まだ削りかけの、小さな木の剣だった。
「審判には出ない。それは変わらない」
「分かりました」
「だが——」
ガルドが木の剣を握ったまま、空を見上げた。
「ひとつだけ。あいつに渡してほしいものがある」
「何ですか」
「明日、ギルドの窓口に届ける。手紙だ」
「アキラさん宛ですか」
「ああ。審判の場では渡せないから。俺は出ないから」
リーゼは頷いた。
「お預かりします」
ガルドは玩具の剣をもう一度削り始めた。小刀が木を削る乾いた音が、静かな裏庭に響いた。
リーゼは礼を言って、庭を出た。
通りに戻ると、西日が石畳を照らしていた。家々の窓に灯りが点き始めている。夕飯の支度をする音や、子どもを呼ぶ声が聞こえる。
ガルドはこの場所を守るために黙っていた。アキラはパーティを守るために書き続けた。
守りたいものがあるから、声を上げられなかった人たちがいる。
声を上げられなかったことを、責めることはできない。
だがその声が届く場所は、開いていなければならない。
リーゼは東棟への道を歩きながら、明日の朝も八時に窓口を開けようと思った。
次話、21:30。第七話「リーゼの名前」。
審判の前夜。リーゼが自分の過去と向き合います。
Episode 0『その善意、人身売買につき』を読んでくださった方には、特に響く回になるはずです。
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